霊長類最強女子の「不敗神話」が、完結した――。

 レスリング女子53キロ級・吉田沙保里が、決勝戦で敗れて銀メダル。オリンピック4連覇達成はならなかった。一方、前日の登坂絵莉(とうさか・えり/48キロ級)、土性沙羅(どしょう・さら/69キロ級)に続き、63キロ級の川井梨紗子がオリンピック初出場・初優勝を飾った。日本レスリング女子は目標とした「金メダル5個、全階級メダル獲得」には及ばなかったものの、金メダル4個・銀メダル1個を獲得。女子レスリング王国・日本の強さを、改めて国内外にアピールした。

 吉田は昨年12月、アテネ五輪の翌年から所属していた綜合警備保障株式会社(ALSOK)を退社。フリーとなってオリンピックイヤーを迎えたものの、腰や股関節などを次々と痛め、さらにぜん息も悪化。アテネ五輪、北京五輪、ロンドン五輪の3大会と比べ、コンディションが最悪だったことは間違いない。それでも吉田は、「主将を引き受けると好成績を挙げられない」というジンクスを知りながら、日本代表選手団の主将を引き受け、自らを追い込み、奮い立たせた。

 そして、7月3日に行なわれた日本代表選手団結団式・壮行会では、1万人を超す応援者を前に、「いただいた勇気は、リオデジャネイロオリンピックで国民のみなさんに返さなければいけない」と決意表明。さらに、「いいときも悪いときもあるが、どんな状態でも必ず勝つ。オリンピック4連覇は絶対に成し遂げます」と誓った。

 リオまでの吉田は、優勝して「世界V16」を遂げたものの苦戦した昨年の世界選手権の教訓を活かし、徹底してガードを磨いてきた。同時に、「打倒・吉田」を目指す各国から研究され尽くした"伝家の宝刀"の高速両足タックルが入りづらくなっていることを補うため、投げ技やグレコローマンスタイルのように組んでからの戦い方を磨いてきた。そうした練習の成果は、リオでも確実に発揮された。

 大会初戦となったナタリア・シニシン(アゼルバイジャン)には、崩してからの片足タックルなどで4−0のシャットアウト。続く第2試合、2016年・アフリカ選手権優勝のイザベル・サンブ(セネガル)には、組んだ状態からバックに回って返し技3連発などで9−0と圧勝。さらに準決勝でも、五輪直前の大会から順調な仕上がりを見せているベツァベス・アルゲリョ(ベネズエラ)に片足タックルを決める一方、相手がタックルに入ってきたところもバックに回って6−0。3試合失点ゼロで決勝戦へと駒を進めた。

 あと1勝すれば、前日の58キロ級・伊調馨に続いてオリンピック4連覇達成の夢が叶う。ところが、好事魔多し。第1ピリオド、対戦相手のヘレン・マルーリス(アメリカ)の消極性から30秒ルールで1点を奪取し、1−0のまま試合は進む。しかし第2ピリオド後半、吉田が首投げを打ちにいったところを逆にバックに回られて2失点。さらに、ハルーリスが圧力をかけ続けると後退し、ゾーン際でまたしてもバックを取られて2点を奪われる。

 結果、1−4でタイムアップとなり、4連覇の夢は断たれた。試合後、吉田は「勝てると思ったのに、落とし穴にハマった」と語り、「申し訳ありません。ごめんなさい」と何度も謝りながら涙を流した。

 敗れたとはいえ、吉田は2014年に亡くなった父・栄勝(えいかつ)氏の教えを守り、積極的に攻め続けた。しかし、決勝では最初の片足タックルでポイントを奪えないと、その後の2回の片足タックルも不発。それが、4連覇のプレッシャーなのか、年齢からくる肉体的な問題なのか。即断はできないが、吉田対策を十分に練り、タックルの防御を磨いてきた相手に通じなかったことだけは間違いない。

 決勝で敗れ、2位に終わった吉田にとって、表彰式は残酷である。3位決定戦を制し、勝って終わって意気揚々と銅メダルをもらいに行く2選手に続き、53キロ級を制して会場中から拍手・喝采を受けながら満面の笑顔で行進するチャンピオン。最後に、試合で敗れたばかりの吉田が涙を流しながら歩き、表彰式へと向かっていく。

 表彰台に上がった吉田は、正面、そして左右、最後に後ろの観客に向かって深々と頭を下げた。2002年、ギリシア・ハルキスで行なわれた世界選手権で初優勝を遂げたときから14年、長きにわたって続いた超ロングランの芝居の幕を下ろす女優のように。

 不世出のアスリートが輝き、レスリング界のみならず、日本のオリンピックスポーツをリードしてきた"ひとつの時代"が終わった。

 同時に、ひとりの天才の"妹分"たちが、2年後、2020年・東京オリンピックに向けて主役となって突き進む"新しい時代"が始まった。

 川井は大学入学時から、「打倒・伊調馨(いちょう・かおり)の一番手」と見られていた。しかし、「伊調先輩を倒す前にオリンピック!」と決意し、自らの階級を変更。58キロ級から63キロ級にアップし、オリンピック予選を兼ねた2015年・世界選手権に出場すると、決勝戦で敗れたものの2位となって見事にオリンピック出場権を獲得。大学4年生で憧れの舞台に立った。

 初戦から川井は、初出場とは思えぬ堂々とした戦いで、ロンドン五輪5位のモニカ・ミチャリク(ポーランド)を5−0で撃破。第2試合でも、ヨーロッパ選手権で過去4度優勝のアナスタシア・グリゴリエワ(ラトビア)にまったく危なげない試合で8−2。そして準決勝では、ロシア選手権を制して代表の座を射止めたインナ・トラズコワ(ロシア)に両足タックルを炸裂させ、さらにローリングも極(き)めて2分10秒テクニカルフォール勝ちを収めた。

 大先輩の吉田沙保里が敗れ、日本人だけでなく、世界中から集まった観客が騒然とするなかで行なわれた63キロ級・決勝戦。21歳の新鋭は、マリア・ママシュク(ベラルーシ)相手に両足タックルや片足タックルで攻め込み、バックを奪って6点を獲得する。一方、持ち前の反応のよさで、敵に足を触らせることすらない完璧なディフェンスも披露。前日の登坂、伊調、土性から受け継いだ「最後まで攻め続ける」意志を発揮し、初のオリンピックで金メダルを獲得した。

「表彰台からの景色はとっても不思議。何度も見たい景色でした」と、金メダルを手にした川井は笑顔で語る。1993年生まれの登坂絵莉、そして1994年生まれの土性沙羅と川井梨紗子――。オリンピック初出場・初優勝を遂げた彼女たちの飛躍に、日本レスリング女子の新たな幕開けを感じた。

宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki