ずっとプリンスではいたいと語るが…「氷川きよしとして、腹をくくってやってます」

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あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』。

第27回のゲストでタレント・俳優の彦摩呂さんからご紹介いただいたのは歌手の氷川きよしさん。

それまでの演歌のイメージを一変させ、デビュー時からヒット作を連発し話題を呼んだ“演歌界のプリンス”も30代後半の年齢となり、今、思うことは…。この世界に入るきっかけから運命の巡り合わせを振り返ってもらったーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―お忙しいところ、今日はお時間いただき本当にありがとうございます。

氷川 いえ、こちらこそよろしくお願いします。なんか、すごく良い声してらっしゃいますね。

―そんな風に言っていただくとはお恥ずかしいです(照)。

氷川 ほんと大人のいい声、憧れますよ。説得力があるっていうか、聞き惚れちゃうなって。

―いやいや(笑)…それで今回、友達の輪を繋ぐというコンセプトでガチでやらせていただいてまして。彦摩呂さんからのご紹介なんですが…。

氷川 素晴らしい企画ですね! 彦摩呂さんが自らの指名で僕に? 嬉しい! 彦さん、もうおつきあい長くて。最初、デビューした年ですね。番組で共演させていただいて。

なんか「奥様が好きな歌手に会う」っていう企画で、僕が登場したら、その奥様が号泣して。その時のアテンド役が彦摩呂さんだったんです。それからすごく仲良くさせていただいています。なんでも話を聞いてくれたり、本当に面倒見がいいし、人柄が最高の方なんです。

―素(す)が変わらない印象ですよね。裏表がないというか。

氷川 そうです、裏表が全然ない方で。いつも明るくてテンションが一定なんですよ。だから僕も芸能界に入って、今まで17年間、彦さんみたいになりたい!って目標があって。

こういう仕事してると、どこか頑張りすぎて、表舞台とその舞台裏でちょっと差が出てきたり、テンションが続かなくなったり疲れたりするけど。いつでもすごく人に気を配られて「大丈夫か〜? 元気か〜?」って言ってくれることがすごく励みになっていて。心の余裕がすごくある人なんですよね。

―ほんと気遣いのできる方だなと。…それでメッセージもいただいてまして。

氷川 え!? 僕にですか?

―長文で本当に熱いメッセージを…ちょっと読ませてもらいますね。

「きよしがデビューしてから、すぐの頃、出会いましたね〜! すぐに意気投合して、まるで兄弟のように今まで接してくれてありがとう〜! 今まで本当にいろんなことがありましたが、よく乗り越えてきましたね〜! 僕はいつもすぐ側で、大スターの階段を駆け上って行く、きよしの姿を見てました。いつも元気とパワーを頂き、ありがとう〜! 最近は歌手としても人間としても素晴らしい、魅力的な氷川きよしになってきて惚れ惚れしてます〜! 今まで走ってきたから、これからはゆっくりと歩いてみてはどうでしょうか? ゆっくり歩くことで見えてくる景色もあるよ〜! 何はともあれ、自慢の弟! これからも変わらず宜しくお願いしますね〜! また近々、飲もうぜよ〜〜!」

氷川 優しいですね〜(目にうっすら涙を浮かべ)グッときますね…。嬉しいです。



―ここにもある通り、弟分的な感じで。実は僕が彦摩呂さんと同い年で盛り上がったんですけど。ちょうど、ひと回りくらい下の感じですよね。

氷川 そうなんです、誕生日が彦摩呂さんも僕と同じ9月で…。でも最初、お会いした時はまだそんなにあの迫力ある感じじゃなく(笑)、普通のイケメンのタレントさんっていうイメージがあって。まだ「玉手箱や〜!」とかも全然…。

―“宝石箱”ですね?(笑)

氷川 あ、宝石箱! この前も玉手箱って言ってすごく怒られて…「玉手箱やったら、煙出て歳取るやんか!」って(笑)。「すみませんでした」って謝ったんですけど。

―ははは(笑)。では、一緒に誕生日祝いとか、飲んだりすることも?

氷川 誕生日はないですねぇ。彦さんも忙しいですから。でも年に1回はお会いして「飲も〜」って言ってくださって。

やっぱりタレントさんとか、こういう世界にいる同士だからこそわかりあえる部分ってあると思うんですけど。そこでいつも相談したら、ちゃんと「こうしたほうがいいよ」っていうアドバイスをくださるので。だから本当にお兄さんみたいな部分もあるんですよね。

彦摩呂さんがグルメレポーターをされて、どんどん定着して良くなられていく姿を見て、僕も後輩として成長していかないといけないなっていう励みにもなりました。

―ほんと兄貴分なんですね、面倒見がよくて。

氷川 彦さんは料理も上手なんです! お呼ばれの時は大勢集まるんですけど。ちらし寿司がおいしかったです。すっごいいっぱい肉じゃがとかも作ってくれて「食べな、きぃ、食べな!」って…あ、僕、きぃって呼ばれてるんですけど。関西のお母ちゃんみたいです。で、ソラちゃんっていう、ワンちゃんもいて。

