『山上たつひこ 漫画家生活50周年記念号』(山上たつひこ/河出書房新社)

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 現在、週刊少年漫画雑誌といえば主に4誌あるが、一番売れているのは『週刊少年ジャンプ』である。ここ10年間はその状況が続いているのだが、昔からずっとそうだったかといえば、実はそうではない。遡ること40年前の1970年代、『ジャンプ』よりも発行部数が上だった雑誌がある。それが『週刊少年チャンピオン』だ。

 この時代の『チャンピオン』には『ドカベン』や『ブラック・ジャック』など、多くのメジャーな漫画が掲載されて雑誌を牽引していたが、『がきデカ』というギャグ漫画もそのひとつ。作者の山上たつひこ氏は同業者のファンも多く、まさに当時のギャグ漫画界の巨匠だった。そんな氏の足跡をまとめたものが『山上たつひこ 漫画家生活50周年記念号』(山上たつひこ/河出書房新社)である。

 山上氏が影響を与えた漫画家は多い。例えば『ジャンプ』の長寿連載漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の作者・秋本治氏は、かつてペンネームを氏の名前をもじって「山止たつひこ」としていたことは有名。さらに本書には著名人が多く寄稿しており、萩尾望都氏や江口寿史氏、高橋留美子氏など錚々たる顔ぶれだ。特に高橋留美子氏は学生時代、文化祭で『がきデカ』に登場した「練馬変態クラブ」の面々が着用していたブリーフを作成して展示したという武勇伝まで披露している。

 ところで『がきデカ』もそうだが、一般的に山上氏は「ギャグ漫画」の大家という印象が強い。しかし貸本漫画誌でのデビュー当初は、SFやサスペンス色の強い作品を描いていた。特に「ベトナム戦争」を舞台にした政治色濃厚な『光る風』という作品は、氏の代表作のひとつとなっている。本人も本書のインタビュー中で「『鬼面帝国』『やってきた悪夢たち』『光る風』。この3作で漫画界のメインストリートに立った」としており、山上氏をスターダムへ押し上げたのはギャグ漫画ではなかったことが分かる。

 ではその転機となったのはいつだろうか。山上氏によれば、それは『父帰る』という作品だったと語る。アシスタントがクスクス笑いながら背景を描いていたと回想し「笑いこそおれの目玉商品やないか」と思ったという。そして『父帰る』の主人公・逆向春助をそのまま登場させた『喜劇新思想体系』は、氏の代表作に数えられることになる。ここからギャグ系の作品が増えてゆき、『がきデカ』の誕生へと至るのだ。

 しかし実際のところ現在の漫画を楽しむ人たちにとって、山上氏の名は聞き慣れないかもしれない。それはある時期から、氏がほとんど漫画を描かなくなったためだろう。それはなぜか。氏は創作活動を漫画ではなく、小説へ転換したからだ。1989年『がきデカ』のアニメ化を機に『チャンピオン』誌上で『がきデカ』の新作漫画を描いた山上氏だったが、それ以降は軸足を小説へと移す。以後、2004年の『中春こまわり君』まで漫画を描くことはなかったのだ。インタビューによれば「鴨川つばめの漫画に、私は戦意すら喪失してそこにへたってしまったのです」とある。「鴨川つばめ」とは、『マカロニほうれん荘』という作品で『チャンピオン』の黄金期を支えた漫画家。才能ある若手の登場に、自身の凡庸さを自覚したのだという。無論、理由はさまざまにあるのだろうが、やはり漫画という創作活動に限界を感じていたことは、そこから離れる大きな要因になったと思われる。

 とはいえ、それをもって氏の残した業績が損なわれることはない。「あふりか象が好きっ!!」などの印象的な一発ギャグは、後のギャグ漫画に大きな影響を与えた。さらにある作家は「山上氏の漫画からは音が聞こえる」というようなことをいっている。特徴的なポーズから繰り出されるリズミカルなネームは、確かに脳内で音になって再生されるのだ。高橋留美子氏は「また先生の新作読みたいです」と語る。私としても、山上氏の気まぐれな創作意欲が漫画に向かうのを気長に待ちたい。

文=木谷誠