今日8月27日は、建築家ル・コルビュジエの命日です。彼は、毎年訪れていたコードダジュールの海で遊泳中に亡くなりました。77歳の夏でした。東京・上野にある国立西洋美術館など7カ国の17施設が、「ル・コルビュジエの建築作品」として世界文化遺産に登録されたのは記憶に新しいところ。日本の建築界に多大なる影響を与え、その建造物はもちろん、スタイリッシュな椅子のデザインなどで今なおファンを増やし続けるコルビュジエ。今回は、逝く夏を惜しみながら、ル・コルビュジエの多彩な創作活動と、その両極的なふたつの「世紀の名作」にふれてみましょう。

初期の世紀の名作「サヴォワ邸」


家具デザイン、絵画や彫刻、詩集まで! ダ・ヴィンチなみの万能の人

ル・コルビュジエ(本名シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ、1887年10月6日〜 1965年8月27日)はスイスで生まれ、フランスで主に活躍しました。フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の3大巨匠」と呼ばれています。
当初は家業の時計職人となるべく地元の美術学校で学びますが、コルビュジエの才能を見いだした校長の勧めで建築家の道へ。その間に美術学校で教鞭を執ったり、詩人や画家の友人と共に雑誌を創刊したりと、多彩な活動を行なっています。ル・コルビュジエという名は、この時のペンネームでした。
建築は、主に旅に出て実際に自分の目で見ることで学んだというコルビュジエ。パリとベルリンでは当時の最先端の建築家のもとで修行を行ない、30歳を前にパリに移住します。当初は建築の依頼もなく、画家として絵を描くことで「新しい芸術」を追求していきました。コルビュジエは、巨匠となってからも生涯にわたって絵を描き続けたといいます。絵画のほかにも彫刻作品、詩集を含む著作は40冊以上、設計した建築物にあわせて家具のデザインも手がけ、レオナルド・ダ・ヴィンチにも比されるほど、マルチに才能を開花させ人々を圧倒します。
一方で、コルビュジエは画家としての評価を切望していたといいますが、残念ながら美術史上で語られることはほとんどないようです。巨匠の人間味を感じて、ちょっと親近感を覚えるエピソードですね。

ル・コルビュジエ

ル・コルビュジエ


温かみをも感じる独自のシステム「モデュロール」

コルビュジエが新たに「人体の寸法」と「黄金比」からつくった建造物の基準寸法「モデュロール」。フランス語のmodule(モジュール・寸法)とSection d'or(黄金分割)をあわせた造語で、コルビュジエを語るうえで重要な概念です。人体のサイズを基準におくことで、建築だけではなく家具から都市に至るまで、あらゆるものが有機的に連関し、美的にも機能的にも調和させることを目指して発表されました。
かつての「モデュール」はおもに建築の「工業生産化」の問題としてとらえられていました。これに対してコルビュジエは、モデュロールを「視覚的な側面」「機能的な側面」「工業生産的な側面」の3つの条件を統合する寸法とし、近代建築の基本的な問題として提示しました。
美的で機能的な設計を可能にするために、絶対的な数字で裏打ちされた黄金値を用いようとする試み。それは個人の感覚に頼らずに数学的に計算された、つまり誰にでも利用可能な数字を示そうとしたのです。広い視野で芸術や建築のためにできることはないかと常に考え、行動する。このようなコルビュジエの生き方が、モデュロールには強く現れているのではないでしょうか。
その後、その複雑さもあり残念ながら建築界に根付くような規格にはなりませんでした。しかし、価値ある試みとして建築界にインパクトを与えたことは確かで、日本を代表する建築家である丹下健三は日本版のモデュロールを作成するに至っています。
なにより、コルビュジエが描いたモデュロールが魅力的!どことなくユーモラスな温かみが伝わってきます。著書の図版として、モデュロールを適応した建築物の壁面のレリーフとして、その造形は今なお息づいています。

ル・コルビュジエによる建造物の基準寸法「モデュロール」

ル・コルビュジエによる建造物の基準寸法「モデュロール」


何とも似ていない新鮮な美しさ!「ロンシャンの礼拝堂」

コルビュジエ初期の代表作「サヴォワ邸(1931年、パリ郊外)」は、彼が提唱した「近代建築の五原則(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面)」を具現化し、20世紀の新しい建築美である「白い箱型」の可能性を極めた世紀の名作といわれています。
そして、もうひとつ世紀の名作と謳われる作品があります。それは、晩年の代表作である「ロンシャンの礼拝堂(1955年)」です。その表現は、コルビジェが主張し続けた近代建築の五原則とはかけ離れたもので、一度見たら忘れられない個性あふれる建造物です。
特徴的なのは、その分厚く覆いかぶさるように見える屋根。「蟹の甲羅」がモチーフであるとか、「貝殻」や「飛行機の翼」からインスピレーションを得ている、あるいは「船」「鳥」「祈る手」「聖職者の帽子」など、さまざまな連想が語られてきました(わたしには「きのこ」に見えました)。ひとことでは形容しがたく、見る人にさまざまなイメージを喚起させる不可解さ、何とも似ていない新鮮さ。まるで、童話に出てくるようなファンタジーをも感じさせるかわいらしさ。通常の理解を越え、自分でも説明できない部分にはたらきかけてくる魅力を放っています。
しかも、この屋根は手前にせり上がっているので厚く見えますが、屋根の中央部は内部に向かって下がる構造になっているのです。むしろ分厚いのは白い壁で、主要部分は厚さ3mにもなります。その壁にはいろいろな形の窓があけられており、大きさの異なる大小の窓がランダムに配置されています。外部と内部で巧みに大きさを変えた窓ガラスには、ステンドグラスのようにさまざまな色ガラスがはめ込まれており、礼拝堂の内部には複雑な光が入り込んでくる構造。なんとも幻想的で美しい空間が内部に広がってます。
一見ランダムにあけられているように見える窓。実は、モデュールの寸法が応用されています。今までとはかけはなれた作品に見えるロンシャンの礼拝堂ですが、サヴォワ邸完成前後からはじまる「独自性と質」を保ったうえでの絶え間ない変化の到達点といえる作品なのです。彼の偉大さは、ふたつの両極的な「世紀の名作」を生み出した点にあるといわれていますが、両作品を見ると巨匠の力強い創造力に敬意を払わずにはいらません。

後期の世紀の名作「ロンシャンの礼拝堂」

後期の世紀の名作「ロンシャンの礼拝堂」


ル・コルビュジエの最後の作品は、 愛妻と眠るお墓

コートダジュールを臨むリゾート地カップマルタンは、コルビュジエがイヴォンヌ夫人と毎年のバカンスを過ごした街。晩年、夫人に先立たれた後も思い出に浸るかのように訪れていたといいます。そして77歳の夏、コルビュジエはこの海で帰らぬ人となりました。美しい海を眺める小高い丘に、ル・コルビュジエ最後の作品ともいえる二人のお墓が佇んでいます。