【日本サッカー見聞録】手倉森監督の指摘した2つの課題

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▽日中の陽射しは刺すように痛かったマナウス、初夏の気候を思わせる爽やかな風の吹いていたサルバドール、そして待ちゆく人々はダウンやレザーのジャケットを着ている冬のサンパウロ。同じ国でありながら、こうも気候が違い、改めて国土の広さを痛感させるのがブラジルだ。

▽残念ながら手倉森ジャパンは1勝1敗1分けでグループリーグ敗退を余儀なくされた。試合を重ねるごとに駆け引きの妙を見せつつあっただけに、せめてあと1試合くらいは見たかったというのが正直な気持ちだ。すべては初戦のナイジェリア戦の“打ち合い”が誤算だったが、それについて手倉森監督は計算外だったことを明かした。

▽アジアではボールポゼッションで対戦相手を上回れるものの、逆にカウンターの餌食になりやすい。ところが世界に出れば、日本のストロングポイントであるボールポゼッションは通じない。それはザック・ジャパンが2年前に身を持って体験した。そこで手倉森監督は、アジアの戦いからボールポゼッションを半ば捨て、ショートカウンターに活路を求め、アジアでは成功を収めた。この発想はハリルホジッチ監督に通じるものがある。

▽ところがナイジェリア戦では、相手の素早い仕掛けに後手に回った。アジアと比べて“個の強さ”も違った。「前からプレスに行けば」と悔やんだものの後の祭り。大会前にアフリカ勢と2試合を行ったが、所詮はテストマッチに過ぎず、効果はほとんどなかったと言える。ただ、こうした経験の積み重ねをいかに今後に生かし、共有していくか。そのことを試合後に手倉森監督が指摘していたのは興味深い。こちらは霜田NTDを含め、技術委員会の今後の課題となる。

▽そしてもう一つ見逃せないのが、アジア最終予選と今大会を含め、手倉森監督は選手のコンディションについて自信を持っていたことだ。それは早川コンディションングコーチの存在を抜きにして語れない。2000年シドニー五輪以来、A代表と五輪チームを掛け持ちで見続けてきた早川氏は、アテネ五輪の山本ジャパン、南アW杯の岡田ジャパンでも陰でチームを支えてきた。

▽そんな早川氏について、手倉森監督は、外国人監督だと同じく外国人フィジコを採用するため、その指導法が日本人に合っているのか疑問を呈していた。過去にはファルカン時代にフィジコのトレーニングがハード過ぎて、選手が悲鳴を上げ、ブラジル人と日本人では骨格や筋肉の質が違うため、指導法に疑問の声が上がったこともある。現状は、外国人フィジコと早川氏がコミュニケーションを取りながら指導しているものの、イニシアチブは外国人フィジコが握っているように映る。

▽選手とのコミュニケーションを考えれば、早川フィジコの方が選手も安心して練習しやすいだろうし、違和感を覚えてもすぐに相談できる。そうした利点も含めて、経験豊富な早川フィジコを手倉森監督は全面的に信頼していたからこそ、選手のコンディションには自信を持っていた。スタミナと早いリカバリーは日本の武器の1つでもある。それを支えるフィジコについても一石を投じた手倉森監督。このことも、技術委員会にはしっかり検証し、今後の代表強化に生かしてもらいたい。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。