リオ閉会式の「君が代」アレンジに感動の声。今までの「君が代」は何だったんだ?

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 マリオに扮した安倍総理が度胆を抜いた、リオ五輪の閉会式。海外メディアからの反応もおおむね好評で、アメリカの雑誌『Vanity Fair』のウェブ版では、“insane”(良い意味で、クレイジーな)という単語を使って、4年後の東京大会へ期待を寄せていました。

◆今まで聴いてきた「君が代」と全く違う

 総理があそこまで体を張るとは誰もが思っていなかった点で、確かにマリオは“insane”でした。しかし、それ以上に摩訶不思議な日本を表わしていたのが、トランペット奏者で音楽プロデューサーの三宅純氏が編曲を施した「君が代」だったかもしれません。

 すでにネット上でも、ブルガリアンボイス(ブルガリアの伝統的な女声合唱)というキーワードが飛び交い、こちらもおおむね絶賛されていた様子。かたまりのように重厚なハーモニーの「君が代」に慣れ親しんだ耳に、薄い皮膜をめくっていくようなポリフォニーがやたら涼しく響きました。

⇒【YouTube】はコチラ 【NHKリオ】2020へ期待高まる!トーキョーショー https://youtu.be/sk6uU8gb8PA?t=1m37s

※「君が代」の映像は、1:37から

◆「君が代」の歌詞を変えよう、と主張した音楽家もいた

 それでも思うのは、やはり「君が代」は変な曲だということです。捉えどころがなく、気合が入るより、むしろ色んなことがどうでもよくなってしまう茫漠とした感情がわいてくる。もっとも、筆者はそれも悪くないと思うのですが、中には違和感だらけなので新しい国歌を作るべきだと主張した人もいました。

 1999年の第145回国会の内閣委員会に出席した中田喜直(1923−2000)。「夏の思い出」や「雪の降るまちを」などで知られる、日本を代表する作曲家です。『国旗および国家に関する法律案』の審議に際し、専門家の見地から次のように述べたのです。

<要するに、一番問題は、歌曲、国歌というのは歌ですから、歌というのは歌詞とメロディーが合っていないといけないんですね。(中略)

私は、ここにも書きましたように、子供のときに、小学校で君が代を書きなさいといったときに、「きみがあよーわ」と歌うように書きました。

これは、「君が代は」と歌わなきゃいけないのに、「きみがあよーわ」、それから「ちよにいいやちよにさざれ」、さざれで切れちゃうんですね。「いしのいわおとなーりて、こけのむうすうまーああで」、こういう歌ですから、間延びしているんですね。>

 ゆえに緊張感を欠くだけでなく、そもそもが歌いづらい。だからメロディーに合った新しい歌詞をつけよう。それが中田氏の意見だったのです。

 しかし、今回三宅氏がアレンジし直した「君が代」を聴いて、“間延びしている”とか“緊張感を欠く”と感じた人はいたでしょうか?

 メロディーも歌詞もいっしょ。なのに、いつも相撲の千秋楽で聴いているのは一体何なんだ、と思うほどの変わり様。けれども、薄気味悪い静寂は確かに残っている。

 となると、問題なのは歌詞ではなく、演奏方法や歌い方だったのではないでしょうか。

※今まで良いとされてきた、朗々と歌い上げる「君が代」
https://www.youtube.com/watch?v=_ORh8TKxsMU&feature=youtu.be

◆なぜ三宅氏のアレンジに“日本”を感じたのか

 そこで、改めて閉会式バージョンを聴いてみると、まず日本語の発音になまりがあることに気付きます。母音の「お」に、ほんの少しだけ「あ」が入りこむように響いているのですね。たとえば、「いわおとなりて」の部分では、「いわお(ぁ)となりて」といった具合ですし、つづく「こけのむすまで」となると、一瞬何語か分からなくなるのです。

 つまり、クラシックの声楽家が歌うときのように縁取りをしっかりするのではなく、メロディーと詞の不和はそのままに、ぼんやりとした発音が新鮮だったのかもしれません。だから、立派な独唱や斉唱ではなく、おぼろげなボーカルパフォーマンスの形式がハマったように感じるのです。

 そして和音について言うならば、先にも述べたブルガリアンボイスのポリフォニーといった指摘はもちろんですが、やはりこれが“日本の耳”によってつけられたことに価値があるのではないでしょうか。作曲家・小倉朗(1916−90)の名著『日本の耳』に、以下のような分析があります。

<ヨーロッパの音楽は調的な力の把握に知的作用の授けを借りたが、日本の音楽は、調性をひたすら体験的なものとして感じ、伝承してきたのである。>

 つまり、日本の音楽は、ある音を矯正して客観的なルールに従わせるのではなく、鳴っているものすべてを放置して、とりあえず受け入れること。そこに音の和を見るのが日本的な態度なのですね。

⇒【YouTube】はコチラ Jun Miyake & Cosmic Voices - White Rose (Live in Paris, 2014) http://youtu.be/i6aDzHqVSi4

◆右も左も関係ない、「君が代」が音楽になった

 歌い出しの一つの音から、散らばり、好き勝手やりながらも、最後また同じ音に収斂していく。しかし、同じユニゾンでも従来の「君が代」と異なるのは、全ての声が一斉にそこを目指すのでなく、早くたどりつくのもあれば、遅れて来るのもある。水の渦が消えるように終わる「君が代」を聴いたのは、初めてでした。

 にもかかわらず、驚きよりも納得の方が強かったのです。

 というわけで、毎度様々な議論を呼ぶ「君が代」ですが、今回ほど思想信条や政治的立場を超えて、聴く者にすんなりと入ってきたことはなかったように感じます。とすると、「君が代」が初めて音楽になった瞬間だったとは言えないでしょうか。

 それが、歌いやすく、気分を高揚させるような統一感とは別の次元でなされたところが、日本らしくてよかったなと思うのです。

<TEXT/音楽批評・石黒隆之>