「3位決定戦で負けて4位になるのは、どんな気分なんだろう」と、錦織圭は"オリンピック選手"としても大先輩にあたる、松岡修造氏に尋ねたことがあるという。

 通常は、負けた時点でその大会は過去として置き去りにし、次の戦いが待つ町へと旅立つのが、テニスプレーヤーの日常だ。そんな習性が身体の芯まで染み込んでいる彼らにとって、3位決定戦はあまりに独特なシステムであり、ゆえにもっとも"オリンピック"を感じる戦いなのかもしれない。

 トロントとシンシナティで開催される、ふたつのマスターズ大会に挟まれたリオデジャネイロ五輪に出るということは、スケジュールや体調面で大きなリスクを伴うものでもあった。ましてや錦織は、ウインブルドンで左脇腹の痛みのために、4回戦途中で棄権している。しかも今回のリオ五輪では、勝ち進んでもランキングポイントは得られない。それらの状況を考慮し、出場を辞退した選手も少なくはなかった。

 そのオリンピックに出る理由を、錦織は、「子どものころから夢見た場所だから」と端的に明言した。彼をよく知る人たちも、「メダルを本当に欲している」と口をそろえる。

 他競技のトップアスリートたちとの交流も、錦織が五輪で望んだことのひとつ。残念ながら、「話してみたい」と言っていたゴルフの松山英樹の姿はリオになかったが、以前から交流のある陸上の桐生祥秀との再会も楽しみにしていた。

 もっとも、実際には錦織こそが、他の多くのアスリートたちが会いたがっていた選手だろう。今回は開会式の参加を見送った錦織だが、会場に向かう日本選手団の"見送り"には行った。すると、たちまち選手たちに囲まれて、「一緒に写真を撮ってほしい」と求められたという。戦い慣れたツアーとは異なる熱気と景色に包まれて、リオでの錦織はメダルを追っていたのだろう。

 そんな錦織が、負ければ手ぶらで去ることになる3位決定戦で戦った相手が、ラファエル・ナダル(スペイン)だというのも、どこか運命的な巡り合わせだ。

 ナダルとは錦織にとって、自身の成長を測る物差しのような存在である。

 初めて両者がボールを打ち合ったのは、錦織がまだ16歳のとき。当時すでに、若き"赤土の王"としてクレーコートを支配していたナダルが、全仏オープン決勝前日の練習相手に選んだのが、錦織だったのだ。この練習後、ナダルの伯父でコーチでもあるトニーは錦織のコーチに、「彼は将来、トップ10になる」と告げたという。対する錦織は、「打つだけでラケットが弾かれそうになる。全然相手にならない」と、世界の頂点との距離を悟った。

 公式戦での初対戦は、その2年後に実現する。当時18歳のツアー新参者は、敗れはしたが、ナダル相手にフルセットの熱戦を演じてみせた。

「彼は将来トップ10、いや、トップ5になる。僕が保証する」

 2年前に伯父が口にした予言めいた言葉を、今度はナダル本人が裏書きする。ちなみに、この初対戦から2ヶ月後、ナダルは北京オリンピックで金メダルに輝いた。

 マイケル・チャンをコーチに迎え、躍進のシーズンとなった2014年。錦織はナダルに2度挑み、跳ね返されるも、そのたびに手応えを自信に変えていった。

「対ナダル戦」の初勝利はその翌年、実に8度目のチャレンジで掴み取る。このときの錦織は、ナダルの慧眼(けいがん)を証明するかのように、世界の4位に座していた。一方のナダルはケガや病から復帰してまだ日が浅く、当時のランキングは9位。それでも、長年仰ぎ見たナダルから得た勝利は、自分が今いる地位に相応しい選手だとの自信を、錦織に植えつける。

 だからといって、両者の成長曲線は交錯したわけではなく、その後はナダルが2連勝。肩を並べた、あるいは追い抜いたかと思った瞬間、ナダルはふたたび錦織を突き離しにかかっていた。

 通算11度目となったオリンピックでの一戦も、そのようなふたりの足跡を映すような戦いとなる。今大会はダブルスにも参戦し、すでに金メダルも手にしたナダルは、さすがに疲れの色が隠せなかった。そのナダルに対し、錦織は過去の対戦で感得してきた攻略法を実践する。つまりはボールの跳ね際を捕らえ、速いタイミングで打ち分けること。第1セットは、錦織が6−2で奪い取った。

 第2セットも錦織は攻撃の手を緩めず、5−2と大きくリードし、勝利まであと1ゲームに迫る。だが、長いキャリアのなかで多くのケガを経験し、そのたびに噴出する懐疑的な声を結果で封じてきたナダルは、ここでも安易な降伏を拒絶した。激しくコートを蹴ってボールを追い、最後の一歩を必死に踏み出し、全身をしならせて左腕を振るう。驚異の反撃で錦織の背を捕らえたナダルが、タイブレークの末に第2セットを奪い返した。

 完勝の筋書きから一転、どちらに転ぶかわからぬ激闘へとシナリオを書き換えられた錦織に、落胆がなかったはずはない。だが、最終セットを迎えたとき、彼が己を信じる根拠としたのは、「ファイナルセットは、いつも粘って勝てている」という、積み重ねてきた日々で築いた実績だったという。

 第3セットでの錦織は、遠い先を見るのではなく、目の前の一打一打に集中する。その蓄積が第4ゲームのブレークを生みだし、その後も慎重かつ大胆に、サーブとストロークを連ねていく。

 試合開始から、2時間49分。対ナダル戦2勝目を錦織にもたらしたサービスウイナーは、この日彼が手にした、106本目のポイントであった。

 オリンピックとは錦織にとって、出るたびに「自分を成長させてくれる場所」なのだという。今大会で彼は、その夢舞台特有の一戦において、これまで常に自分の成長を測ってきた存在を破って制した。

 結果、手にした栄光は、銅色に輝くメダル――。それは、たしかな強さと進化の証(あかし)であり、同時に、目指す高みはこの先にあることを告げる"マイルストーン(距離標識)"でもあるはずだ。

内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki