「山田くんの座布団、実は自前説」不確かな「笑点」50年目トリビアを追う

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ここで50周年を記念いたしまして、なぞかけをひとつ。
「『笑点』とかけまして、唐辛子と解きます」そのこころは……
「七色の味わいです」
あっ!山田忘れた!
(『笑点五〇年史 1966-2016』前口上:桂歌丸)

1966年の放送開始以来、今年で50年を迎えた『笑点』(日本テレビ系)。メモリアルイヤーを祝うべく「笑点 放送50周年特別記念展」が開かれるなど、これまでの『笑点』を振り返る動きも出てきた。

しかし、さすがに半世紀も経つと「記録に残っていない」「誰も覚えていない」「みんな言ってることが違う」という出来事も起きる。そこで『笑点五〇年史 1966-2016』から「真相が不明のままの笑点トリビア」をピックアップしてみた。


誰が「座布団システム」を考えたかわからない


『笑点』には前身となる番組がある。立川談志が企画を持ち込み、1965年3月にスタートした『金曜夜席』だ。演芸と大喜利を柱とした構成や、高座を模したセット、大喜利コーナーでの「いい答えには座布団をあげ、10枚たまったらご褒美」というシステムもこの当時にできあがっている。50年間、基本コンセプトは全くブレていない。

さて、この座布団をあげるシステム、誰が考えたのかがはっきりしていない。『金曜夜席』のプロデューサーだった小暮美雄氏が「寄席で演者ごとに座布団を裏返す所作にヒントを得た」というのがスタッフの間では通説。一方、大喜利をメインに構成したのは談志のアイデアであり、座布団のシステムも談志は「自ら考えた」と語っていたそうだ。

放送開始から1年後。『金曜夜席』は深夜帯から日曜夕方へ移動し、番組名を『笑点』に変える。『笑点』の名前の由来も2つの説があり、ひとつは「笑いのポイント」を漢字2文字で『笑点』と表したというもの。もうひとつは、当時流行していた三浦綾子の小説『氷点』をもじったというもの。

もし後者だとしたら、ダジャレが50年間残り続けていることになる。現代に置き換えるなら、『3年B組金八先生』をもじった『万年B組ヒムケン先生』がこの先50年続くようなものだろうか(そのころ日村さんは94歳に……)

山田くんの「赤い座布団」の出処がわからない


♪パッパラパラパパ〜パッパッ、でお馴染みの『笑点テーマ』が誕生したのは1969年。作曲は『上を向いて歩こう』等を手がけた中村八大。曲があまりにノリノリだったため、レコーディングはアドリブが飛び交い、最後の「パフッ!」も即興でついたものだった。

実は『笑点のテーマ』、最初の1年は歌詞があった。作詞は2代目司会者でもある前田武彦。しかし音源が残っていないので、正確な歌詞がわかっていない。『笑点五〇年史』には林家木久扇の証言を元にした歌詞が2番まで掲載されている。1番の出だしは「ゲラゲラ笑って見るテレビ〜」で、最後は「それはご存知 それはご存知 笑点〜だぁよ」だそう。

テーマソングと並んで『笑点』を象徴するのが「座布団」。ひとつ作るのに2ヶ月かかる、正方形ではなく長方形、全部で60枚を用意(1名が10枚、5名が9枚、予備5枚)、地方収録の時は全部持っていくので一番かさばる、お手入れは短時間の天日干しか長時間の日陰干しなど、数々の座布団トリビアの中に、気になる記述がある。山田くんの座布団だ。

座布団運びの山田くんが持っている座布団は着物と同じ色の「赤」。用意された60枚の座布団とは別のもの。この座布団について記録が残っていない。古参スタッフに聞いてみると「あれ?発注した記憶がない……自前なんじゃない?」という回答。

『笑点五〇年史』収録の笑点メンバーインタビューには、山田くんも答えているのだけど、この件については記述無し。これ以上笑点に謎を残さないため、ぜひ一度はっきりさせてほしいところだ。

『笑点』は全国ネットで日本一の長寿番組……ではない


もちろん、記録に残っている出来事も数多くある。『笑点五〇年史 1966-2016』は、歴代司会者&歴代メンバー&歴代座布団運びの紹介、過去の名勝負や座布団10枚の商品、コスプレコレクション、演芸コーナー常連からのコメント、巻末の50年一挙プレイバック(各年写真つき!)などが収録され、読み応え充分の内容だ。

それにしても50年も続くとは、さすが日本一の長寿番組!……と言いたくなるが、実は『笑点』は2位。

全国ネット番組では『キューピー3分クッキング』(日本テレビ系)のほうがご長寿だそう。1962年スタートで今年は54周年。笑点メンバーよりもキューピー先輩のほうが4つ上なのだった。
(井上マサキ)