「戦争」の語は伊達じゃないくらいの、宮崎父子の冷戦状況と、過去の駿の意外な一面がよくわかるドキュメンタリー。オススメ。

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「コクリコ坂から」のヒロインの小松崎海ちゃん。
朝起きて、ちゃきちゃき布団をあげて、街行く人みんなにおはようの挨拶。廊下を走って、曲がるときにちょっと転びそうになる。目をぱっちり開いて、口元はいつも微笑んでいる。きりきり歩き、ぱたぱた駆けまわる。
ああもう、好き……。「耳をすませば」の雫と並べて「お付き合いしたかったジブリキャラ」三本の指に入れたい青春の象徴だ。


彼女が出会う風間俊くん。どえらいかっこいい。
学校のあり方を訴える「週刊カルチェラタン」編集部の社会派少年。「少女よ君は旗をあげる、なぜ」とか、遠回しに新聞に書いちゃうやつ。そういうのイケメンに限るんだよ。
全学討論会の弁論に、海はメロメロになっちゃう。いやいや若さの至りだなそれは。
付き合うんなら冷静沈着なメガネの水沼史郎のほうがいいと思うよ。

部室棟カルチェラタン大掃除の際、女子が乗り込んできて男子たちの尻を叩くシーンは、健全極まりない合コン。ここで出会った何組か、結婚してるでしょ。
朝鮮戦争にピカドン。戦争の傷痕の話も作中には出てくるが、まあそれほど重要じゃない。
戦後の清く楽しい、少年少女の学生生活物語だ。

映画の屋台骨になっているのは、海ちゃんのキャラクター。
父親を亡くしているものの、とてもポジティブで気丈。同情ではなく元気を振りまく少女だ。
陽気な音楽と彼女の性格のおかげで、映画は極めて明るいものになっている。

このキャラを作るにあたって、監督の宮崎吾朗と脚本の宮崎駿は、大衝突をし続けていた。
最初に設定された海は、顔をしかめた湿っぽい少女だった。

絵コンテは絶対見せない


この映画を企画し、脚本を書いたのは宮崎駿。監督は息子の宮崎吾朗。
ところが宮崎駿、吾朗が絵コンテを描いていた狭い新作準備室に毎日訪れ、皮肉を言い続けていた。
宮崎駿に仕事があったわけではない。単に気になってしかたがなかったのだ。
他のスタッフにはちょいちょい声をかけるが、宮崎吾朗には声をかけない。
一方宮崎吾朗はというと、駿に絵コンテを見せないために、彼が来る前に全部ひっくり返している。
ムードは険悪もいいところ。

吾朗「見たら言いたくなるでしょう」「自分でブレないようにするためにはやっぱり1人でやらないとだめかなって」

「NHK ふたり/コクリコ坂・父と子の300日戦争〜宮崎 駿×宮崎吾朗〜」は、「コクリコ坂から」制作中に、緊迫し続けた父子の関係を撮影したドキュメンタリー。
宮崎親子の、最初で最後(多分)の合作の様子をカメラが捉えている。
(なお「ゲド戦記」の時は宮崎駿は一切手を触れていない。)

開始早々、2人の意見は全くかみ合わない。
理由は簡単。ドキュメンタリーの最中、2人は顔を付きあわせて話し合うことを一切していないのだ。
挨拶やおしゃべりすらも、あからさまに避けている。
「干渉しない」という駿の意向のためらしい。
だが、駿はすでに作品には干渉しまくっている。そりゃあ、吾朗側も割り込んでほしくないと、こじれちゃうのも無理は無い。

宮崎駿の頭には、こうしたほうがよくなる、というアイデアがぽんぽん出てくる。スタジオ内では誰も叶わない、才能だ。
問題はそのアイデアを、思いついたらすぐに口に出して、皆に実行させてしまうところ。
リーダーは監督の宮崎吾朗だが、宮崎駿が声を出した途端作業は停止してしまう。駿の案の方が最終的に良いのは吾朗もわかっているから、どうしようもない。

スタジオの限界パンパンな状態を見るに見かねて割って入るのが、プロデューサーの鈴木敏夫。
できるだけ宮崎吾朗が動きやすいように、意図を汲みとってフォローをするも、宮崎駿は鈴木敏夫の言葉を全然聞かない。
津波のようにあふれだす宮崎駿のアイデア。鈴木敏夫がコントロールしなければ、スタジオはめちゃくちゃになってしまっただろう。
いや、ドキュメンタリーを見る限りだと、もうなっていたのかも。

宮崎駿の渡した一枚の絵


当初宮崎吾朗が最初考えていたヒロイン海は、父親を亡くし、引きずっている影のあるキャラだったようだ。
これを宮崎駿は猛烈に批判。暗い顔をした海の絵を、スタジオから許可無くひっぺがした。
お父さんさすがにそれは実力行使しすぎでは?

