一人の男の奮闘で地域全体が再生!貧困の農業地域が高級保養地に変身する

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人口流出による過疎化や地場産業の低迷。

企業誘致や観光振興策と、日本でも地方自治体の活性化は大きな課題だ。

そのような問題に取り組む方々にちょっと目新しい事例をお届けしたいと思う。

今回取り上げるのは、一昔前には貧困の農業地域が今や高級保養地と変身したにわかには信じがたいほどの成功事例である。

元はジャガイモ畑が広がる農業エリア

ご紹介するエリアは、NYCから東に車で2時間ほど。ロングアイランド地区の東端、北側だ。

半島の先端が南北に分かれており、フォークの先のようにも見えることからそれぞれ「ノース・フォーク」「サウス・フォーク」と呼ばれている。

その南側はかねてよりの高級保養地として知られているエリアで、現在でも各界の有力者を始めセレブや有名人・著名人などの富裕層が別荘を多く構えるエリア。

今でも夏場に街を歩けば映画スターとすれ違うことも珍しくはない。

一方北側は一転してジャガイモ畑とアヒル農家が広がる農業エリアだった過去を持つ。

海峡からの強い海風は他の作物の育成には向かず、住民たちは細々と農業を営む低所得者エリアでしかなかった。

一人の実業家が私財を投入してワイン作り

そこに現れたのがアレックス・ハーグレーブという一人の実業家。

ワインに精通し、自らも熱心なワイン愛好家であり収集家であったという。

あるときこの地を訪れたハーグレーブは、一目見るなり気候風土や土壌などに加え、ニューヨークにほど近いこの場所こそがワイン作りに向いていると見抜いたという。

彼が愛してやまないボルドーの気候風土や立地条件に瓜二つに映ったのだという。

彼は早速私財を投入してワイン作りを始めることとなる。1973年のことであった。

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Photo : NYCOARA

しかし、いうまでもなくそう簡単な仕事ではなかった。

土地を手に入れ、1万本もの苗木を植えるものの、最初のワインを出荷するまでには最低でも数年は必要。

しかし無名のブランド故それが売れるかどうかもわからない。そもそもが決して裕福とは言えない農業エリアだ。

新たな、それも無謀とも思えるビジネスに協力する人は少なく、また外から助けを連れてこようにも、住むところも無ければ買い物をする場所も、食事をとるレストランすらない。