―例のトイプードルですね。お散歩しに行くと引っ張られて、自分がゼーゼー息切らしてると、振り向いて悲しそうな目で見るって。

氷川 そうそうそう! この間も言ってました(笑)。僕、お母様にもお会いしたことがあって、明るくていい方なんです。

―母子家庭で育って、お母さん想いみたいですよね。その分、自分も周りに可愛がられるというか。そういうコミュ力は子供時代から育くまれたみたいで。…そういえば、氷川さんと僕の共通項はひとりっ子っていう…。

氷川 そうなんですか! 大人の中で育ってきて、そこはちょっと疲れますよね。寂しがりやだし。寂しがりや…ですか?

―それも恥ずかしくて自分では言えないですけど…寂しがりやです(笑)。子供の頃は母親に溺愛されて、歳取るとそれもどんどんウザくなって(苦笑)。

氷川 どうしても親からすると子供の頃のまんまになっちゃってるから。



―そうなんですよね。実際、それで甘えん坊なんだけど、それをそのまま出すと人付き合いもなかなかうまくいかないじゃないですか。だから、そこを消して大人になってきた…つもりではあります(笑)。

氷川 そうなんですよね。でも弟さんがいそうな感じがします。

―そうですか? そこが変わってきたところかもしれないですね。僕も結構、兄貴面して後輩とかと一緒に飲んでると言われがちなんで。

氷川 あ、わかります。僕もそうです。誰かと一緒に飲んだりとか。でも僕は弟的に懐くほうが慣れてます。兄貴キャラできないんで。それで彦さんにも完全に懐いてます。

―それはイメージ通りというか(笑)、わかる気がしますね。

氷川 兄貴キャラはできない…というか、弟が楽ですね(笑)。

―ははは、自分が向いてるから楽なんですかね。可愛がられることに慣れてるというか。

氷川 確かにそういう部分が強いかもしれないですね。頼っちゃうっていうか。年上の人がいると安心するんですよ。年下に対しては、何か教えないといけないっていうか、ちゃんと教えられてるかなって不安になっちゃうんで。年上に学ぶほうが気持ち的に楽なんでしょうね。

―逆にそのイメージで見られることが鬱陶(うっとう)しくなったり、しんどいなっていうのは?

氷川 それはないです。でも年齢と共にちょっと厳しくなってきたかなと(笑)。

―ははは(笑)。ちなみに、博多出身ですよね。そこでいうと、印象がまた違って…。

氷川 九州男児ですか? 箇所箇所ではあるかもしれないですけどね。

―ネイティブにはそういうものも秘めてるのかなと。

氷川 そうですね。仕事では、自分でリーダーシップをとらざるを得ない時もありますし。やっぱり責任があるじゃないですか。氷川きよしとして、腹をくくってやってますから。

―そこはやっぱりクリエイティブな部分で。男気も背負ってますか。

氷川 デビューの頃はただ、歌える環境をいただけることが有難くて、がむしゃらに歌う毎日でしたが、デビュー20周年が見えてくると、やはり自分もしっかりしなくてはというところも出てきます。「守っていかなきゃいけない」っていう。

応援してくださるファンの皆様のためにも、氷川きよしをもっと輝かせたいっていうとこは九州男児の部分なのかなって。九州男児の負けん気というか。



―責任であり、こだわりも出てくるでしょうしね。過去のインタビューでは、座長公演をやってるけど、“座長”って言われ方は好きじゃないって発言もされてましたが。その意識も変わりました?

氷川 劇場公演を始めた当時はまだ20代という若輩で、芝居の経験もなく、周りは大先輩の役者さんばかりでしたので、“座長”と呼んでいただくのは恐れ多いと思っていました。

公演数を重ねていく中で、少しは自分に自信もついてきましたし、芝居をする上でいろいろ考える余裕も出てきたので。まだまだですが、やっぱり座長だっていう責任を持つことで、逆に出てくるものもあると思うんです。

失敗することで、また「ちゃんとしないといけない」って学習したり、いろいろ経験を積んで、さらに成長していきたいという気持ちになってきました。だから来年6月の劇場公演も、座長としてのドシっとした気持ちで、今までとまた違った表現の僕を発揮できたらいいなってすごく思っています。やっぱりそれも責任ですよね。

