8月19日の朝8時にスタートしたリオデジャネイロ五輪陸上競技50km競歩。昨年の世界選手権優勝のマテイ・トート(スロバキア)と2位のジャレド・タレント(オーストラリア)が世界選手権と同じ順位でゴールしたあと、ラスト1km手前でエバン・ダンフィー(カナダ)を突き放した荒井広宙(ひろおき・自衛隊)が3時間41分24秒で3番目にゴールした。それは、今大会陸上競技で日本勢初のメダル獲得というだけではなく、日本競歩史上初となる五輪メダル獲得の瞬間となった。

 しかし、レース直後に4位に入ったダンフィーが所属するカナダチームが、ラスト1km付近で起きた荒井との接触が妨害行為だったと抗議。審判長はそれを認めて荒井を失格と判定してしまう。これに対して日本チームも即座に上訴し、国際陸連の担当理事会の裁定に委ねた。

 その接触は一度抜かれた荒井が抜き返そうとした時、その先に折り返しが迫っていることもあって空いていた内側を突いて起きたものだった。ダンフィーの左ひじが荒井の上腕部に当たった。そこから4〜5歩歩いて荒井が前に出ると、その瞬間、ダンフィーが2〜3歩よろけて両手を広げ、妨害されたとアピールするようなそぶりを見せたのだ。何度か映し出されたスロー映像では、衝撃で少しのけぞっていたのはむしろ荒井の方だった。誰がどう見ても、普通にある接触シーンでしかなかった。

 日本陸連の今村文男競歩部長は「失格にされた時は、『えっ、あれで?』という印象でした。他の国の選手やコーチから何で荒井が失格なんだと聞かれたので説明すると『カナダの選手はその前からフラフラになっていたじゃないか』と呆れられました」という。

 荒井本人に接触について聞いても、「カナダの選手と近かったので当たったけれど、競歩の場合は腕ふりが大きいので接触するのはつきものなので......。それで脇腹が痛くなったということもなかったので、当たっても影響はなかったです」と、"被害を受けた側"として説明していた。

 結局、担当理事会では「妨害行為はなかった」と判断して、試合終了から3時間後に荒井の銅メダルが確定した。荒井にとっては余計な騒動に巻き込まれて気持ちを翻弄された3時間だった。

 気温22度、強い日差しが照りつける中でスタートしたレースは、世界記録保持者のヨアン・ディニ(フランス)が1周目から抜け出し、その後も1周(2km)あたり8分50秒を切るペースで飛ばす展開になった。その後もディニは差を広げるが、彼は世界大会で最初に飛び出しても最後は失速するというパターンがよくある選手。昨年の世界選手権優勝のトートや2位のタレントなどはディニを追走せずに、レースが落ち着いた6km過ぎには9人で追走集団を形成した。

 日本勢の中で森岡紘一朗(富士通)は「現状では入賞狙いをする力しかなかったので、第2集団で行って、終盤に落ちてくる選手を拾うつもりだった」と後ろに下げたが、昨年の世界選手権銅メダリストの谷井孝行(自衛隊)と荒井はトートらその追走集団につけた。

 その集団も8km過ぎからペースを上げると、「6月からずっと動きがかみ合っていない不安がある中、現状に合わせたレースをするかメダルや入賞を狙うレースをするかで葛藤した」という谷井が21km過ぎに脱落。これで事実上、日本のメダルの夢は荒井に託された形となった。

 そんな状況の中、「練習量自体は変わっていないですが、昨年の世界選手権以降はケガもなく練習を継続させられたのは大きい」と話す荒井が冷静なレースをした。中盤以降のタレントやダンフィーの飛び出しにも過剰な反応をすることなく、マークする相手を状況に応じて冷静に変えながら歩くと、40km手前では5人でトップ集団を形成してメダルに近づいた。そこからタレントが飛び出すと、トートについて、44kmではふたりだけでタレントを追う形に持ち込み、メダル獲得の可能性を大きくした。その後すぐにスパートしたトートには置いていかれたが、単独で3位を歩く。49kmでダンフィーに追いつかれたが、問題となった接触シーンの場面で再び突き放して3位でゴールした。

「去年よりも確実に最後まで身体が動いている感覚はありました。途中で森岡さんと谷井さんがいなくなって日本人は僕ひとりになってしまったけれど、去年の世界選手権では谷井さんが3位に入っているので『ただでは終われない』という気持ちでした。カナダの選手に追いつかれた時は去年(の世界選手権で)4番だったというのを思い出して『あっ、ヤバいな』と思ったけど、今回は(日本選手ではなく、)カナダの選手だから負けられないと思って......。何も仕掛けないで終わるのはもったいないなと思ったし、仕掛けてみて最後はダメだったら仕方ないと思ってラスト1kmでいったらちょっと身体が動いたので、そこで勝てるかなと思いました」

 それでも3位をなかなか確信できず、ゴールラインを越えるまでダンフィーが追ってくるかもしれないと怖かったと明るく笑う。

 高校時代はインターハイにも出場できず、大学は福井工大へ進んだが、陸上部の雰囲気に合わずに退部し、鈴木雄介を中学時代に指導した石川県の内田隆幸コーチに師事して卒業後も競技を続けた。内田コーチから「50kmに向いている」と言われ、2008年からナショナルチーム合宿にも参加させてもらった。最初は「専門誌で見ている雲の上の存在だらけ」で周囲と話すこともできず、五輪や世界を意識するよりも、日本選手権で入賞できればいいというぐらいの考えしかなかった。

 やがて合宿で谷井や森岡、鈴木などのトップ選手と接しているうちに徐々に意識も高まり、11年世界選手権に初出場して6位の森岡と9位の谷井に次いで10位に入った。そこからコツコツ成長してきてたどり着いたのが、この五輪の銅メダルだった。

 その性格は相変わらず控え目だ。「五輪の初メダルということで、小坂忠広(日本陸連競歩副部長)さんや今村文男さんなどの競歩の先輩たちが作り上げてきてくれたものをようやく形にすることができたので、少しは競歩界に貢献できたかなと思います」と、顔を思い切りほころばせた。

 荒井以外は「25kmから30kmまでは頭の中が真っ白になって記憶もないが、30kmを過ぎてからは前回のロンドンでは35kmで棄権したことを思い出し、なんとしてでもゴールするんだと思って歩いた」という谷井が14位で、森岡は27位。メダル獲得は果たしたが、もうひとつの目標でもあった複数入賞は逃した。

 今大会表彰台に上がった1位と2位は、昨年の世界選手権と同じくトートとタレントで、3位の位置が谷井から荒井に代わっただけだ。この事実が示すのは、日本の競歩のレベルが今や世界のトップに追いついているということである。

 それに加え、日本の50km競歩はスロバキアやオーストラリアがひとりの選手の存在に頼っているのと違い、05年以来、山崎勇喜や森岡、谷井、荒井と世界のトップで戦える選手を輩出し、複数のメダル候補がいるのが大きな特徴だ。

 それは競技人口が少ないがゆえに可能だったともいえる、所属の枠を越えて競歩界が一体になり、陸連医科学委員会のサポートも受けて取り組んできた強化策の成果でもある。

折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi