(左から)こうの史代氏、かわぐちかいじ氏

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 『沈黙の艦隊』『ジパング』『空母いぶき』などを手がけるかわぐちかいじ氏と、『夕凪の街桜の国』そしてこの秋映画も公開予定の『この世界の片隅に』の原作を生みだしたこうの史代氏の2人の漫画家が、7月に広島の比治山大学で 講演を行った。広島県出身という共通項はあったが、はじめて対談したお二人に、講演後独占インタビューを行ったので、その模様をお伝えする。

■取材への拘り

――講演お疲れ様でした。講演では互いの作風や作劇論といったテーマでお話が広がりましたが、お2人の作品に共通する取材の綿密さについて、まずお話を伺えないかと思います。

かわぐちかいじ(以下、かわぐち):僕は『沈黙の艦隊』を描くようになってはじめて海外取材に行けるようになりました。それまでは手元の資料で何とか調べて描くということしかやってなかったんです。ただ、そこで感じたのは、現実を知ってしまうと描けないことも出てくるな、ということです。知らないから想像の翼を広げることができるという面もあると思います。

 そこは考えどころではあるのですが、一つ言えるのは「知って描く方が楽しい」ということですね。知らないで描くと不安で不安で仕方がなくなりますから。知ってる方が色々と面倒くさいこともありますが、やっぱり楽しいですよね(笑)。その楽しさは作品に表れてきます。

こうの史代(以下、こうの):たしかに知らずに描くと線に迷いが出ますね。

――『この世界の片隅に』のアニメ映画化を進めている片渕須直監督にお話を伺ったことがありますが、こうの先生はそれこそ鬼のように取材をされて描いているのではないかというふうに仰っていました。

こうの:どうでしょうか……ただ実際の戦争をテーマにした物語は、嘘を書いてしまうとそれは信用問題になってしまうんです。現代は昔のように嘘(フィクション)として楽しめる時代ではなくなってしまっているという面もあります。そして、戦争を経験された方が語る体験談をわたしたちがうまく継承できるか、ということを私たちが示さなければならない時代だと思うんですね。漫画というのは基本的には嘘なんですが、それでもあからさまな嘘、つまり彼らが言いたかったことを曲げてしまうようなことがないように、そういう礼儀は尽くさなければいけないと思って『この世界の片隅に』は描いていました。

――漫画に登場する人物たちはフィクションだけれども、彼らの背後に居たであろう実在の人々の思いを汲むということですね。

こうの:そうですね。その人たち、あるいはその子どもやお孫さんたちが、そうだった、あるいはそうじゃなかったんじゃないか、と語るきっかけになればいいなと思っています。あとはかわぐち先生が講演のなかで仰ったように、自分のなかで考えつくことというのは限りがあるので、そのときに取材したものを取り入れることで自分にない意外性が作品の中に生まれてくると思いますね。

■時代との関わり

――先日、広島ではオバマ大統領が歴史的な演説を行ったばかりですが、こうの先生の『夕凪の街 桜の国』『この世界の片隅に』をはじめ、お2人の作品は広島や呉を舞台にしたものもあり、そしてテーマが時代性を持ったものだと感じています。『沈黙の艦隊』は国会審議のなかでも取り上げられたことも非常に印象に残っています。

かわぐち:今、自分の漫画を読んでくれている世代の人が、何を考えながら生きているか、というのはすごく気になります。例えば『沈黙の艦隊』のときはソ連崩壊直前の、冷戦がまもなく終わるという時代の作品でした。連載中にソ連が崩壊して、アメリカの一極支配が懸念されたころです。冷戦構造のなかに日本は組み込まれていて、ある意味楽だったわけです。「共通の敵」が居なくなって、これからアメリカとどう向き合っていくのか? 日本は敗戦国だったという認識が改めて露わになっていく――そんな共通の不安感が空気としてあって、書店に行っても、そんなテーマの本ばかりが並んでいる。そんな状況に対して、漫画で何かを表現することで、自分自身も不安感を払拭したい、という思いがありましたね。

こうの:なるほど、そうだったんですね。

――そんな思いで描いた作品がある意味、時代の先を行っていたわけですね。

かわぐち:『空母いぶき』も中国の脅威を描いていますからね。仮に尖閣諸島に軍事侵攻してきたら、日本は、自衛隊はどう対応するのか、ということを自分で考えてみて、自分なりの答えを示したいと思っています。根っこにあるのはやはり「不安を払拭したい」という思いですね。

――こうの先生の作品は、例えば原爆投下という史実を取り上げながらも、その時代の「日常」がリアルに描かれています。『この世界の片隅に』では、登場する料理を再現するイベントが開催されたほどです。先ほど、「語るきっかけに」というお話がありましたが、そこまでその時代のディテールを描く動機はどこにあるのでしょうか?

こうの:『この世界の片隅に』は主婦が主人公だというのが一番大きいのですが、私自身がそういうことを知りたかったということがありますね。なので、配給日誌などを参考にして、どういうものが、どのくらいの量、配られていたのか、というところから、レシピを割り出していきました。広島市と呉市が舞台となっていますが、方言も違っていて主人公のすずは苦労します。そういったところも注意して描いています。

漫画って刊行されても半年くらいで絶版になってしまったりするんですね。だからその漫画自体の時代背景も大事ですが、先ほどかわぐち先生が仰ったように、刊行されたそのとき、その瞬間にその時代の読者にどう受け止められたか、というのも大事だと思ってます。

しか漫画が映像になるということ

――お2人の作品はこれまで映画、ドラマ、アニメ化されたものも多くあります。綿密に現実から取材を行う漫画家として、映像化についてはどんなふうに捉えておられるのでしょうか?

かわぐち:うーん、あんまり気にしていないですね(笑)。もちろんあまりにもクオリティが低いのは困りますが、皆さん頑張っておられるというのが伝わってくれば、それでいいと思います。基本線を変えなければ、「どうぞお使いください」という感じですね。

こうの:もう漫画としては一度世に出ていますからね。そこまで関心がないというか、映像作品はそれを手がける人のものですから。

かわぐち:でも関心はないと言いながら、自分のキャラクターが動くとやっぱり感動しますよ。こっちは動かさないで、講演で話したように動きの途中を省いて描いていますから。映像は省略できませんからね。アニメーターって、キチッと肉体を描いていますよね。こっちは肉体を精密に描かなくても、それらしく描いていれば大丈夫なんだけど――。

――まさに記号として描いているというお話に通じますね。

かわぐち:もともとは記号として描かれた人間が、どういう肉体を持っているか、ということをきちんと描かないと、アニメとしては成立しないので、実際に動いているものを見ると感動するし、ビックリしますよね。

こうの:わたしはまだ『この世界の片隅に』のキャラクターに声が入ったところを見ていないから、それも楽しみです。『夕凪の街 桜の国』が実写化されたときは、「このセットが漫画になるときにあれば、参考にしたのに!」と悔しかったです(笑)

かわぐち:鼻の表現とかも難しいからね。動いている中でも矛盾がないようにしながら、それでいて、漫画のテイストも残すという努力はすごいなあと思います。

――片渕監督がそのディテールをまさに構築中の『この世界の片隅に』の映画をわたしもとても楽しみにしています。本日はありがとうございました。

 綿密な取材を続け、時代との関わりを意識しながら、想像の翼を広げるという2人の漫画家への短時間のインタビューだったが、短い言葉の中にも創作への熱量を強く感じさせるものだった。この秋公開される映画『この世界の片隅に』、そして、いよいよ時代の先をまた描いている感が強くなった『空母いぶき』の展開に期待したい。<後編了>

取材・文=まつもとあつし