―座長という言葉に意味があるのではなく、中身が大事ですもんね。キャリアを積み重ねて、それこそ従来のプリンス的な氷川きよしとも違うものを…。

氷川 ずっとプリンスではいたいですけど(きっぱり)。

―すみません(笑)。でもそこは保ちつつ、それこそ演歌界全体を引っ張っていく、先頭に立って盛りたてていく役割を今や担ってるわけで。

氷川 先頭なんてとんでもないです。盛り立てていきたいとは思っていますが、僕はただ、よい歌が歌えるよう、自分の中でハードルをどれだけ越せるかとか、昨日の自分に勝つということを常に考えています。結局は自分との戦いなんで…。その人その人の個性があるし、自分は自分の色しかないし。自分自身との戦いでいいのかなって。

やっぱりお客様に喜んでいただくためにっていうところで考えていくのが一番大切な部分で。ファンの方がどういう笑顔で喜んでくださるのかとか、どんな風な想いで応援してくださったのかってことが自分の今後のためにも大切なのかなって思いますよね。

―自分のやれること、やるべきことを積み重ねて、ステージのため、ファンのために?

氷川 そうですね。結局はお客様です。

―それもキャリアを積んでいく中で、そういう考えに行きついたことですか。

氷川 やっぱり長くやって経験しないと、失敗しないとわからないこともあるし。2、3回失敗してわからないことでも、そこでまた習得していくというか。みんなで協力し合って、ひとつのものを作っていくっていう…目標が同じじゃないと、ヒット曲も出てこないと思いますし。そういうことも何年か歌わせてもらっているうちに、なんとなくわかってきましたね。



―あらためて今、自分の立場でしみじみ振り返ってしまうことが?

氷川 やっぱり芸能人とか歌手であっても、ひとりの人間じゃないですか。だから恋愛じゃないけども、スタッフと人間同士、愛し愛されてないと、ただの作業じゃないから、やっぱり愛情がないといい仕事はできないなって思いますよね。

僕はデビューの時に、おかげさまで「やだねったらやだね」って曲(「箱根八里の半次郎」)が本当に北野武監督とか志村けんさんに協力していただいたり、プロデューサーでもある事務所の長良会長がスタッフと一丸となって「やろうぜ!」っていう…今思うと本当に愛情だったんだなって。

ほんと一曲目って、ただ何もない、どこの馬の骨かもわからない僕を会長が拾ってくれて。時の流れとか時流もありますけど、たまたまヒット曲が出てきたりするんじゃなくて、結局、そういう周りの情とか愛情でいいものが生まれてきたりするものなんですよね。

―でも周りにそうやって愛情を注がれて「このコをなんとかしたい」と思わせるのも、持って生まれたものでしょうし。運もあり、巡り合わせもありつつ…。

氷川 そうですね。ありがたいですよね。だからやっぱり感謝して「ありがとうございます」って頭下げて、その積み重ねで花を咲かせることができるんだなって…。わかってるけど、なかなか難しかったりするんですけどね。

―その大きな流れの中にいると時々、自分を見失ったりとか。それこそ天狗になる時もあったかもしれないでしょうが。

氷川 そうならないように常に心掛けたいです。

―そういう巡り合わせでいうと、そもそも入学した高校に芸能科っていうのがあったんですよね。

氷川 今は芸能科になってるんですけど、当時は芸能教室って感じで。週に1回、土曜日に外部のカラオケの先生が教えに来てくださっていう。元々、商業科に入学して、建築とか設計のインテリアデザインを勉強するつもりだったんですけど。その芸能教室が入った年にできたので。

―芸能目的で学校に入ったわけではなかったんですか。

氷川 はい。中学の時はポップス歌手に憧れてて。オーディション受けたりもしてたんですけど、そんな簡単なものじゃないし。芸能界なんか自分とは違う、浮世離れしてるところだから無理かなと思って。

―ちょうどそのタイミングに芸能の課外授業的なクラスが。

氷川 へ〜こんなんあるんだ、せっかくだから入ってみようかなと思って。入ったら、その歌の先生がおじいちゃん先生で、その人の前で僕がロックやポップスを歌ってたら「ちょっとわからない」って言われて。

―はははは(笑)。

氷川 「わしはわからないんで演歌を歌ってくれないか」って言い始めて、みんなが「え?」ってなっちゃって。最初100人ぐらいいた生徒が半分に減って、またそこから半分以下に減ったんですよ。

●この続きは次週、8月21日(日)12時に配信予定!

(撮影/塔下智士)

●氷川きよし

9月6日生まれ、福岡県出身。2000年『箱根八里の半次郎』でデビュー。その若さとルックスで女性ファンを中心に多くの人を魅了、NHK紅白歌合戦にも初出場するなど華々しいデビューとなった。また日本レコード大賞、日本有線大賞などの新人賞も獲得。その後も『きよしのズンドコ節』など数々のヒット曲に恵まれ、“演歌界のプリンス”とも呼ばれるように。現在、今年発売された『みれん心』が20万枚を突破し好評発売中。2017年6月2日〜30日には明治座で特別公演を控える