『しんでくれた』(谷川俊太郎:詩、塚本やすし:絵/佼成出版社)

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 毎月数え切れないほどの点数が刊行されている絵本。その中には、大人も思わず悲鳴をあげてしまう「怖い絵本」も隠れている。ここでは子どもに独占させておくのはもったいない、選りすぐりのホラー絵本5作を紹介しよう。次のページを開くのが怖ろしい、そんな恐怖を真夏の夜にじっくり味わってほしい。

■心にズッシリ重たいものが残る『しんでくれた』
(谷川俊太郎:詩、塚本やすし:絵/佼成出版社)
 たまたま書店の絵本コーナーで見かけ、タイトルが気になって手にした一冊。

 開いてみてさらに驚愕。毎日の食事をとおして命の重さについて考える、深いテーマの絵本だったからだ。最初に見開きいっぱいで描かれているのは、こちらを見つめる牛の絵。文章はただ一言「うし」だけ。この牛がどうなるのかとページをめくると…そこにもう牛の姿はなく、「しんでくれた ぼくのために」とあってショックを受ける(ページは一面に黒く塗りつぶされ、文字だけ白く浮きあがっているのが、また怖い)。さらにページをめくると、「そいではんばーぐになった」との文にあわせて、湯気をたてる美味しそうなハンバーグの絵が…! 豚も鶏も魚たちもぼくのために死んでくれた。でもぼくはまだ死んでいない。どうしてなんだろう…。

 人間は他の生物の命を奪わなければ、一日たりとも生きていけない。その重い事実をあらためて突きつけてくる作品。カバーに描かれた美味しそうな料理も、本文を読んだ後ではがらりと印象が変わります。大切なテーマを孕んでおり、一人でも多くの人に読んでもらいたいが…軽い気持ちで手に取ると「うわあ」となること必至。

■読むものを狂気の淵に誘う『かがみのなか』
(恩田陸:作、樋口佳絵:絵、東雅夫:編/岩崎書店)
 ベストセラー作家が文を手がけた岩崎書店の「怪談えほん」シリーズは傑作ぞろい。どれを紹介するか迷ってしまうが、ここでは怖さがじわじわと後を引く『かがみのなか』を選んでみた。

 子どもの頃、手鏡や鏡台を覗きこむのが怖かったという覚えはないだろうか。鏡の向こうにもうひとつの世界が広がっていると想像したことは? 本書が扱っているのはそんな鏡のもつ独特の怖さである。

 「いえのなかにもある」「おみせのなかにも まちかどにもいっぱい」「おもいがけないところにもある」「みないひはないかがみ」。小学生の少女の目線をとおして、鏡のある日常風景が描かれてゆく。怖いことはまだなにも起こっていない。それなのにページにいくつも描かれた鏡のせいで、読者は妙な居心地の悪さを感じることになる。まるで誰かに背後から見つめられているような…。

 右手を出せば右手を、左手を出せば左手を出す鏡の向こうの自分。だけど、ときどき間違えたり、嘘をついたりすることもあるのだという。そして…と、中盤からラストにかけての展開は、ぜひ現物で味わってほしいが、「鏡を見ていてこんな目に遭ったらイヤだな〜」という漠然とした恐怖が見事に表現されており、絶叫もの。静かな狂気を孕んだ樋口佳絵の絵も素晴らしい。そして最後にダメ押しのようにやってくる「ただいま」のシーンの恐ろしさ! 一瞬たりとも気が抜けない、直球勝負の怖い絵本だ。

■実写映画化したら大変なことになる『ケチャップマン』
(鈴木のりたけ/ブロンズ新社)
 主人公の名はケチャップマン。その名のとおりケチャップが詰まった巨大な容器だ。彼は悩んでいた。自分にしかできない何かを求めて。ある日、ポテトフライの専門店を見つけたケチャップマンは、店長にケチャップを売り込むが相手にされない。そのうえ人手が足りない店で、アルバイトをすることになってしまう。ひたすらポテトを揚げる毎日。店長には叱られ、家に帰るのは夜遅くなってからだ。

 はっきりいって、このストーリーに共感できる乳児・幼児はまずいないだろう。自分の居場所を探して、悩んだり、苦しんだり。でも出口は見つからず、与えられた仕事すら満足にこなせない。ああ、俺はそこまでダメなやつなのか…。そんなケチャップマンの孤独と悩みが胸に染みいるのは、少なくとも10代後半以上である必要がある。いってみれば本書はひたすらに暗くて、やるせない(だからこそ傑作な)青春文学絵本なのだ。

