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初恋、結婚、就職、出産、閉経、死別……。
人生のなかで重要な「節目」ほど、意外とさらりとやってきます。
そこに芽生える、悩み、葛藤、自信、その他の感情について
気鋭の文筆家、岡田育さんがみずからの体験をもとに綴ります。
「女の節目」は、みな同じ。「女の人生」は、人それぞれ。
誕生から死に至るまでの暮らしの中での「わたくしごと」、
女性にとっての「節目」を、時系列で追う連載です。
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○それぞれの好条件

日本に住む親戚からメッセージが届いた。件名も本文もなく、携帯電話のカメラで接写した不動産屋の物件情報ばかりがいくつもいくつも送られてくる。スマホの通知が煩わしくなって訝りつつ確認したところ、ちょうど家を探している別の親戚の子へ宛てたものを誤送信したのだ、と詫びが入った。

そりゃそうだよね、と合点がいく。こちとらニューヨーク在住の夫と二人暮らしである。世田谷区、目黒区、品川区、川崎市、3LDK、4LDK、庭付き、車庫付き、独立型キッチン、二世帯同居可、駅歩15分、送られてくるオススメ物件はどれも、私の今現在のライフスタイルにはまったく合致しないものばかりだ。

何枚もチラシ画像を眺めているうちに、彼女たちの会話が透けて見えるようだった。子供の進学を機に引っ越し先を検討中、中古の戸建か、バルコニーの大きなマンションの低層階を探している。家庭菜園でも始めるつもりかな。ウォークインクローゼットや納戸のついた物件が多く、その隣を主寝室にして残りは子供部屋にするのだろう。多くは和室のある間取りで、乳飲み子を抱えた友人たちが布団で添い寝できる部屋は使い勝手がよいと言っていたのを思い出す。

そうか、赤ん坊の頃から知っている親戚のあの子、とうとう家を買うんだな。この人生の節目に「家を持つ」という選択のほうを取ったのだ。突然の間違いメールから、勝手にしみじみ空想を巡らせてしまった。それは私が選ばなかったほうの人生だ。私がじっくり眺めなかったほうの間取り図に、私が要らないと思ったほうの「好条件」がびっしり書き込まれている。正解も不正解もなく、ただ、違う。それが人生の選択というものなのだな、とベランダさえない1ベッドルームのアパートメントで考えた。

○チラシ片手の土曜日

東京で会社員をしながら親元を離れて一人暮らしをしていた頃は、私も、不動産屋のチラシを眺めるのが大好きだった。毎月の給料日に学費ローンを返済しながら、これが終われば同じ額がまるごと手付かずで貯金できるのだ、そうしたら今までにない大きな買い物だってできるようになるのだ、と皮算用を繰り返した。つまり、所有しつつ住む単身者用マンションを購入するつもりでいた。それが私の想像しうる「家を持つ」のすべてだったのだ。

アパートの郵便受けには毎日、膨大な量の売り物件チラシが無断で投げ込まれている。週末の朝、二日酔いのままサンダル履きで一階のポストを開くと、平日に溜め込んだチラシがどっさりなだれ落ちる。飲食店の出前と不用品回収とエステサロンの割引券をゴミ置場に捨て、不動産屋のチラシだけ部屋へ持ち帰った。それだけでも暴力的なほどの量と彩りだった。

一つ一つの立地と間取りを丁寧にチェックする。あまりにも高額で贅沢すぎる物件は最初にはじく。近隣住民が反対運動を続けている高層マンションが「温故知新」みたいな謎のポエムを添えて素知らぬ顔で入居者募集しているのもアウト。最寄駅から遠すぎるのもいただけない。閑静な住宅街といえば聞こえは良いがバス路線からも外れた陸の孤島じゃないか、特急電車を基準に「都心まで20分」と謳うのは詐欺だろう。今の部屋よりは大きなところがいいけれど、リビングばかり大きくても意味がない。家具の配置を考えながら「本日のMVP」を選り分けているうちにコーヒーを飲み終えてしまい、出し殻と一緒にそのチラシも全部捨てて、それで終わり。

新聞についているクロスワードパズルを解くような、その場限りの娯楽だった。いずれ私にも真剣に「マイホーム」を検討するときが来るのだろうから、今やっているこのチラシ読みはそのための準備、ウォーミングアップ、頭の体操のようなものだ。当時はそう思っていたけれど。「買うつもりのない家の間取りを眺めるのが趣味」という人間は、たぶんそのまま、いつまでも家を買うつもりにならぬものなのだ。

