稲田朋美オフィシャルサイトより

写真拡大

 終戦記念日に靖国神社を参拝するか国内外から注目が集まっていた稲田朋美防衛相が、12日、今年の参拝を見送ることを防衛相が発表した。政府が自衛隊の拠点があるアフリカのジブチ訪問という外遊日程を入れることで、参拝を中止させた形だ。

 参拝中止はアメリカから強く牽制する動きがあったとも言われているが、そもそも戦中日本の軍国主義の象徴である靖国神社を現役防衛相が参拝するなど、もってのほか。この判断は当然のことだ。

 しかし、当の稲田氏はどういうつもりなのだろう。彼女は以前から"靖国参拝は譲れない"と宣言し、どんな立場になっても参拝を貫くと言ってきたのではなかったか。

「私の政治家への道を開いたのは、靖國に眠る二百四十六万柱の英霊だと思っています。だから、靖國参拝は、私にとって絶対に譲れない一点です」(「致知」2012年7月号/致知出版社)

 また、稲田氏はこの発言をした渡部昇一氏、佐々淳行氏との鼎談記事でこんなやりとりもしていた。

渡部「結局自民党が信頼を失ったのは、一議員のうちは『靖國を参拝する』とか『憲法を改正する』といって国民を期待させておきながら、いざ総理になるとなぜか論調が変わるんです。なんだ、誰が総理でも一緒だと国民は思ってしまった」
稲田「その点は私も不思議です(笑)。(略)中国や韓国にいる日本人に危険が及ぶとか、取引を停止されて日本経済がガタガタになります、と言われれば、よほどの信念がない限り取り下げてしまうんじゃないでしょうか」

 参拝を取り止めた安倍首相のことを澄まし顔で「私も不思議です(笑)」などと批判しておきながら、自分も全く同じことをやっているわけだ。しかも、参拝中止の理由をきちんと国民に説明すればよいものを、外遊を入れることで誤魔化しをはかる始末。ジブチでがんばる自衛隊員はいち政治家の保身のために急遽出迎え行事に駆り出されるハメになったわけだ。

 このやり口を見ても、自民党きっての極右政治家が今回、参拝中止を決定したのは、その思想に変化があったわけではなく、明らかにその場しのぎ、二枚舌にすぎないことがよくわかる。

 実際、稲田氏の"靖国史観"の危険性はそもそも、参拝するかどう以前の問題だ。稲田氏はかつて靖国神社のために、日本国憲法に規定されている近代民主主義国家の根本である政教分離原則さえ否定していた。

「そもそも『政教分離』という制度自体は、普遍的で絶対的なものではありません。(略)むしろ日本人の暮らしは宗教的なものなしには考えることが出来ないのであって、それを混同して『政教分離』を論ずるのはおかしいのではないかと思います」
「この(政教分離を規定する憲法の)第二十条にかんしては第三項の『国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。』という規定を削除もしくは改正することで、首相が靖国神社に参拝できない不自然な環境を改善していくべきだと思います」(渡部昇一監修『中国が攻めてくる! 日本は憲法で滅ぶ』総和社)

 しかも、恐ろしいのは、稲田氏が靖国にこだわる理由が過去の戦没者の慰霊のためでないことだ。たとえば、彼女はかつて靖国神社の存在意義をこう説明していた。

「九条改正が実現すれば、自衛戦争で亡くなる方が出てくる可能性があります。そうなったときに、国のために命を捧げた人を、国家として敬意と感謝を持って慰霊しなければ、いったい誰が命をかけてまで国を守るのかということですね」
「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」(赤池誠章衆院議員らとの座談会、「WiLL」06年9月号/ワック)
「首相が靖国に参拝することの意味は『不戦の誓い』だけで終わってはなりません。『他国の侵略には屈しない』『祖国が危機に直面すれば、国難に殉じた人々の後に続く』という意思の表明であり、日本が本当の意味での『国家』であることの表明でなければならないのです」(渡部昇一、八木秀次との共著『日本を弑する人々』PHP研究所)

 つまり、稲田氏にとって、靖国は先の大戦の慰霊の施設ではなく、国民をこれから戦地へ送り込み、国に命をかけさせるためのイデオロギー装置なのだ。むしろ、稲田氏の真の目的は、新たに靖国に祀られることになる"未来の戦死者"をつくりだすことにあるといっていいだろう。

 これは決してオーバーな表現ではない。実際、稲田氏はこれまで、国民が国のために血を流す、国のために命をささげることの必要性を声高に語ってきた。

「国民の一人ひとり、みなさん方一人ひとりが、自分の国は自分で守る。そして自分の国を守るためには、血を流す覚悟をしなければならないのです!」(講演会での発言)
「いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない」(産経新聞2006年9月4日付)

 さらに前掲書では、"国のために命をかけられる者だけが選挙権をもつ資格がある"とまで言い切っている。

「税金や保険料を納めているとか、何十年も前から日本に住んでいるとかいった理由で参政権の正当性を主張するのは、国家不在の論理に基づくもので、選挙権とは国家と運命をともにする覚悟のある者が、国家の運営を決定する事業に参画する資格のことをいうのだという"常識"の欠如が、こういう脳天気な考えにつながっているものと思います」
「「その国のために戦えるか」が国籍の本質だと思います」(前傾『日本を弑する人々』))

 稲田氏は防衛相就任直後の会見で、海外メディアから「右翼政治家」だと報じられているのを受けて、「議論することによって、わたしに対する誤解も払拭されていくのではないかと思っている」と語った。いったいこれのどこが「誤解」だというのか。誰がどう見たって極右そのものだろう。

 繰り返すが、稲田氏が靖国にこだわり、首相の参拝を熱望してきたのは、過去の戦死者を慰霊するためではなく、この時代に"新たな戦死者"を生み出すためだ。こんな人物が権力を握ったら、靖国公式参拝どころか、国家神道を復活させ、新たな戦争を起こし、国民を駆り出しかねない。

 しかも、それはけっして絵空事ではない。現実にこんな人間が防衛大臣に就任しているだけでなく、"ポスト安倍最有力"だといわれているのだ。そのことの恐怖を私たちは改めて認識すべきだろう。
(宮島みつや)