 ある日、店に「トメイトはかせ」という巨大なトマト頭をした男が訪ねてくる。はかせはケチャップを要求するが、ケチャップマンはなぜだか喜べない。毎日ケチャップを舐めにくる博士の頭は、どんどん膨らんでいって…その先には悪夢のようなクライマックスが待ちうける。ふくらむ頭部!飛び散るケチャップ!これを実写映画化したら…ホラーだろうなあ。

 どんよりした救いのない世界観はカフカの不条理小説を思わせ、一度はまると抜け出せない魅力がある。

■エロティックで幻想的な人形怪談『なおみ』
(谷川俊太郎:作、沢渡朔:写真/福音館書店)
 1982年に刊行された作品だが、復刊されいまだに書店で手に入る。タイトルのなおみとは、黒い着物をきたおかっぱ頭の日本人形の名前。本のカバーで少女と並んで写っているのがその人形だが…こ、怖くないですか、これ? 夜中に勝手に廊下を歩いたり、髪の毛が伸びていたり、そんな怪談めいたエピソードを思い浮かべてしまう。しかもこの人形、大きいのである。主人公である少女(小学校低学年くらい)と大体、同じくらいの背丈がある。この時点で、日本人形が苦手な人ならNGだろう。

 人形のなおみはわたしが生まれる前から、ずっとそばにいた。なおみはわたしには見えないものを見て、わたしには聞こえない足音を聞いている。なおみとわたしの静かな暮らしが、モデルの少女と日本人形によって再現される。海で歌をうたうなおみ。一緒にふとんに入るなおみ。絵本を読んで笑うなおみ。天才写真家・沢渡朔が切り取った2人の暮らしは、怖ろしくあやしく、エロティックでもある。

 やがて意外な展開が訪れる。人形のなおみが病気になって死んでしまうのだ(ということは、それまで生きていたの?)。なおみとの暮らしは終わりを告げ、わたしは大人になってゆく。

 この作品の人形が怖いのは、命があるように見えるからだ。巧みな文章と写真によって、なおみがまるで本物の家族であるかのように錯覚してしまうのだ。少女期ならではの幻想風景を描いたとも取れるし、生きている人形を描いた怪談として読むこともできる。

■実際に妖怪と出逢える『うぶめ』
(京極夏彦:作、井上洋介:絵、東雅夫:編/岩崎書店)
 これを初めて読んだときには本当に驚いた。子供向けの絵本でここまでやっていいのか!とショックを受けたのだ。

 作家・京極夏彦が5人の画家とコラボした「妖怪えほん」シリーズの一冊で、タイトルの「うぶめ」は言うまでもなく妖怪の名前。著者のヒット作『姑獲鳥(うぶめ)の夏』でも扱われていたから、詳しくご存じの方も多いだろう。

 弟か妹が生まれることになって、ぼくはとても楽しみにしていた。しかし、弟も妹も生まれてくることはなく、お母さんもそのまま帰ってこなかった。いきなりエッという展開である。こういう悲しい出来事は、実際に起こりうるものだが、絵本で取り上げられるのは稀。しかし本書は家族との死別という事実を、オブラートにくるむことなく描き出す。

「おとうさんは、ぽろぽろとなみだをながして、ないた。ぼくもないた。『かなしいよ』『かなしいね』『かわいそうだよ』『かわいそうだね』『さみしいよ』」残された父と子の哀しみが、ひしひしと伝わってきた。

 夜になると、外から赤ん坊の悲しげな泣き声が、おぎゃあおぎゃあと聞こえてきた。主人公は父に訊ねる。「おとうさん、あかちゃんのこえがするよ。とってもかなしいこえだよ」しかし父親はこう答える。「ちがうよ。あれはとりがないているんだよ」。どうしても気になった主人公はこっそり外を覗いてみた。そこに立っていたのは…血まみれで赤ん坊を抱いた女の人だった…。

 本書のなにがすごいって、うぶめという妖怪の存在を、言葉や理屈を超えたところで、読者にしっかり感じさせてしまうところだ。ページをめくる読者は、主人公と一緒になって、血まみれのうぶめに本当に遭遇することになるのである。井上洋介のアバンギャルドな絵も含め、とことん攻めの姿勢の一冊。だけど、読後感は悲しく怖ろしい。

文=朝宮運河