“シーズン途中の監督解任”から復活した男たち

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 中日は8月9日、緊急会見を開き、谷繁元信監督の“休養”を発表した。2014年の就任から4位、5位、今年もここまで43勝58敗3分の最下位と奮わず、ついに球団側からクビを切られた形だ。

 近年、プロ野球ではシーズン途中の解任が増えている。昨年はオリックス・森脇浩司監督がチーム不振の責任を取って、6月から休養。現在はシニアアドバイザーになっており、一線から退いた形だ。

 2014年に西武で途中解任された伊原春樹監督も、いまだに指導者としての復帰を果たしていない。かつては名参謀と呼ばれた男だが、やはり途中解任のイメージが払しょくされていないということだろうか。

 2012年9月にシーズン終了を待たずして辞任したオリックスの岡田彰布監督も同様に、現在は評論家として活動している。

 やはり、「監督失格」の烙印を押されれば、その後の指導者生活に大きな影響が出てくるだろう。なぜ、前半戦でもシーズン終了間際でもない8月に? という疑問もあるが、とにかく谷繁監督(休養なので未だに監督の呼称でいいのだろうか……)は大ピンチだ。

 しかし、プロ野球界には“シーズン途中の監督解任”から華麗に復活を果たした男たちもいる。

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■テリー・コリンズ(メッツ監督)

 2007年にオリックスを最下位に沈め、2008年もスタートからつまずき、5月に辞任に追いやられたのはテリー・コリンズ監督だ。

 辞任時の会見では「野球への情熱がなくなった」など意気消沈していたが、2009年にはWBC中国代表の監督に就任し、台湾を破って中国代表をWBC初勝利に導くと、2011年にはメッツの監督に就任した。

 そして昨年、ついにメッツは15年ぶりのリーグ優勝。確かに就任序盤は奮わない時期もあったが、若手を積極起用するなど、チームの地盤を固めていった。

 じつはオリックス時代も金子千尋や小松聖を先発に転向したり、坂口智隆(現・ヤクルト)を粘り強く起用したり、その後のチームに貢献する育成をしていたコリンズ監督。やはり、途中解任をはね返すだけの力、先見の明があったのだろう。

■高田繁(DeNA・GM)

 現在、DeNAで辣腕を振るう高田繁GMも“途中解任組”。思い返せば、2010年5月にヤクルトの監督を辞任している。

 日本ハム監督時代からずば抜けた実績こそないが、着実にチームを改造する手腕はあった。日本ハムGM時代も含め、ヤクルト時代の悪夢はあるが、編成力には一目置かれていた。

 若手陣がキラリと光る現在のDeNA。編成という強烈なウリがあったからこそ、高田GMの今があるのだろう。

■鶴岡一人(元南海監督)

 1940〜1960年代にかけて南海ホークスを常勝軍団に創り上げた親分・鶴岡一人も、じつは休養経験がある。

 2リーグ分裂後の12年間で3位以下が一度もない圧倒的な実績を持つ鶴岡南海だったが、1962年は開幕から大スランプ。8勝25敗1分で最下位に沈んでいた5月26日、「悪い指揮官のいるチームは全滅する」と言い残し、突如休養を発表した。

 しかし、これは鶴岡流の喝。蔭山和夫監督代行のもと、「親分を呼び戻せ」と選手たちは一丸となって奮起。8月には3位に浮上し、鶴岡監督を復帰させたのだった。

「俺たちの監督は鶴岡監督しかいない」

 選手たちの思いが実を結び、南海はその年、2位でシーズンを終えた。

 最下位に沈む中日だが、このときの南海のような発奮を期待したい。「やっぱり谷繁の起用・育成は正しかった」と結果的に語られるような活躍を見せることが、最後の恩返しになるのではないだろうか。

 そして、末筆ながら、谷繁監督の今後益々のご活躍をお祈り申し上げます。

文=落合初春(おちあい・もとはる)

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