リオ五輪の男子体操で日本が団体優勝を獲得した。エースの内村航平選手は個人総合でも金メダル。内村選手は「美しい体操」を強調していた。内村選手の考え方には、日本人の発想の「原点」が込められていたと思う。写真はリオ五輪の競技会場。

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リオ五輪の男子体操で日本が団体優勝を獲得した。エースの内村航平選手は個人総合でも金メダル。内村選手は「美しい体操」を強調していた。筆者はスポーツについては全くの素人なのだが、内村選手の考え方には、日本人の発想の「原点」が込められていたと思う。そこで、ここでしばし考えてみたい。

競技体操とは、審査員の評価によって点数が与えられ勝敗を決する。審査基準には、新しく難易度の高い技に成功したことに対する評価と、難易度はそこまでではなくとも、技をきっちりと決めたことに対する評価があるという。

報道における専門家の解説によるかぎり、「新しい大技」を繰り出す方が、「既存の技の完成度」にこだわるよりも、得点アップについては効率がよさそうだ。しかし内村選手はあくまでも「美しさ」つまり、既存の技の完成度にこだわった。

もちろん。「既存の技」と言っても、格別に難しいのは言うまでもない。しかし、内村選手ら日本代表が「技の完成度」つまり「美しさ」にこだわった姿勢は、尋常でなかった。

このあたり、私は「実に日本人的な発想」と思う。まず、内村選手もスポーツ種目の「体操」の競技者であるからには、審判の基準を最大限に意識したはずだ。その上であえて、自分自身の基準である「美しさ」に最大にこだわった。

経済に例えていうなら、審判の採点基準は「市場における価格決定」になるだろう。評価が低くては、話にならない。しかし内村選手に代表される多くの日本人選手はそれでも、「自分自身の持つ価値観」を追求しつづけた。あくまでも結果論ではあるが、自分自身の考えにもとづいて努力したことが、誰もが認める高品質、ひいては審査(=市場)においての高評価につながった。

日本人のこの「自分自身が信じる価値観の追求」は、日本社会のあり方を特徴づけている大きな要因のひとつのように思える。いわゆる「こだわり」だ。そこには、世間の短期的な“流行”には同調せず、自分自身の価値観を信じて、自分自身の理想を目指し、あくまでもその道を突き進むことを当然とする考え方がある。

さらに大切なことは、「わが道を行く」という本人だけでなく、そのような考え方を「貴い」と評価する多くの日本人がいることだ。日本社会はよく「均質すぎる」と言われるが、決してそれだけで日本を理解することはできない。均質社会の中の異端に対しても「自らの良心にもとづき頑張っている」と認められるかぎりは容認し、積極的に評価する精神面での土壌がある。これは、日本の大きな強みではなかろうか。

さて、隣国の中国を見てみよう。中国では最近になり日本の「匠の心」を高く評価する風潮が出てきた。この評価は日本人にとっても誇らしいことであり、中国社会において日本の「匠の心」を参考に、何らかの進展があれば、とてもよいことだと思う。

気になるのは、中国社会が案外、「異端」を認めない社会であることだ。社会の大勢、あるいは権力者が認めないことに対しての「否定の圧力」は圧倒的に大きい。これまでの歴史を見ると、日本では人々が社会内の異質な存在に対しても「どこか底流ではつながっている」という無言の信頼感が比較的強かったが、中国では「放置しておけば、ばらばらになる」との危機感が強く、統一感を維持しようと思えば「異端は認めない」という厳しさが欠かせなかったようにも思える。

しかし、さまざまな面で世界における存在感が増してきた中国が、「異端/異論を認めない」という発想で、今後もやっていけるとは思えない。自らの社会内においても異分子に対して寛容な社会に脱皮せねば、早晩行き詰ってしまうのではないか。

どうも、内村選手をはじめとする、リオ五輪の男子体操における日本チームの活躍に刺激され、私の考えも脱線気味になってしまったようだ。ただ、「体操の美しさ」にこだわってきた内村選手とその周辺に対する私の見方は、さほど的外れではないと信じる。さらに、日本的発想について、万能とまでは言わないが、世界を驚かせる成果を出す可能性を秘めていることも、間違いないはずだ。

私が専門にウオッチングを続けている中国は、常に日本を意識して、自らのレベルを向上させようと狙ってきた。そのことを非難するつもりはない。日本社会を手本にして自らを向上させようと努力をしていることは、尊い行為だとも思っている。

今回のリオ五輪の男子体操で中国に関連して思うのは、中国の関係者が内村選手ら日本チームの成功から、日本人の発想の根本に迫って「学習材料」を得ることができるかどうかということだ。(8月12日寄稿)

■筆者プロフィール:如月隼人
日本では数学とその他の科学分野を勉強したが、何を考えたか北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。