「悔いのない3試合でしたので、それが結果に結びつかなかったのはすごく残念」。スウェーデン戦後、興梠はそう語った。写真:JMPA/小倉直樹

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 オーバーエイジとして参戦したリオ五輪で、興梠は3試合すべてにスタメン出場した。全試合に先発したのは、CB植田、塩谷、SB室屋、MF中島、遠藤と興梠の6人だ。それだけ、手倉森監督の信頼を勝ち取っていたということだろう。
 
 しかし、その期待に見合った活躍をしたかと聞かれれば、素直に首を縦には触れない。初戦のナイジェリア戦は1トップ、続く第2戦のナイジェリア戦、そして第3戦のスウェーデン戦では2トップの一角を任されながら、3試合で挙げたゴールはナイジェリア戦のPK1点のみだ。
 
 ポストワークで貢献していたとはいえ、ゴールに迫る迫力では、ナイジェリア戦、コロンビア戦と2試合連続で得点を決めた浅野のほうが、遥かに上回っていた。
 
 とはいえ、興梠の存在感があまり目立たなかったのは、彼自身がフォアザチームに徹した結果だと見ることもできる。オーバーエイジの自分がでしゃばるのではなく、あくまで歯車のひとつとしてチームに溶け込む。そうして、チームメイトの力を最大限に引き出す。それこそが興梠の本心だったことは、以下のコメントからも感じ取れる。
 
「個人的に国際大会の経験があまりないなかで、オーバーエイジとしてテグさん(手倉森監督)からオファーをいただいて決断しましたけど、最初はオーバーエイジということで自分がどこまでやれるのか、もちろん不安でした。でも、背負いすぎるのも良くないと思ったので、気楽な気持ちで臨めたと思います」
 
 肩肘張ってチームを引っ張るのではなく、「背負いすぎ」に周りと足並みを揃える。興梠は、それを「気楽な気持ち」と表現し、こうも語った。
 
「僕は(オーバーエイジの)難しさよりか、楽しさがありました。自分としては楽しくやれたし、悔いのない3試合でしたので、それが結果に結びつかなかったのはすごく残念です。このチームでまた何試合かやりたかったですね」
 
 人によっては、「気楽」や「楽しさ」という言葉に嫌悪感を示すかもしれない。ただ、この「気楽」「楽しさ」を額面通りに受け取るのは間違いだろう。
 自分たちオーバーエイジが、アジア予選を戦ったU-23世代の選手たちを”追い出した”ことを、興梠は誰よりも理解している。だからこそ、手倉森監督からのオファーにも悩み抜いた。そうして出したのが、「気楽」な姿勢で周囲の力を引き出す黒子になろう、という答だったのではないだろうか。

 敗退が決まったスウェーデン戦後、興梠は悔しさを隠そうとはしなかった。
 
「日に日にチームが良くなってきて、このメンバーでまたやりたかったなというのが正直な気持ちです。ナイジェリア戦にしろ、コロンビア戦にしろ、負ける試合ではなかった。互角に戦えていたので、なおさら悔しさはあります。でも、初戦で勝点が取れなかったのが……最低でも引き分けなきゃいけなかった。そうなると決勝トーナメントに行けたわけだし、非常に悔しいですね」
 
 試合を重ねるごとに成長していくチームと、一日でも長くともに戦いたかった。その言葉に偽りはない。
 
 大会直前に合流するオーバーエイジという難しい役割を任され、歯車のひとつとして機能しようとした興梠。手倉森ジャパンの”土台”であるチームワークを最大限に尊重したこのFWの献身性は、U-23世代の心のなかにも何かを残したはずだ。