東海道本線に残る勝手踏切

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 近年、交通渋滞の原因などと言われ、廃止が相次いでいる踏切。全国にはまだまだ数多くの踏切が存在している。先ごろは、京都府宇治市が市内に5か所ある勝手踏切と呼ばれる非正規踏切を封鎖したことが話題となった。『踏切天国』の著作があるフリーライターの小川裕夫氏が、とかく邪魔者扱いされがちな踏切の歴史と今についてリポートする。

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 鉄道マニアには、たくさんの種族が存在する。乗るのが好きな乗り鉄、写真を撮るのが好きな撮り鉄、模型をこよなく愛する模型鉄etc…。それだけの派閥が形成されて複雑化している鉄道マニアなのに、さらに同じ乗り鉄でもJR派、私鉄派、SL派、貨物列車派といったように細分化されている。撮り鉄も同様だ。

 鉄道マニアがカバーする範囲は、とてつもなく広く、深い。それでも、絶滅危惧種のような派閥も存在する。それが踏切に魅せられている派閥だ。

 一般人にとって、踏切は「開かずの踏切」に代表されるようにイラっとさせられるといった印象を抱きやすい。また、鉄道マニアにとっても踏切は興味の対象になりづらいらしい。車両や駅舎を撮影している撮り鉄は頻繁に見かけるが、踏切を撮影しているマニアを見かけることはほとんどない。

 一般人にも鉄道マニアにも見向きもされない踏切だが、生活に密着しているという点では車両や駅と同等に存在感は大きい。

 7月28日、京都府宇治市はJR奈良線沿線にあった勝手踏切を半強制的に封鎖した。勝手踏切とは、鉄道事業者や道路管理者が設置した正式な踏切ではなく、地域住民が往来を便利にするために自分たちで設置した私設の踏切のことをいう。

 従来、線路と道路の交点に設置される踏切は、個人が自由に設置することはできない。それどころか、道路交通法によって正式な踏切でも新しく設置することは原則的に禁止されている。最新の踏切は、2010(平成22)年に阪急電鉄の西宮北口駅の南に特例的につくられた踏切で、近年は数えるぐらいしか踏切は新設されていない。

 正式な踏切でさえ新しく設置することは難しいにも関わらず、なぜ勝手踏切は存在するのだろうか? その理由は、昭和30〜40年の割とおおらかな時代につくられて、それが長年にわたって慣習的に利用されてきたからだ。

 先述した宇治市の勝手踏切も、長らく地元住民が使用してきた。それだけに勝手踏切の廃止を行政が通告しても、地元住民たちは生活に必要だからといった理由で存続の署名を集めていた。住民にとって勝手踏切は生活インフラそのものだった。

 勝手踏切をめぐる鉄道事業者・道路管理者と地域住民との諍いは、宇治市だけに限った話ではない。日本全国に国土交通省が正式に認めた踏切の数は、約3万3000。対して、勝手踏切の数は約1万9000もある。日本の大動脈でもある東海道本線にも、勝手踏切は多数存在する。

 しかし、勝手につくられた踏切なので警報機や遮断機のような安全設備はない。列車が近づいてきても、横断者が注意するしか術がない。そうした勝手踏切に対して、国土交通省はどのように見ているのだろうか?

「勝手踏切は踏切ではありません。なので、国が安全対策を施すことはありません。とにかく、廃止・封鎖することが第一です」(国土交通省鉄道局施設課)

 国土交通省の言い分は、正論と言えば正論なのかもしれない。しかし、実際に1万9000もの勝手踏切が存在し、行政は頭を悩ませている。勝手踏切の存在は、国会でも取り上げられるほど社会問題化しているのだから、なにかしらの安全対策が必要のようにも思えるのだが…。

「勝手踏切を使用しないように、鉄道事業者や道路管理者が注意喚起の看板を設置するなどの対策はしています。勝手踏切は踏切ではないので、これらを廃止するための補助金などは計上していません」(同)

 勝手踏切対策は、鉄道事業者や道路管理者に丸投げされているのが実情のようだ。

 その一方で、国土交通省は正式な踏切の数をとにかく減らすことに躍起になってきた。近年、踏切数を減少させるために連続立体交差事業に力を入れており、特に東京・名古屋・大阪といった都市圏では高架化・地下化による踏切の除去は急速に進んでいる。

 連続立体交差事業は交通渋滞の解消、線路で分断されていた市街地の活性化、踏切事故の防止などが大義名分として掲げられているので、住民からの反対が出にくい。

 踏切廃止は鉄道業界の潮流であり、日本全土から次々に踏切は葬られていった。特に、2005(平成17)年頃には開かずの踏切が社会問題化したこともあって、踏切廃止の流れは一気に加速した。最近はペースが鈍っているとはいえ、国土交通省は年間1000件ペースで踏切を廃止していたこともあり、踏切は社会全体から爪弾きにされた。

 そんな嫌われ者の踏切でも、特別な思いを馳せる人たちは決して少なくない。

 八高線の高麗川駅は近隣に太平洋セメントの工場があり、2001(平成13)年まで貨物列車が行き来していた。専用線廃止後、地元の埼玉県日高市は線路跡地を譲り受けて遊歩道として整備。遊歩道には、往時を偲ぶ踏切が残されている。

 同じく阪神電鉄は本線の一部区間を2001年に高架化。そのことで不要になった踏切は、地元に引き取られて近所の公園に移設されている。公園内には、特に踏切について説明する看板などは見られないが、そこに踏切があったことを後世に伝えようとする思いは感じられる。

 このほかにも、町内会や自治会、商店街で踏切を引き取って記念碑的に踏切を残しているケースがある。

 急いでいるときに開かずの踏切につかまって、歯がゆい思いをしたことがある人は多いだろう。心の中で「踏切なんて、なくなってしまえ」と毒づいた経験は誰もが持っているだろう。

 しかし、いざ踏切がなくなると、途端に寂しくなる。まるで、大事なあの人のような存在――それが、踏切なのかもしれない。