強い陽差しが降り注ぐ猛暑のなか、朝から蟬たちがお祭り騒ぎのような蟬時雨を奏であげています。七十二候では、本日より「寒蟬鳴(ひぐらしなく)」。カナカナカナと響き合うヒグラシの歌声には、どこか夏の終わりを感じさせる寂寥感が漂います。数年をかけ地中で育ち、地上で羽化した後はひと夏の命。残された蟬の抜け殻は「空蟬(うつせみ)」と呼ばれ、もののあはれを描き出した「源氏物語」の巻名の一つにもなっています。


クマゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシ、いろんな蟬たちの歌が聴こえます

朝から夕暮れまで、ときに騒々しいまでの蟬時雨に包まれる今日このごろ。梅雨明けから晩夏まで、北海道から沖縄諸島まで、夏の歌い手として私たちを楽しませてくれる蟬たちの合唱が響き合います。
「ジー」と鳴くのはニイニイゼミ、「ジー、ギリギリ、ジー」はアブラゼミ、「ミーン、ミンミン、ミーン」はミンミンゼミ、「シャーシャーシャー」はクマゼミ、「ギーギー」と鳴く声はエゾゼミ。
そして早朝や夕方の薄暗い山で「カナカナカナ」とひときわ澄んだ声を響き渡らせるのはヒグラシ。夏の終わりに「ツクツクオーシ、ツクツクオーシ」と鳴き出すのが、ツクツクボウシ。
なんと国内に30種以上も生息するという蟬は、まさに日本の夏を盛り上げる合唱隊。耳を澄まして、あの声はアブラゼミ、あの歌はクマゼミと聞き分けてみるのも、夏ならではのちょっとした楽しみかもしれません。時間帯や生息場所によって、いろんな歌が聞こえることでしょう。


鳴くのはオス。幼虫は、古代ギリシャの珍味!?

さて、夏中歌いつづける蟬たちですが、鳴くのはオス。オスの後ろ脚の付け根には腹弁といううろこのような堅い板が二枚あり、その下にはぽっかりと穴があって、背中にある発音筋と発音膜によって出た音がこの穴に共鳴し、大きな音になって外へ出るのだそうです。
なぜ歌うかといえば、やはりメスを惹きつけるためだとか。懸命に鳴くその声に誘われて、メスが近づいてきてゴールインとなるというわけです。交尾後メスは、300個以上もの卵を木の枯れ枝などに産卵。卵からかえった幼虫は地面落ち、地中へ。数年もの間地中で過ごした後、幼虫は木に登り羽化し、樹液を存分に味わいながら歌を歌い、ひと夏を過ごすのです。
ちなみに羽化する前の地面から出てきたばかりの幼虫は、「きわめて美味なり」とかのアリストテレスもいっていたとか。古代ギリシャの人々にとっては、キャビアなどに匹敵するような珍味として食されていたのでしょうか。


羽化した後の抜け殻は「空蟬」。「源氏物語」の中の一巻の名にも

夏のある日、地中からはい出た蟬の幼虫はいよいよ成虫への羽化のときを迎えます。背中の真ん中が縦に割れ、次第に緑色のガラス細工のような姿へ脱皮し、これまた繊細で美しい翅をのばします。
この後、普通の茶色い蟬の姿となるのですが、抜け殻はそのまま木の枝などに残されます。この抜け殻は「空蟬(うつせみ)」と呼ばれ、蟬を意味する歌語にもなっています。うつせみは、元来、この世に生きている身体の意味合いだったところ、万葉集に「空蟬」「虚蟬」の宛字が用いられたことから蟬の意になったそうです。
さて、ここで思い出すのは、『源氏物語』五十四帖の中にある「空蟬」という巻名。寝所に忍んできた源氏から、小小袿(こうちき:婦人の略礼装でいちばん上に着る表着)を残して逃れ去った女性・空蟬の物語が、「帚木」「空蝉」「夕顔」の3巻にわたって綴られています。空しい殻を残して蟬が翅を広げ飛び立っていく生態からの連想から生まれたエピソードがとりわけ印象的ですね。
その蟬の抜け殻のような薄衣を持ち帰った源氏が空蟬へおくったのは、
うつせみの身をかへてける木(こ)のもとに
なほ人がらのなつかしきかな
という歌。すでに結婚していた空蟬は、源氏の想いに応えることもできかね
うつせみの羽(は)に置く露の木隠(こがく)れて
忍び忍びに濡るる袖かな
と、「伊勢集」にある古い歌に心を託してそれとなく応じたのです。
やがて「夕顔」の巻では、夫に従い任地に下る空蝉へ、贈り物とともに衣を返す源氏にに対し空蟬は、
蟬の羽もたちかへてける夏衣
かへすを見てもねは泣かれけり
(秋となり更衣(ころもがえ)をすませた今、あのときの薄衣をお返しくださるのを見ますと、お心も変わったのかと、蟬のように声をあげて泣いてしまいます)と返歌し、去っていくのです。

「歌」とは、古来「うたふ」「ながむる」「なげく」と同義。人の生涯のなかで、ときに生じる感動や慟哭の声が、思わず口からこぼれ、ああーと長く引かれることから歌は生じた……源氏物語の愛読者でもあった本居宣長は、「歌」の本質をこんな風に解いているようです。そんな「歌」がちりばめられた源氏物語。主人公・光源氏を鏡として紫式部は、さまざまな女性たちが辿った道そのものを描きたかったのかもしれません。

……ひと夏、命を燃やし唱される蝉の歌。
やがてその声も途絶えたころ(または翌年の梅雨のころ)、卵から孵化した新しい命は暗い地中深くに潜み、また歌う夏の日を夢見て、長い長い地下生活へと入るのです。