もちろん、その場の勢いで「本日のMVP」チラシを握りしめて内覧会へ出向き、すっかり恋に落ちてその部屋と契約した、という行動派の人だって、いるのかもしれない。しかし少なくとも私は、いずれ買う、いずれ買うと言いながら、まったくそんなタイミングが訪れぬまま、いつしか不動産屋のチラシを見ないで捨て、面白物件を紹介するメルマガの購読も停止し、「間取り図に合わせて今と違う部屋に暮らす自分を空想する」というその趣味からしてやめてしまった。

一方で、私の周囲で案外サクッと家を買った友人たちというのは、結婚して家族構成が変わったとか、親元の都合で郊外へ引っ越したとか、外からの力に動かされたケースのほうが圧倒的に多いのだ。人生のある局面で、今までとはまるで違う暮らしに一歩踏み出した者たちは、その生活環境の変化に対して、暮らしのいれものを柔軟に変えていく。

○浮遊霊とガラスの靴

「体型にぴったり合った服」と同じで、誰も彼もが「暮らしにぴったり合った住まい」を探している。ぶかぶかでも窮屈でもいけない。理想のかたちや着こなしに合わせて既製服の「お直し」を続ける人たちもいるし、親から譲り受けた着物を大事に着続けている人たちもいる。スティーブ・ジョブズがイッセイミヤケのセーターを見つけたように、私だって、これぞ自分だ、と胸を張って言える一生ものの住まいがあればいいなと思わなくもない。けれど今のところは、体型にぴったり合った着心地に加えて「素早く気軽に脱ぎ着ができる」服、ならぬ住まいを何より求めていて、その気持ちはしばらく変わらないだろう。

間取りチェックが趣味だった会社員時代、ある地方自治体主催のお見合いパーティーを取材したことがある。参加男性の一人が「地元でコツコツ働いて両親の暮らしを支え、ささやかな二世帯住宅も建て、あとはお嫁さんを待つばかりです!」と自己紹介していた。「服」があらかじめ先にあって、それに合う「体型」の結婚相手を探している、ということだ。ガラスの靴が履けたら、その子が僕のシンデレラ。その探し方は、なかなか厳しいのでは……? と少々心配になった。少なくとも「気軽に脱ぎ着ができる」暮らしを求める私は、地縛霊の求婚に応じられない浮遊霊のようなもので、その家の広さや豪華さに関係なく、彼の元へは嫁げそうにない。

あの頃から、薄々、自分でも勘づいてはいたのだ。自分に合う服は自分自身で選べないと嫌だし、とくに放浪癖があるわけでもないけど、土地に対する執着が希薄すぎるよな、という事実。貪欲な不動産業者たちは、そんな私にまで「家」を買わせようとチラシをどしどし送りつけ、私も夢中でそれを眺めていたわけだが、たぶんあの頃にフラフラと大きな買い物をしなくてよかったのだろう。

○なければ作る、夢の家

地面に繋ぎ止められていた細い糸がプツリと断ち切れたかのように、あるとき「節目」を超えた私には、すべての売り物件が「選ばなかったほうの選択肢」としか目に映らなくなった。親戚からじゃんじゃん届く不動産チラシはだから、ちぐはぐな服を無理に着せられるような、ちょっと異様な不気味さを伴っていた。違う、それは私のためのものじゃない。間取り妄想が趣味だった頃は、こんなにきっぱりそう言えるようになるとは、思っていなかった。

そして今は、「いくらで買える、どんな値打ちの家か」ではなく「そこに、誰が、どう住んでいるか」のほうに関心がある。家を買った友人たちが、リノベーションやインテリアの話題で盛り上がっているのに、傍らで耳を傾けているのがとても楽しい。気に入ったドアノブ一つを探し回ってアンティークショップを何軒もハシゴしたとか、廃番寸前の壁紙をフランスから直輸入したとか、ためしに柱を取っ払ってみたら悪くなかった、とか……た、ためしに!? そんな簡単に取れるものなの柱って!? その際限なき自由さ、浮遊霊を自称していた私のほうが、よほど何かに縛られているのではないかとさえ思う。

誰かに与えられた既製の間取りに合わせて住むのではなく、納得の「ぴったり」になるまで何度でも手入れを繰り返す彼女たちの熱っぽい語りは、私の選ばなかった人生もまた、他の誰かが選び取った別の人生としてちゃんと続いていくのだと、そう実感させてくれる。正解も不正解もなく、私たちはそれぞれの「節目」を踏み越えていく。

岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。老舗出版社で婦人雑誌や文芸書の編集に携わり、退社後はWEB媒体を中心にエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』『嫁へ行くつもりじゃなかった』、連載に「天国飯と地獄耳」ほか。紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。CX系の情報番組『とくダネ!』コメンテーターも務める。
イラスト: 安海

※本連載は住まい・インテリアカテゴリから引っ越しして、今回から再開しました。次回は8月19日掲載予定です。

(岡田育)