手倉森ジャパン、苦闘と成長の948日間…悔しさを未来につなげるために必要なものとは

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 2014年1月5日のオマーン遠征から始まったリオデジャネイロ・オリンピック日本代表の冒険は、彼らが思い描いていたよりも早く幕が下ろされることとなった。スウェーデンとの第3戦に1−0で勝利し、世界の舞台で勝ち点3をもぎ取ったものの、2位の座を争っていたコロンビアがナイジェリアに勝利したため、次のステージへの道は閉ざされてしまった。

 他力本願の状況だったため、選手たちもある程度、覚悟を決めていたに違いない。試合後しばらくしてコロンビアの結果がピッチの上に伝えられた時、大きくうなだれたり、涙を流したりする選手は――唯一出場機会を得られず、ひどく落胆していた岩波拓也(ヴィッセル神戸)を除いて――いなかった。「この結果を受け止めなければならない」とキャプテンの遠藤航(浦和レッズ)が語ったように、手倉森ジャパンの選手たちは現実にしっかり向き合っているようだった。

 グループステージ突破の可能性をわずかに残し、初勝利を目指して迎えたスウェーデン戦。ナイジェリアとの初戦でスーパーサブの任務を託された浅野拓磨(アーセナル)も、コロンビアとの2戦目でジョーカーとして起用された大島僚太(川崎フロンターレ)と南野拓実(ザルツブルク)の二人もスタメンに名を連ねた。切り札を懐にしのばせないメンバー選考――。手倉森誠監督が前半から勝負を決めにきたのは明らかだった。

 ところが自陣にブロックを敷くスウェーデンの守りをこじ開けられない。「相手のスローペースに付き合わないようにしないといけない」と前日、指揮官が懸念していたとおりの内容で、0−0のまま時間だけが過ぎていく。

 何としても勝ち点3を手にしなければならないゲーム。焦りが生じてもおかしくなかった。だが、ピッチの上の選手たちは、思いのほか落ち着いていた。

「ブロックを敷かれていて、(日本の)サイドハーフやサイドバックがそのブロックの外にいる状態だったから(縦パスを)打ち込める機会が少なかった。あんまり急ぎすぎても前の選手が疲れるだけなので、(途中から)前半はゼロでもいいっていう話をしていた」

 そう言ってゲームプランの変更を明かしたのは大島である。その言葉に同調するように、遠藤も「自分たちのリズムでやれていたので、後半になれば絶対に点を取れると思っていた。だから焦りはなかったですね」と言う。

 後半に入って大島が「航と話し合って」ポジションを少し高く取り、ペナルティーエリア付近でボールに触る回数を増やした。さらに矢島慎也(ファジアーノ岡山)、鈴木武蔵(アルビレックス新潟)の投入で攻撃のギアを上げると、サイドから、中央から、スウェーデンを攻め立てる。歓喜の瞬間が訪れたのは65分。DFラインを突破した大島のパスに矢島が飛び込み、ついにゴールをこじ開けた。

 状況に応じて柔軟にゲームプランを変更する――。こうしたゲームコントロール力や柔軟性は、チームが立ち上げられた当初から手倉森監督が選手たちに求めてきたものだ。こうした展開のゲームでは、必要以上に前掛かりとなってバランスを崩し、カウンターから失点するのが最悪のケース。そうした罠にハマることなく、焦れずに自分たちの判断で後半勝負に切り替え、しっかりとゴールをこじ開けたところにチームの成長と頼もしさが感じられた。

 振り返ってみれば、2014年1月にチームが立ち上げられた時には、何とも頼りない集団だった。

 主にチームを構成するのは、2012年U−19アジア選手権でチームとしての一体感も戦う姿勢も見せられずに惨敗し、U−20ワールドカップの出場を逃した1993年、1994年生まれの選手たち。94年組は2011年のU−17ワールドカップに出場していたが、それが逆に、おとなしくて「勝負弱い」というレッテルを張られた93年組との間に微妙な温度差を生じさせていた。