重慶市生まれの朱大明さんは、工場作業員や教師、テレビ局での編集の仕事を経験した後、1987年に広東省深セン市で火鍋レストランをオープンさせ、20年前に担担麺と重慶火鍋を日本へ持ち込んだ。

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重慶市生まれの朱大明さん(70)は、工場作業員や教師、テレビ局での編集の仕事を経験した後、1987年に広東省深セン市で火鍋レストランをオープンさせ、20年前に担担麺と重慶火鍋を日本へ持ち込んだ。今では九州地方重慶同郷会の会長を務めながら、福岡で担担麺や火鍋のレストランを数店舗経営している。重慶晨報が伝えた。

朱さんは来日からすでに20年近くが経ち、福岡で何店舗も担担麺レストランをオープンさせた。しかし朱さんは今でも全く日本語ができない。いつもがなるような大声で話す重慶方言だけ。これには皆とても驚くのだという。「重慶方言は私の母語であり、自分の血液にまでしみこんでいるほど。今さら方言をやめることはできない」と朱さんは語った。

現在朱さんは株式会社大明物産の社長と九州地方重慶同郷会の会長を兼任している。仕事が忙しいので、息子の朱璽さんが通訳をしている。朱璽さんがいないときは、別の通訳に依頼しないといけないのだという。

■1987年に脱サラ 深センで火鍋レストランをオープンさせ大繁盛
朱大明さんは重慶で工場作業員や教師、テレビ局での編集の仕事を経験し、1987年にマネジャーを務めていた華夏音像会社を退職し、新しい挑戦をするために身一つで深センへ向かった。

朱さんはまず飲食業に投資することを決め、すぐさまレストラン「大明火鍋城」をオープン。同レストランの名はたちまち世間に知れ渡り、たった半年で深センの人気レストランとなり、市民が連日行列を作った。

深センで一儲けした後、朱さんは欧米やアジアで視察を行った。その視察を通して外国では中国の飲食文化があまり知られておらず、中国語の看板を掲げたレストランが中国料理店であり、そこで出されるのが中国料理だと認識されていることを知った。朱さんは本物の中国料理を外国へ持ち込み、世界中に中国の正式な飲食文化を普及させたいと考えるようになった。

■担担麺と火鍋を日本で普及させる
重慶市外事僑務弁公室の魏司峰主任は、当時、中国在福岡総領事館に勤務しており、重慶火鍋を日本に紹介し、本物の重慶の飲食文化を日本人に知ってもらいたいと考えていた。そんな折に同じ考えを持った朱さんと出会い、二人は意気投合し、重慶担担麺と火鍋を福岡で広めることとなった。

最初、日本人にとって重慶料理特有の舌がしびれるほどの強烈な辛さはやや馴染まなかったようで、辛さのあまり、口が合わさらないほどだったという。しかし日本人には美食を受け入れる寛容性があるため、舌がしびれるほどの強烈な辛さの料理でも、その味わいの独特さから、リピーターとなり、次第にこういった味わいにも慣れていった。朱さんは「今では、ここのお客は四川料理を食べるのが習慣になってしまい、リピーターも多い」と語った。

また、「多くの日本人が私の店で生まれて初めて重慶火鍋を食べたという。私は九州地方で初めて本物の重慶火鍋と四川料理を普及させた人物だ」と自慢げに語った。

■担担麺レストランが海外に重慶を紹介する窓口に
朱さんは、今では福岡に5軒の担担麺レストランと1軒の火鍋レストランを所有している。朱さんは店のメディア取材には快く応じている。その担担麺レストランのうち1軒は埋め立て地の福岡の電子工業団地敷地内にあるテレビ西日本(TNC)のビル内にある。店内に入ると、壁に掛けられた重慶の風景写真が目に入る。多くの福岡県民はここで生まれて初めて重慶の風景を見ることになる。このほど、同店は娘の朱●さん(●は王へんに旋)が経営を務めることになった。重慶生まれの朱●さんは四川外国語大学で日本語を専攻したという。

最も有名な店は開業して15年になる「大明担担麺」の博多店で、九州人のほとんどが知っているほどだ。同店はとても有名で、福岡を初めて訪れた際、同店のおすすめ料理を撮影し、微信(Wechat)のモーメンツに投稿したところ、どの都市とは説明していなかったにもかかわらず、すぐに広島にいる友達から、「福岡に来たんだね!」と返信が来たほどだ。