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前述したように、初期の半導体のビジネスのやり方は技術者がデーターシート(製品仕様書)を片手に手あたり次第主要顧客(相手もエンジニア)をまわる、という単純なものであった。それまで我々がCPUを売りに行く対象はあくまでもCPUを買う直接の顧客(パソコンメーカー)であった。しかし、インテルのマーケティングがそれを変えた。

お客のお客(エンドユーザー)に自社製品の価値を分からせるという点で今までのマーケティングとは大きく違っていた。"市場をセグメント化し、各セグメント毎に一番有効なメッセージを定義し、そのセグメントでのメッセージ発信に一番有効なメディアを使い、効率よくターゲットにリーチする"、などと言うMBAのコースでは定番の基本的なマーチャンダイズの考え方は現在のマーケッターにとっては常識だが、当時の半導体業界のマーケティングは黎明期でいろいろな試みが行われていた。その中で非常に独自で、突出して大規模なマーケティング・キャンペーン"インテルインサイド"は我々にとってはまさに仕事をしながら進化するマーケティングを同時に勉強する格好の機会となった。ただし、インテルインサイドは主にコンシューマー・ユーザー(個人ユーザー)を対象としたキャンペーンだった。当時、我々AMDが新しい商材として抱えていたのはOpteronというサーバー用のCPUである

Opteronが目指した市場は私が今までに全く経験したことがないIT(Information Technology)の市場であった。CPU・PCの市場を概観すると、その中身は個人相手のコンシューマー市場、大企業のIT部門が一手に購入決定をするエンタープライズ市場、企業であるが個別の案件のサイズが小さい中小企業市場、政府・官公庁などのパブリック市場、HPCなどの研究開発機関のR&D市場など、いろいろに分かれていてそれぞれが購入決定についての独自の要件を持っている。

前述したとおり、当時のAMDではいつの間にかトラディショナルな半導体営業、マーケッターは少数派となり、Dell、HP、IBM、SUNといったPC/サーバーのメーカーからリクルートされた人たちがどんどん入社してきた。これらの人たちは半導体については素人だがサーバーの市場原理をよく理解していた。 AMDが直接のお客のそのまたお客に直接売り込むのであれば、お客から経験豊富な営業、マーケッターを引き抜いてしまえというわけだ。私はトラディショナルな半導体屋であったが、これらの人たちのお蔭で何とかサーバーの市場原理を理解することができた。

営業はその業界での経験、人脈が決定的要素だが、マーケティングではそれほど関係なく原理的にはほとんど全ての市場でその手法は通用する。成功する手法の要件は、

1. 明確な差別化、付加価値のメッセージ(これは多分に商品の出来にかかっている)。
2. 製品自体のスペックもさることながら、製品が提供する総合的な価値が重要。
3. 対象となるメッセージの受け手(Audience)の定義と、それらの人々のプロファイルの理解。
4. マーケティングにかけられる予算の確定とそれらを効率よく行うプログラムの策定。

それまで未知のサーバー市場を相手にマーケティングを開始する私は不安で一杯だったが、同時に何とかなるだろうという直感があった。その第一の根拠はOpteronという製品の出来の良さだった。インテルの競合製品に対し非常に明瞭な、かつ事実に裏付けられた優位性があったからだ。そこから導き出されるマーケーティング・メッセージは次の通りである。

1. 32ビット・64ビットソフトウェアに同一ハードウェア(CPU)で高速に対応可能。
2. 将来的なアップグレードが周波数向上とCPUコアの多重化(デュアルコア)で対応。
3. インテルのIA64よりも安価なプラットフォームの提供。

これだけいいことずくめだったら売れないはずがないと直感したわけだ。また、サーバー市場はコンシューマー市場と比較してAudienceのサイズははるかに小さく、彼らの技術的理解度は非常に高い、という事は大量の資金を投じた一般コンシューマー相手のインテルインサイドのような大規模マーケティングでなくとも、うまい方法さえ考えれば効率よく効果的な活動が可能であると思った。

一番強力なのはOpteronを使った成功例を集めてそれをいかにも最新のトレンドであるかのように宣伝することだ。いわゆる、有名人が登場し"私も使ってます"というCMのあの手法である。もっとも、BtoBの世界であるのだから有名タレントを使う必要はない。サーバー業界で先進的だと認知されているパートナーと組んで、そのパートナーのブランドを借りてAMD/Opteronのブランドを宣伝するのだ。英語ではPiggy Back(人の背中に乗っかるという意味)Marketingというクラシックな手法である。そんな状況でパーフェクトなパートナーが名乗りを上げた。サン・マイクロシステムズ(Sun Microsystems)である。SUNはその名が示す通り(SUN:Stanford University Network)シリコンバレーのど真ん中にキャンパスを抱えるスタンフォード大学(この大学のキャンパスは本当に美しい)出身のスコット・マクニーリーと伝説のエンジニア、アンディー・ベクトルシャイムが1982年に創立したワークステーション、サーバーのベンチャー企業である。

2010年にオラクルに買収されてしまったのでSUNという会社は今では存在しないが、創立からの20年は飛ぶ鳥を落とす勢いだった。インターネットが登場するあたりから早くからサーバー・ネットワークに目をつけ、独自開発の高性能CPU SPARCとUNIXベースの独自OS Solarisを武器にUNIXベースのサーバー市場では独り勝ちの一大勢力となった。しかし、市場全体が急成長するにしたがって次第にインテルCPU+WindowsサーバーOSの組み合わせのいわゆるPCサーバーにビジネスをじわじわと侵食されていった。結局サーバー市場の急成長を支えていたのはボリュームの大きい汎用低価格帯の市場であって、独自開発のプラットフォームで成長したSUNのコスト構造はそれについていけなかった。

事実、SUNはこの市場を防衛するためにCobaltというインテルCPUを使ったサーバーの会社を買収しインテルCPUの客になっていた。しかし、独自路線で時代の寵児となったスコット・マクニーリーにとってWintelの軍門に下るのは本意でなかったのは明らかだ。そこにインテルの宿敵AMDがOpteronという高性能CPUで市場参入したのだから、AMDとSUNが手を組むのは当然の成り行きだった。SUNはOpteronをベースにしたサーバーを完成させると猛烈な勢いで拡販を開始した。AMDにとってはパーフェクトなパートナーである所以だ。

この素晴らしい商材を得て、私の日本市場でのOpteronのマーケティング活動は大変にエキサイティングな経験であった。第一世代のシングルコアOpteronではなかったが、デュアルコアOpteron(CPUコアが二つ集積されている)になってOpteronの優位性が頂点に達する頃に、とんでもないエンドユーザーが現れた。東京工業大学の松岡聡教授率いるスーパーコンピューターのチームだ。松岡教授のチームのスーパークラスターTSUBAMEは2006年6月の世界のスーパーコンピューターのオリンピックと言われるTop500初登場でいきなり7位にランクされた(この辺の事情については裏話も含めて別記事を掲載予定)。

この事実はOpteronに大きなブランド価値を与えた。それ以来、Opteronはスパコンの市場では完全に市民権を獲得し、世界中でOpteronを使ったクラスターマシンが登場した。我々マーケティングの使命はこの成功を梃に他のサーバーメーカーと組んで他の大手エンドユーザーを取り込むことであった。

著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Device)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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(吉川明日論)