連続テレビ小説「とと姉ちゃん」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)第19週「鞠子、平塚らいてうに会う」第111話 8月10日(水)放送より。 
脚本:西田征史 演出:大原拓 橋本万葉


「わたし、太陽のようになれるものをようやく見つけました。それは水田さんの妻です」

国語テスト


Q:この回の作者の気持ちを答えなさい。
模範回答例:仕事に生きることも、結婚することも、どちらを選んでも、女性は太陽になれるということ。
考えは変わるもので、しかもそれは良いことなので、朝ドラのヒロインが流されて生きていくことを批判するのはナンセンス。

111回のあらまし


有名作家・平塚らいてう(真野響子)から「考えは変わるもの」と聞いて、流される生き方も悪くないと思い直す鞠子(相楽樹)。
無事に、胡麻じるこの作り方を書いた原稿も出来上がって、鞠子は、水田(伊藤淳史)のプロポーズを受ける決心をする。
またしても、道の真ん中で(今日はふたりの立ち位置が、横から縦に違っていたが)大事な話をする鞠子と水田。
こうして、水田は小橋家に「鞠子さんを僕にください」と挨拶に来て、常子(高畑充希)はとと(家長)として、気の弱い水田が話し出すのを一旦制するというドSプレーを経たうえで、「鞠子をよろしくお願いします」と応じる。
媒酌人は花山(唐沢寿明)に頼もうと思ったら、断られたので、キッチン森田屋夫婦に代わりを頼むことに。
常子から事前に結婚話を聞いていながら知らないふりするぎこちない宗吉(ピエール瀧)と照代(平岩紙)がなんともユーモラス、という展開で・・・。

×にされる回答例


半年間毎日放送される朝ドラを書くという作業が物理的にどれだけ大変なのか・・・と思い知らされた回。
平塚らいてうの激流のような人生を描く余裕はなく、結婚と仕事との間で板挟みになる女性の背中を押す役割として使い、脚本をどんどん書き進めるしかないようだ。
平塚と花森安治と大橋晴子(大橋家の次女)のエピソードをモチーフに、パッチワークして逃げ切るという力技も、縫い目が荒く、柄の組み合わせも調和がとれていない感じ。

「暮しの手帖」に寄稿した多くの有名作家のなかで平塚のエピソードを選んだのは、彼女が従来の「家」制度や男と女のあり方に別の視点をもっていたからであろう。それは、とととして生きる常子とも重なってもくる。
子供をもって考えが変わったという平塚の家の表札は「オクムラ ヒラツカ」で、従来の夫の姓を名乗らない生き方をしていることがわかるようになっているとはいえ、そここそ伝えてほしい気もするのだが、そこはわかる人だけわかればいいという考え方なのか。ドラマの小ネタブームのせいで、なんでもかんでも小ネタ化する間違った風潮が生まれたことは残念でならない。ちゃんとドラマを分析したら、小ネタの達人・堤幸彦も宮藤官九郎もこういう小ネタの扱いはしていないのがわかるのに。

でも、平塚らいてうのインパクトで視聴率も上がったようだから、これでいいとなってしまうのだろう。血の出るような思いで文字を刻みつけながら社会と戦ってきた人が浮かばれない。
同じく平塚が登場した「あさが来た」(15年)では、ほかにも実在しているが史実とやや違う人物として五代友厚がいた。ほんとうは結婚していたのにしていないふうに描かれていた彼だが(脚本では書いたがオンエアでなくなっていたと脚本家の大森美香は語っている)、日本に対する献身と情熱は充分描けていた。

上滑りの展開に、片桐はいり、平岩紙、ピエール瀧の貼り付いたような笑顔が、演技ではないように見えて泣けてきた。
水田と鞠子には罪はないのにね・・・。
(木俣冬)