萩野公介にとってリオ五輪最後のレースとなった、200m個人メドレーで銀メダルを獲得した。その表彰式を終えて記者の前に立った萩野の表情には、怒りの色が浮かんでいた。それは自分に対してのものだった。

 競技初日の400m個人メドレーでは、自己記録を大幅に更新して金メダルを獲得した萩野だが、3日目の200m自由形決勝では実力を出し切れず、準決勝よりタイムを落として7位。その翌日の800mフリーリレーでは松田丈志や小堀勇気、江原騎士とともに銅メダルを獲得したことで、勢いに乗り200m個人メドレーへ。憧れの存在でもあるマイケル・フェルプスと戦える、待ち望んだレースだった。

 ところがそこには意外な展開が待っていた。前夜の準決勝では第1組で、2種目目の背泳ぎから抜け出し独泳になる展開だったものの、第2組でフェルプスやライアン・ロクテ(アメリカ)、ティアゴ・ペレイラ(ブラジル)が好記録を出し、彼らに遅れをとる4番通過で決勝は6レーンに回った。

 そして決勝でも、平井伯昌コーチが「リレーが終わって昨日から泳ぎがちょっと重くなり、午前中に休んでも戻らなかったので心配していました。高地合宿の終盤から、背泳ぎとバタフライのスピードが上げられなかったのも気になっていました」と言うように、最初のバタフライは少し重い感じでスピードが乗らず、3位で通過した。

 もうひとつの不安要素だった次の背泳ぎもいつものように伸びず、追い上げてきた藤森太将にもかわされて5位でのターン。それでも最後の自由形では萩野らしい追い上げを見せて2位に上がり、銀メダルを獲得したが、タイムは自己記録より遅く、優勝したフェルプスには大差をつけられていた。

「タイムは遅いので、それ以外何もいうことはないと思います。スピードが出ていなかったことが原因だと思いますが、やっぱり強さが足りないというのはすごく思いました。それは肉体的にもそうだし、精神的にもそうだと思います」

 萩野は記者から質問を受けると一瞬考え、自分に言い聞かせるかのようにひとつひとつの言葉を口にした。

「フェルプス選手は僕の永遠の目標であり、永遠のスターです。そんな彼ともう少しいい勝負をする準備や、そうでありたいとずっと思ってずっとトレーニングを積んできたので、それができなかった悔しさというのがすごくあるし、自分の実力不足がその最大の要因だと思っています」

 萩野が痛切に感じたのは、複数種目を戦う難しさだ。400m個人メドレーで戦う準備は十二分にできていたが、200m種目で戦うためのスピードが足りなかった。

「1日、1日を戦うという難しさですね。簡単なようで難しいと思います」と言う萩野が感じたのは、国内で戦うレベルと世界でのレベルは遥かに違っていたということだ。

「精神的なタフさと肉体的なタフさが求められる中で、最後までしっかりと自分の実力を出し切るということができなかったのだと思います。確かに今の実力の100%、120%は出し切れたと思います。でもロンドン五輪からリオまでの4年間の、1日、1日の練習で培ってきたものを120%ここに置いてくることができたかというと、『果たしてどうだろうか?』と思うので。やっぱり僕が今一番欲しいのは強さです。どうやればもっと強くなれるんだろうというのは、すごく思いました」

 そんな強烈な思いがあるからこそ、4種目の戦いで手にした金、銀、銅の3個のメダルについても、「メダルは付加価値に過ぎない」とまで言うのだろう。一方では、「こうやって4年に一度の大舞台で、世界の強豪スイマーたちと一緒に泳げたということは本当に幸せですし。だからこそもっといい泳ぎをしたかったというのはあります」と語る。

 そんな萩野について、平井コーチはこう言う。

「今年は5月から海外に出たのは、今まで世界大会で優勝できていなかった萩野だからこそ海外で合宿や試合をして、知り合いを増やしてもらいたいと思ったからです。『いつもアジアか日本国内でしか泳いでないな』ではなく、世界の選手たちに顔を知られるようにしなければいけない。それが東京五輪で複数の金メダルを獲るためにも必要なことだと考えました」

 そんな経験をしたからこそ萩野も世界の選手たちが戦っている環境を知り、強さを追求しようとする気持ちが一気に高くなったのだろう。

「今回の五輪の収穫としては、課題が残ったというのが一番大きいと思います。素直に喜ばなければいけないというのも、悔しい思いというのもあって......。贅沢だと言われるかもしれないけど、自分がもっともっとできたんじゃないかな、と思う五輪でした」

 萩野には2013年の世界選手権で、リレー1種目を含めた7種目に出場したという経験があるが、あの時は挑戦することに意義を求めていた。だが今回のリオでは、4種目すべてで金メダルを狙うという、挑戦ではなく戦いにいったものだった。

 だからこそ見えたもの。それが彼にとって間違いなく大きな収穫だった。

折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi