いきなり別の映画『FAKE』の豆乳シーンから。
佐村河内家の食卓。佐村河内守さんは奥様の手料理を前に「いただきまぁす」と手を合わせる。が、守さんは料理には手をつけようとせずジョッキに注がれた豆乳を飲む、飲んで飲み干す。ようやくハンバーグかと思いきや再び豆乳。わたしたち観客は、守さんはバッシングの心労で食事が喉を通らないのだろう、お気の毒に……。と、思ってしまう。しかし、真意を問う森達也監督に対して守さんは「好きなんです、豆乳!」と臆面なく答え、観客一同ずっこける。「お気の毒」と感情移入してしまう側がFAKE現象を生んでいくことをこの映画は指摘している。

庵野秀明の映画の魅力はそのような「思わせぶり」に満ちていることだ。これによって鑑賞者の想像力が刺激され作品に様々な解釈が生まれていく。


ぼくは新劇場版『エヴァ:破』と『エヴァ:Q』が公開される間に、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 -サウンドインパクト- 』というゲームを制作した。これは公式な2次創作であり「中の人たち」とのコラボレーションも実現し、自分なりの『Q』を予想しながらノリノリで作った。気づいたら新しいテーマ曲も!(やり過ぎ!)。制作が一通り終わってから、作品の本筋に踏み込み過ぎている部分はカットした。311を高層ビルで体験していたため「ゆれる」と題したゲームは自主的に取りやめにした。『エヴァ:Q』にも震災の影響はあったと思う。
参考/飯田和敏「サウンドインパクト」インタビュー。

そうした経緯があったので『エヴァ:Q』を観た直後のパニックは尋常ではなかった。巨神兵が東京に? ネルフが分裂? ピアノ2重奏? そして『シン・エヴァ』の予告。全てが予想外だったため『エヴァ:Q』に関してはいまだに動揺が続いている。

『シン・ゴジラ』製作発表時に庵野秀明が出したコメントがある。日付は2015年4月1日。重要箇所を抜き出し、時系列に沿って並べてみる。
公式サイトの「コメント」で全文を読めます)

●2012年12月『エヴァ:Q』の公開後から鬱状態となりスタジオに近づくことが出来なくなった。

●2013年1月に東宝より『ゴジラ』新作を打診され2ヶ月悩んだが、引き受けることにした。

●2014年から精神状態は良くなりスタジオに通えるようになりアニメの仕事も再開している。

●現在はスタジオで『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の作業を進めることが出来ている。

『エヴァQ』が難産だったことは内容からわかっていたので、すんなりと『シン』が観れるとは思ってなかった。この流れに大ネタがぶっこまれるとは、監督本人も想定していなかっただろう。

『シン・ゴジラ』の傑作っぷりはご存じの通り。『ラプ&ポップ』で「監督:庵野秀明(新人)として「映画やります」と決意表明をしたのが1998年。『エヴァ』が完結してないせいで寡作な印象があるが、実写映画に関しては作品を積みあげている。これまでの作品で試行されてきた”ありえない視点”や”ハニメーション”といった手法は『シン・ゴジラ』でもしっかり昇華されている。こうした作家性を思うと、『シン・ゴジラ』と『エヴァ』っぽいのは当然のことだ。そして、魅力としての「思わせぶり」も『シン・ゴジラ』にはしっかり継承されている。
(2014年の第27回東京国際映画祭では特集上映『庵野秀明の世界』が開催された )

FAKEポイント1:シン・ゴジラとは何だったのか?

 (*以下、ネタバレあり)

初代ゴジラは水爆実験によって生まれたという因果関係の説明があったが、シン・ゴジラについての情報は少ない。マキ教授によるいくつかのヒントによって事態は収束に向かうが、肝心のマキ教授の所在は不明のままだ。
(現在、講談社が『ゴジラ全映画DVDコレクターズBOX』を発売中)


FAKEポイント2:マキ教授はいまどこに?


マキ教授について、松尾スズキ演じるジャーナリストが手がかりを掴んでいる。だが観客には明示されていない。冒頭のクルーザーの調査シーン。海面に揺られ続ける船内に、マキ教授のものと思われるスリッパがきれいに並んでいる。これが意味するところは……。

(『しどろもどろ―映画監督岡本喜八対談集』 (ちくま文庫、絶版)にて、マキ教授として出演した映画監督 岡本喜八と庵野秀明の対談が収録されている。庵野は岡本の『激動の昭和史 沖縄決戦』を100回以上観たと述べている)



FAKEポイント3:ゴジラのしっぽのアレは何!?


