夫婦の役割分担、はっきりしている方が楽?

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夏の小旅行、帰りの新幹線で駅弁の夕食を済ませ、遅い帰宅をした。その日は楽しい疲れでぐったりで、いつもなら息子が寝入ったあとにそのまま自分も寝てしまうパターン。でも、2泊分の真夏の洗濯物が気になって起き出した。洗濯機2回分、夜中にありったけのハンガー類で無理矢理干す。

そんなことをしている間に夫は寝入っている。普段ならこのシチュエーション、「なんで私だけが洗濯を!!」とイラっとしそうなパターン。ところが、どうやらなんだか違う。「まあ、私がやっとくよ」と、結構素直な気分。……一体これは、なんでだ?


■旅行中のはっきり役割分担が効果?


旅行の間、普段とはちょっと違う役割分担が生じた。

目的地で利用したレンタカーは、全面的に夫が運転した。私はペーパードライバーなので頼るしかない。とはいえ普段車無し生活だから、久々の運転で疲れただろう。夫の旅行バッグには重いものばかりが配分されていたし、仕事の疲労度合いも重なって、彼の体力消耗度は明らかに、高い。

一方私の体力的負担は、息子が乳幼児期に比べたら激減した。子どもが自分で歩きリュックを持ち、抱っこや幼児的なぐずりの心配がない年齢になったのは大きな違いで、気持ちの負担も軽くなった。

全体として、夫が体力面全般を担当、計画や各種手配・準備などソフト面は私が担当というきれいな構図が出来上がったわけだ。

運転能力・腕力で私より明らかに勝っているから、いいよね!よろしく!と、私の側も割り切って罪悪感なく頼ってしまえて少し気楽。だからその分、まぁ疲れたよね、ゆっくり休んでよ、と自然に感謝もして、夜中に大量な洗濯をしてもブツブツ独り言を言わずに済んだのだろう。

■普段は「一緒にやる」が基本 〜境界の曖昧さの中で


今回の旅行中のように、腕力とか運転能力とか、はっきりした差異を盾に割り切った役割分担をしてしまえることって、今の普段の生活ではなかなかない。

共働きが当たり前になり、ふたりとも仕事も家事も子育てもする、というスタイルでは、どちらが何を担当してもよくて、それが基本になる。家事能力だって、慣れてしまえば男女差なんて本当はない。

男だから/女だから、男のくせに/女のくせに、という感覚は意識的に排除してイーブンであることを目指すのだけれど、責任や役割の配分は、たいてい一定の偏りを保ったまま、微妙なラインを行きつ戻りつするのが現実だ。

男だけに収入の責任を押し付けることには罪悪感を感じ、女だからって家事育児をひとりで担うのはアンフェアだと感じ、いつも「どこか違う」と身の置き所がスッキリしない。

■男は仕事、女は家庭、になりたいわけじゃない


だから、旅行中のような、腕力差のみ!みたいな割り切った分担はむしろ新鮮で、いちいち「どっちがどれくらい」とか悩まなくていい点はなんだか楽だなぁと、つい思ってしまった。

でも、だからと言って「それならいっそ性別役割分業的に男は仕事、女は家って割り切っちゃえばいい」と思うかというと、それは全然違う。

子育てとか家事をひとりで引き受けるっていうのは、特に子どもが生まれてすぐの数年を経験すると、まったく現実的じゃないって本気で思う。収入を得るための仕事だって、大波小波を経験すれば、どちらか一方だけが責任を背負うことの重さもリスクも痛いほど感じる。

身体の作りの違い以外のところの、社会的に定義された役割っていうものは、極力フラットに見て共存できた方がいろいろな可能性が広がるだろうなぁと思うし、せっかくふたりで暮らすなら、お互い責任を持ちあえる方が私は好きだ。交換可能な体制は本当はメリットも多い。

そう明確に思っていても、ふと、旅行中のようなはっきりした分担てなんかいいなぁ、とつい思ってしまうとは、危ない危ない。

■「ふたりで一緒」は混沌としているけれど


仕事も家もふたりで一緒にやっていく日常って、子育てに伴いふくらむ家内業務と、収入の糧となる仕事の重さとに、ふたりとも押しつぶされそうになりながらジタバタして格好よくはいかない。いくつものフェーズがあって、一時的にどちらかが仕事や家庭の専業になる可能性も高い。

なんだかいつも、「いるべきところ」「進むべきところ」がはっきりしなくてすっきりしなくて自信もなくて不機嫌の元になりやすい。「これはそもそも私/俺がやるべきことなの?」……と、それぞれが自分視点の「そもそも論」と現実の差にモヤモヤしてもいる。

それだけ、「ふたりで何でも一緒にやる」っていうスタイルはとっても未成熟で、「型」そのものを模索している段階だ。その不安定さの中でお互いに納得できるラインを見つけるのはすごく難しい。面倒だし、ぶつかるし、ひどく疲れる。

夫婦どちらも慣れないことにトライしているわけで、本当は、お互いゆらゆらしているだけなんだろう。

それが、思いやりになればいいのだけれど、現実には、自分の負担だけに目が行きがちなんだよなぁ……。

何だか疲弊して全部面倒になった時には「きれいな分担」に幻想を見て逃げ出したくなるかもしれないけれど、固定的な役割分担にだって、限界を迎えた時の逃れられない辛さがあるのも忘れちゃいけない。ゆらゆらしている良さもある。

新しいスタイルを作るのは、今の自分たち。ここ、探りながら、進むしかないんだろうなぁと、改めて思った。

たまぁに限定期間、こういう固定的な役割関係になるのは気分転換になっていいのかも。小さな旅の、思いがけない副効果だったかもしれない。

狩野さやか狩野さやか
Studio947でデザイナーとしてウェブやアプリの制作に携わる。自身の子育てがきっかけで、子育てやそれに伴う親の問題について興味を持ち、現在「patomato」を主宰しワークショップを行うほか、「ict-toolbox」ではICT教育系の情報発信も。2006年生まれの息子と夫の3人で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者資格有り。