当初、地域住民達は非常識な仕事を始めたハーグレーブとは距離を置き、遠巻きに眺めるばかりであったという。

周りを巻き込む情熱

ところが、このような四面楚歌の状況にも少しずつ変化が現れる。

まず、地元の役所が、この新規事業に対し理解を示す。

当面の税控除や、労働力確保の手助け、住民らへの協力要請など、地元産業としての期待を説いて廻ったのである。

そもそも人口が多くないこともあり、地元の行政や有力者からの協力要請はには渋々ながらも応じることとなる住民達。

「お隣さんが手伝うのなら仕方が無いのでうちも」と、住民が少なくコミュニティの結びつきが強いエリアであったことが逆に功を奏した格好だ。

そのような苦労を重ねた末、ようやく3年後に最初のワインが産み落とされたのである。

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Photo : NYCOARA

実はハーグレーブがこの地に最初に植えた苗は濃い赤ワインに適した品種。

この地が彼の愛するフランス種の赤に適していると見抜いてのことであった。

結果ロングアイランド産の赤ワインは、その生産当初より高い評価を得て、徐々に人気を博していくこととなる。

そして評価の高いワインが市場に出回ると、大都市ニューヨークで好まれる軽めの白ワインの生産も開始。

そもそもがワイン作りに適していた土壌ということもあり、白ワインも赤同様市場での高い評価を得ることとなり、出荷量が一気に増加する。

なんとニューヨーク州は、カリフォルニア州に次いで全米第二位のワイン生産州となるまで成長したのである。

40軒以上のワイナリーが出現

貧困エリアが一人の男の野望によって一大活性化地区となるまでに要した時間はほんの40年ほど。

驚くほど短期間であったと言えるだろう。しかもそれまであまり縁がなかったワイン生産という産業をこの地に根付かせたという功績も大きい。

そして成功を目の当たりにすれば追従するものも出てくる。ハーグレーブという成功事例があるのだから後発組は安心してビジネスに着手することが可能だ。

あれよあれよという間に一気に40軒以上のワイナリーがこの狭いエリアに出現することとなる。

ロングアイランドのワイナリー街道の出現だ。

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Photo : NYCOARA

また、このような隆盛ぶりに、自身ではワイン作りは行わないものの、ブドウの生産までを行い、収穫したブドウをワイナリーに卸すという付帯ビジネスに着手するものも現れてくる。

加えて期を見た自治体の税制や観光施策への注力もあり、マンハッタンから多くの人々がこのエリアに観光に訪れるようになる。

観光客が増えるとともに、レストランや土産物やなどが増え、またこのエリアで穫れる新鮮な野菜や魚介類も売り上げを伸ばしていく。

かつては山積みにしても売れ残るばかりだった野菜は、近年のオーガニックブームと相まって高値で飛ぶように売れていく。

人口も増加し経済が活性化

それに連れこの地に移り住んで来る人も増加。人口が増えることで更に経済は活性化。

人が多く集まれば、周辺での商売も盛んになる。様々な小売店やレストラン、賃貸住宅などが一気に増え、行き交う人も増える。

ワインの生産が軌道に乗るにつれ、出荷のために交通網が整備される。

行政区としては多様な局面での税収がアップし、更に地域住民への還元が可能となる。

すべてが良い方向に転がり始めた。

時代は巡る

しかし地域のヒストリーとしては非常に短い40年という時間は、しかし人間の人生ではあまりにも長い時間。

伝記が出版されるほど地域の名士となったハーグレーブはもちろん、後発組のワイナリーの多くがその創業経営者を失っていくこととなる。

理由はもちろん彼らの高齢化。後継者不足や競合の過多によるビジネス上の不振など、創業当初のような熱意を持ってワイナリーの経営にあたることができないケースが増え、現在では別のオーナーの元で新たな経営を始めている。

ハーグレーブなどの第1世代、彼を追ってワイナリーを始めたのが第2世代、そして今はロングアイランドワイナリー街道の第3次世代とでもいえるだろう。

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Photo : NYCOARA

数十軒のワイナリーを中心に経済が活性化したことで、付近に大規模なアウトレットモールやレジャー施設などが建設されるなど、より広い意味での地域活性も軌道に乗った。

そうなると別な問題が露呈してくる。後継者の不足と、競合の多さによる独自性の維持だ。

そこで出てきたのが第2世代と呼ばれるワイナリーたち。

成功したワイナリーを買収し、新たなオーナーが増えてきたことで、これまでとは違う経営手法でしのぎを削るというのが現在のロングアイランド地区のワイナリーの姿。

第1次世代の全てのワイナリーは地域の活性化のための協力体制なども強固であったが、最近では独自路線を採択するところも増えてきており、かつてのような地域の一体感のようなものも薄れてきている。

「時代の流れとしか言いようがないのだろうが多少の寂しさも感じる」と老舗ワイナリーのオーナーは語る。

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Photo : NYCOARA

今ではニューヨークからの週末日帰り旅行の人気エリアの一つになったロングアイランドのワイナリー街道。

活気に溢れワイナリーを訪れる人々で賑わうその姿からは、過去の貧困エリアの面影は見られない。

そのような大変革を起こしたのはたった一人のよそものの男。

どのような困難なビジネスでも、真摯な努力や献身によってこそ道を切り開くことが出来るのだということを、ロングアイランドのワインが教えてくれる。

日本にもかつては似たような話は多かったものの、近年そのような事例を聞くことはすっかり無くなってしまった。

しかし過疎化が進む山村など、なんらかの活性策を渇望するエリアは国内にも多い。

新たなヒストリーが日本のどこかで生まれることを願いたい。