駿「外す。もっと動きのある、ハツラツとしたの貼らないとダメだよ」「ものすごく不安になったんだよ。そんな魂のない絵、描いててもしょうがないよ」「まだ世界が固まってないからだよ。あんなフヌケな絵を描いてちゃだめだ」「あれは吾朗の絵を元にして描いてるの? 最低だな」

散々だ。
吾朗は渋い顔をするばかり。なにせ、自分のモヤモヤをピシャリと言い当てたものだったからだ。2人はここでも話し合わない。

宮崎駿は、一枚の彩色された絵を宮崎吾朗に渡す。
街の中を、前のめりで大股で登校する海。映画序盤のシーンだ。
この一枚の絵でキャラクターは一変。ポジティブな少女に練りなおされた。


今までさんざん駿が会話を避けて来たのは、「自分たちは今プロ同士だ」「アニメーターなら絵で語れ」という信念があったからなのかもしれない。
とはいえ、何の相談もなく、別のスタッフを急にひっ捕まえてイメージボードの彩色をさせる強引さはちょっとすごい。
ぶっちゃけ、「息子に対してコミュニケーションがうまく取れない、不器用なお父さん」にしか見えない瞬間があちこちにある。

観客をどう楽しませるかの、さじ加減。
それは、宮崎駿が「魔女の宅急便」「紅の豚」を作っている最中に「どのくらい自分の主張を入れてよいのか」「観客の快楽は刺激できているのか」と悩み続けて来たことで手にした技術だ。
オレはここまで悩んで、こういう道筋を手に入れた、いい作品作りたいのなら、知恵として利用しろ、と宮崎駿はイメージを差し出す。乗ればいい作品はできる。

吾朗「でもこうやるんだぞって手取り足取り教えられて、与えられたもんでやれっていっても、やっぱりそれは、そっちのほうができそうな気がしますけど、それじゃできないんですよ」

「こういう時こそ神話を作らなきゃだめなんですよ」


制作まっただ中で、東日本大震災に襲われた。
いつ余震が来るかもわからない状態で、作業が出来るわけがない。宮崎吾朗と鈴木敏夫は3日休業体制を取ることを決める。
だが宮崎駿は怒鳴った。

駿「絶対やんなきゃダメですよ仕事は」「こういう時こそ神話を作らなきゃだめなんですよ」

とてもカリスマ性のある、力強い意見だ。
そりゃ宮さんならそういうだろう、ジブリスタッフは彼のファンなんだからついていくだろう。映像で見ると実にかっこいい。
だがそれは、決して「一般的な会社」のあり方ではない。あくまでも「宮崎駿」の哲学であり、彼に着いて行く人がいてこその意見だ。
結果、映画は納期に間に合った(ここが宮崎駿と高畑勲との考え方の違いでもある)。
宮崎駿がいなくなったら、このジブリの動かし方はできない。

宮崎駿と宮崎吾朗、2人の性格は似ている。
とにかく頑固だ。こだわりがあまりにも強く、なかなか譲ろうとはしない。そもそも話を聞こうとしない。
宮崎吾朗は抜歯している。絵コンテを作るときに奥歯を食いしばりすぎて、すりへってしまったからだ。宮崎駿が身体のあちこちを壊しながら絵を描いているのとそっくりだ。
2人の決定的な違いは、発想のタガを外せるか否かだろう。

「コクリコ坂から」は、とても真っ正直な映画だ。
キャラクターはみんな正直だから、見ていて安心できる。
男子生徒たちの巣窟カルチェラタンの描写は、アニメーションの面白さとしては及第点以上だと思う。
だが、宮崎駿は「千と千尋の神隠し」でとんでもない自由な空間を作ってしまっている。超えられない。
比較しても仕方ないけれど、ジブリであり親子である時点で、どうあがいても比べられてしまう。

みなが大掃除をして片付いていくカルチェラタンの様子は、「ハウルの動く城」や「天空の城ラピュタ」「千と千尋の神隠し」「魔女の宅急便」などの大掃除のシーンより、やっていることが地道でマメなので、見比べてみると面白い。
几帳面さと、きっちりとした空間の作り方。
この真面目さこそが、「コクリコ坂から」が宮崎吾朗作品である証だ。
(たまごまご)

参考/川上量生の「コクリコ坂から」体験