人々ががんばったおかげでニッポン壊滅という事態は免れた。が、映画のラストはゴジラのしっぽのアップで〆る。その余韻はちょっとした不穏。初代ゴジラのラストのセリフ「水爆実験が行われる限り、ゴジラは再び出現するかもしれない」に呼応するメッセージを視覚的に表現したもの、ではあろう。劇中、ゴジラの次なる進化は「個体増殖」だと言われている。それが未然に防がれたのか、あるいはさらなるシンが生まれつつあるのかはわからない。ハッキリしているのは、生命活動を停止したゴジラのしっぽの先端に、苦悶するヒト型の何かが存在するということだ。
(”ヒト型の何か”の造形はロダンの「地獄の門」を彷彿させる。(「地獄の門」は東京上野の国立西洋美術館でブロンズ鋳造が常設されている

これらの「思わせぶり」にぼくはどうしても惹かれてしまう。全編を通して印象に残るのは第4形態シン・ゴジラの覇気のない瞳だ。破壊神にあるまじき虚ろな瞳。どこかで見た事がある、と記憶をサーチしていたら、毎朝鏡で見ているオレのだった! あと『エヴァ:Q』のシンジの瞳に似てる。『エヴァ:Q』のDVDを持ってる人はすぐに確認して、チャプター33、1:10:10のとこね!


『エヴァ:Q』では、14年間眠り続けていた主人公碇シンジが周囲の人々から、地球レベルの災厄「サードインパクト」を起こした張本人だと責められる。記憶がないシンジは反発するが、いくつかの決定的証拠により、疑義を認めるに至る。その時、スクリーンいっぱいの混乱の極みにあるシンジの瞳。その瞳とシン・ゴジラの瞳はよく似ているのだ。この類似をきっかけに『シン・ゴジラ』をFAKE的観点で検証してみよう。妄想フィールド全開!

『シン・ゴジラ』の文字列にはシンジの名前が含まれている。『シン・ゴジラ』から「シンジ」を抜くと「ゴ」と「ラ」が残る。これを漢字にすると「強羅」。この地名は実在する。強羅のある箱根エリアは『エヴァ』では第3新東京市。箱根は『シン・ゴジラ』で暫定的に首都機能を移転した「立川」から南西に位置している。『シン・ゴジラ』で立川が第2新東京市となり、その後また何らかの理由で首都移転するのだろう。で、第3が箱根になる。あー、これは完全にシンクロっていうか、繋がりっていうか、つじつまがあう。
(立川と強羅の位置関係をGoogle mapで確認。車での移動だと約2時間。首都移転には現実的な距離 )

続いて、マキ教授のメッセージ「すきにしろ」についてだ。マキ教授はクルーザーでトローリングをしていた。ある日、ラブカが釣れた。ラブカは謎が多い深海魚でシン・ゴジラの造形のヒントにもなっている。初めてのラブカ。マキ教授は調理方法を色々試した。その結論が「すし」だった。「すしにしろ」というメッセージを、日本語敬語表現が苦手と自称する日系アメリカ人の石原さとみが「すき」と誤読した可能性がある。マキ教授はラブカの食べ方について「おれはすしにした おまえたちもすしにしろ」と伝えたのだ。スクリーンにマキ教授の文字が映っていたような気もするが、あれは典型的なミスリードというものだ。
沼津港深海水族館。深海生物に特化した水族館。過去にラブカが展示されていたこともあった。この水族館のブログにラブカを食べた報告がある。直接的には「寿司にしろ」とは書かれていないが)

で、放射線濃度が極限まで高まった深海魚をナマで摂取したマキ教授(夫人の可能性もある)の身体に異変が起きミュータント化する。これがシン・ゴジラの基盤となった。そこにサードインパクトを起こし、大気圏をコールドスリープしながら漂流していた碇シンジの思念が、時を遡り、作品の枠を超えプラグインした結果、シン・ゴジラとなったのではないかと推察する。第4形態のシン・ゴジラが専守防衛スタイルなのも、いかにもシンジっぽい暴れ方だ。

(『アベンジャーズ』を筆頭にコンテンツがクロスオーバーすることは珍しくない。ゴジラは過去にアメリカを代表するモンスター、キングコングと対決している。(『キングコング対ゴジラ』)


以上を踏まえると、シン・ゴジラのゲンドウ力が、マキ教授と碇シンジの合成「マキ・シンジ」であるという線が浮かびあがる。この人物は実在する。

ウクレレをつま弾きながら万事を「あー、やんなっちゃった」とボヤき倒す芸で昭和のお茶の間を席巻した漫談家、牧伸二である。もし、シン・ゴジラに知性があり、かの咆哮をヒトの言語に置換するとしたら、この厭世的なパンチラインこそふさわしい。
(牧伸二『ナンセンス・アイランド』(1993年)に収録の「ヤンナッチャッタ」では、歌の所々に「ピー」音がある。元祖コンプラでしょうか!)


ちなみに牧伸二は2013年に物故している。報道によると多摩川の丸子橋付近から入水したという……。あのぅ、この場所、『シン・ゴジラ』の多摩川攻防戦と完全に一致しているんですけども……。
現実の丸子橋
(『シン・ゴジラ』の多摩川攻防戦公式サイト「予告1」0:57 のところ)

「現実対虚構」の全面衝突から派生するいくつものシン・現実とシン・虚構。これらがFAKEの名の下にバチバチとやりあっている。この状態、混沌としているが、時々、惑星直列のような秩序をもつ瞬間がある。それが超高性能エンターテイメント作品が射抜いく「時代の体温」なんじゃねーの? そんな直感を『シン・ゴジラ』から得た。ひょっとするとわれわれはもう『シン・エヴァンゲリオン』を観はじめているのかもしれませんねぇ。
(飯田和敏)