「江戸高名会亭尽 山谷」(料理茶屋八百善)歌川広重(画像提供/国立国会図書館ウェブサイト)

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現代の東京には、有名店を紹介した「グルメガイドブック」などが数多く出版されている。こうしたものを参考に、料理を堪能する人も多いだろう。実は、江戸時代にも「これを食べるならあの店」といったガイドブックや、店の番付などがすでに登場していた。一方、著名な店ならではの逸話というのもあるようで……。連載【江戸の知恵に学ぶ街と暮らし】
落語・歌舞伎好きの住宅ジャーナリストが、江戸時代の知恵を参考に、現代の街や暮らしについて考えようという連載です。

江戸の料理茶屋が誕生した理由とは?

料理屋のはしりは、明暦3年(1657年)に浅草寺門前にできた「奈良茶飯」だとされている。茶飯に豆腐汁、煮しめなどを添えた定食を出す、大衆食堂のようなものだったようだ。

商人などの町人階級が経済力をつけるようになった明和年間(1764〜72年)ころ、接待や会合に使われる場として、貸席に高級料理がつく料理茶屋が登場する。

幕府の役人や各藩の外交担当を務める「留守居役(るすいやく)」が交渉の席を設けるために利用したり、文化人が狂歌の会を開いたりするようになると、料理だけでなく、座敷や庭にまで贅(ぜい)を尽くすような料理茶屋が次々とできた。

江戸時代の中期ごろ、料理茶屋の双璧といわれたのが、浅草山谷の「八百善(やおぜん)」(冒頭の浮世絵で座敷の様子が分かる)と深川の「平清(ひらせい)」(画像1の浮世絵で外観や庭の様子が分かる)だという。

八百善には「食通がお茶漬けを注文したら、相当な時間待たされたうえ、法外な料金を請求された。確かにおいしかったのだが、理由を聞くと、食材に凝っているだけでなく、良水でつくるためにわざわざ多摩川まで水を汲みに行ったから」という逸話が残っているほど。

【画像1】「江戸高名会亭尽 深川八幡前」(料理茶屋平清)(画像提供/国立国会図書館ウェブサイト)

【画像1】「江戸高名会亭尽 深川八幡前」(料理茶屋平清)(画像提供/国立国会図書館ウェブサイト)

レシピ本やグルメガイドブックなども続々と誕生

外食が盛んになると、「料理通」や「古今料理集」などのレシピ本も数多く登場する。料理茶屋八百善のオーナー栗山善四郎が自ら出版した「江戸流行 料理通」は人気の江戸土産となったほどだ。

うまいものの番付をつくるという趣向も流行し、料理の名店の番付なども数多く登場する。例えば、「江戸会席料理老舗番付」では、勧進元(主催者)は八百善、東の大関は「平清」、西の大関は王子の「海老屋」となっている。

また、「江戸名物酒飯手引草」(画像2)のようなガイドブックも登場する。貸座敷御料理(料理茶屋)に始まり、茶漬け、蒲焼き、どじょう、寿司、そばなどジャンルごとにそれぞれの名店が紹介されている。

【画像2】「江戸名物酒飯手引草」の一部を抜粋(画像提供/国立国会図書館ウェブサイト)

【画像2】「江戸名物酒飯手引草」の一部を抜粋(画像提供/国立国会図書館ウェブサイト)

田舎者の見習い奉公人が事件を引き起こす、落語「百川(ももかわ)」

さて、こうした料理茶屋のひとつ、浮世小路(現日本橋周辺)の「百川」が舞台となった落語がある。百川は番付上位で常連の名店だ。どんな落語かというと…。

ある日「百川」に、田舎から出てきたばかりの百兵衛が奉公人見習いとしてやってくる。折り悪く、手が足りないところだったので、さっそく2階客の要件を聞いてくることになる。2階の客は、近くの魚河岸の若い衆。

ところが、百兵衛はなまりが強すぎて、江戸っ子の魚河岸の連中には聞き取れない。しかも、見たことがない顔だったので、訪問客だと勘違いしてしまう。

「わしゃあ、このしじんけ(主人家)のかけえにん(抱え人=奉公人)でごぜえやす」というのを、「四神剣(しじんけん)の掛け合い人」と思いこんだ若い衆。四神剣とは祭りに使う、四神が描かれた旗の上に剣が付いたもの。実は、前年の祭りのあと、四神剣を質に入れて酒代にしていた。だから、今年の祭りに使う四神剣を隣町から引き渡すように掛け合い人が来たのだと勘違いしたのだ。

取り繕う若い衆と訳が分からない百兵衛の間で、すったもんだが起こるのだが、誤解が解けた若い衆から今度は、「長谷川町にいる常磐津の師匠の歌女文字(かめもじ)呼んで来い」といわれた百兵衛。よく分からずにいると「そのあたりでかの字のつく有名な人を探せ」といわれ、飛び出す。

ところが、長谷川町でかの字がつく有名な人を訪ねると、鴨地(かもじ)玄林という外科医だろうといわれ、外科医のところへ行き、状況を説明する。

「魚河岸の若い衆が、けさ(今朝)がけに四、五人きられ(来られ)まして……」というのを、「(刀で)袈裟がけに四、五人斬られた」と聞き取った外科医の鴨地先生があわてて百川へ駆け付けると、これまた大騒ぎ。

若い衆に「この抜け作が」といわれた百兵衛。どのくらい抜けているか聞いたら、そっくり抜けているといわれたので、「かもじとかめもじ。たった一文字だけだ」。お後がよろしいようで……。

さて、落語に登場した百川にも、逸話がある。幕末にペリーが来航した際、その饗応料理を出したのが百川だといわれている(八百善と共同という説や、八百善が料理を出したという説もあるようだ)。現代のミシュランに掲載された店も、先日アメリカの大統領との会食に利用された。いつの世もグルメ御用達の店には、逸話が伴うものなのだろうか。

参考資料:
・「ヴィジュアル百科 江戸事情 第一巻生活編」NHKデータ情報部編/雄山閣出版
・「お江戸でござる」杉浦日向子監修/新潮社
・「浮世絵に見る 江戸の暮らし」橋本 澄子・ 高橋 雅夫編/河出書房新社
・「江戸っ子の二十四時間」山本博文/青春出版社
・「江戸の落語」菅野俊輔/青春出版社
・「落語と江戸風俗」中沢正人・つだかつみ著/教育出版
・「古典落語100席」立川志の輔選・監修/PHP研究所