スマートフォンでWebにアクセスすることも、すっかり当然になった。
しかし、PCに慣れた人ほど、PCのブラウザでの挙動とスマートフォンのアプリ(いわゆるネイティブアプリ)での挙動が違うことに戸惑うことが、しばしばある。

もちろん、「1ソース、マルチユース」という目標のもと、デバイスや回線による表示のカスタマイズ、それぞれに適したレイアウトでの表示という考え方は昔からあったが、いま起きている変化は、そもそも提供されるサービスの種類が異なってくるという事態だ。

たとえば、
TwitterのiOS用アプリでは、タブで通常のタイムラインや通知、メッセージのやり取りを切りかえているが、「ニュース」タブではTwitterで話題のニュースを見ることができる。
"Twitterで話題の"と限定されるが、ほぼほぼ"話題の"ニュースだ。

当然要らないという人もいるようだが、筆者は意外とこの機能を重宝している。
ただ、それに慣れてしまうと、PC上でブラウザからTwitterにアクセスした場合に「ニュース」タブがないことがちょっと不満になってしまうのだ。
結果、PCを開いていても、スマートフォンを手にしてしまう、といったことが、たびたびおこる。

Facebookでも、流れてくるフィードの種類や順序は、スマートフォンアプリからアクセスするのと、PCブラウザからアクセスするのとでは違う。
最新のフィードをまず確認したいというとき、スマートフォンアプリからだとちょっとストレスだったりする。

このところの動きを見ていると、各社が力を入れてきているのはスマートフォンアプリのほうで間違いはない。インターネットへの接続方法がPC一択ではなくなり、逆にPC以外からのアクセスが増えているという今、それは当たり前なのかもしれない。

この手の「ちょっとした違い」は、今後どんどん増えていくだろう。

◎ネイティブアプリはブラウザを超えるのか?
「ちょっとした違い」が増えていく理由として、
PCユーザーが増える速度や数よりも、スマートフォン・タブレットのユーザーが増える速度や数のほうが大きいという将来への見込みがあるからだろう。
こうした理由も1つだが、もう1つ、大きな理由としては、専用のアプリの場合、Webクライアントであるブラウザ以上のことができるということがあげられる。

ブラウザベースでできる通信は、基本はWebサーバに「これを表示したい」とリクエストを送り、サーバ側はクライアントであるブラウザに、あらかじめ取り交わした決まりに則った形式のデータを送るというものだ。
基本は、都度、すべてをテキストにエンコードして送信し、受信側でデコードして元のファイルを表示する。

ネイティブアプリの場合、もっと効率よくデータを送受信できるし(Webの表示部分をそのまま表示するのでなければ)、何より、提供する機能に必要な部分をあらかじめアプリにもたせておくことができる。
そのため、そのときどきで必要な情報だけをやり取りするという形が可能なのだ。

極論すると、リアルタイムにその都度データをやり取りするブラウザのしばりを超えて、提供したいサービスに合わせて自由に設計できるということ。
つまり、Web版との違いがアプリで出てくるというのは当然の結果なのだ。

ちなみに、スマートフォンが登場した際、よく言われたのが「ネイティブアプリか、Webアプリか」ということ。
Webアプリは、ブラウザ上で動作する、Webサイト開発に必要な技術で開発できることから、数も多かった。しかし、スマートフォンが登場して5年が経った今、主流はネイティブアプリになっている。

◎Webサイトの基準もモバイルファーストへ
そうした中、Webサイトの全体の基準にもモバイルファーストが大きく影響してきそうなニュースがあった。

GoogleがユーザーのモバイルでのWeb体験を損なう「インタースティシャル」なコンテンツを、モバイルで表示する際の検索ランクを下げると発表したのだ。

これは、たとえばスマートフォンのブラウザで検索結果をタップした際、
・表示されるコンテンツを覆い隠すように出てくるポップアップ広告
・目的のコンテンツの前に挟まれる単体の広告ページ
・目的のコンテンツの上半分を隠す広告ページ
などを表示するWebサイトのランクを下げるというもの。
これは2017年1月10日から実施されるという。

ユーザーからすると、必要のない広告をクリックしなくて済む、見なくて済むといったことにつながり、非常にうれしいことだ。

しかし、今後はモバイルで表示する際、より「モバイルフレンドリー」なWebサイトを優遇するということになる。
全体がモバイルでのWeb体験を重視するようになれば、当然、それ以外のPCでアクセスする場合のWeb体験にも影響してくるだろう(あるいは、置いておかれるのか?)。

デバイスやアクセス手段にかかわらず、あるタイミングで誰もが同じコンテンツを閲覧することができるというWebの理想は、いまは昔になるのかもしれない。
もっとも、ソーシャルやパーソナライズの手法が発達していくことで、「同じコンテンツなど存在しない」という現実に行く着くことのほうが早いのかも。


大内孝子