閉幕したリオ五輪女子バレーボールで、中国が金メダルを獲得した。前回のロンドン五輪でメダルを逃してリベンジに燃える中国は、予選リーグでは苦しんだものの、決勝トーナメントで実力を発揮し、12年ぶりの頂点に立った。その立役者は、なんといっても中国バレー界のレジェンド・郎平監督だろう。(イメージ写真提供:(C)dotshock/123RF)

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 閉幕したブラジルのリオデジャネイロ・オリンピック(リオ五輪)女子バレーボールで、中国が金メダルを獲得した。前回のロンドン五輪の舞台ではメダルを逃してリベンジに燃える中国は、予選リーグでは苦しんだものの、決勝トーナメントで実力を発揮し、12年ぶりの頂点に立った。その立役者は、なんといっても中国バレー界のレジェンド・郎平監督だろう。

 中国メディア・今日頭条は21日、「中国の女子バレー精神の礎を築いたのは、なんと日本人だった」とする記事を掲載した。記事は、リオ五輪で金メダルを獲得した中国女子バレーについて「死なず、壊れず、倒れない中国女子バレーが帰ってきた。無私の心で貢献し、団結・協力し、弛まず努力する、死に物狂いな女子バレー精神が戻ってきた」との評価が出ていると紹介。その「女子バレー精神」を築いたのは、実は1人の日本人だったとした。

 そのうえで、1964年の東京五輪で「東洋の魔女」と称された日本女子バレー代表を率いて金メダルを獲得し、「鬼」とも形容される練習の厳しさで知られた大松博文氏こそ、その人物であると説明。同年に招きを受けて中国を訪れた大松氏率いる日紡貝塚の過酷な練習に感銘を受けた中国の関係者が、翌年には大松氏をコーチとして招聘、そこで素材や技術に優れながらもチームワークがなかった中国代表に新たな精神を注ぎこみ、チームを生まれ変わらせたと伝えた。

 記事は、大松氏が中国女子バレーに叩き込んだ精神は中国スポーツ界全体にまで影響を与えたとし、それこそが今回復活したと評されている「女子バレー精神」だったと説明。そして最後に「スポーツ精神とは本来、一切の民族、信仰、時空、地域を超越するものなのかもしれない」と締めくくっている。

 郎監督が初めて中国代表入りしたのは79年。その前年の78年、大松氏はこの世を去っている。大松氏の指導後、中国は文化大革命の混乱に巻き込まれ、その影響はスポーツ界にも波及した。混乱からようやく抜け出した80年代、中国は「女子バレー精神」によって黄金期を迎える。その中心選手が郎監督だったのだ。大松氏をルーツとする「精神」を受け継ぐ「鉄のハンマー」が、新たな世代にその精神を注ぎ込んでいる。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:(C)dotshock/123RF)