今回の手倉森監督と共通するように、自分らしいコンセプトや哲学は大切だが、そこにこだわるあまり、発想力がやや乏しく、状況を変えられずにいる気がする。ふたりとも才能があり、人間的な魅力も備えている。ただ柔軟性が感じられない。
 
 サッカーの世界も時代は目まぐるしく移ろい、1試合の90分という時間のなかでも状況は刻々と変化していく。監督は勝負師であり、知識とともに勝機を感じ取れる力が求められる。しかし、指導者たちの「知識」が重視されるあまり、感覚が磨かれていっていない気がしてならない。
 
 現在の指導者ライセンス制度は、素晴らしい実績を残した選手でさえも、B級、A級、S級と何年も段階を踏まないといけない。時間も、お金も相当にかかってしまう。もしかすると、そのライセンス発行方法についても、時代に応じた変化が求められるのかもしれない。
 
 今回のスウェーデン戦は、システムが同じ4-4-2で、互いにスペースを消し合いながらサイドから打開しようと試みて、1対1での睨み合いが続いた。いわば消耗戦といえた。
 
 そのため、前半は両チームともにゴール前までボールを運ぶシーンは限られた。ただ日本は組織力を生かして、徐々にボールを奪って仕掛ける回数を増やしていった。このチームの特長といえる、人と人がかかわり合いながらパスワークを生かして何度かチャンスを作り、そして大島の積極的な仕掛けから矢島の先制ゴールが決まった。
 
 他会場のコロンビア-ナイジェリア戦の試合経過について、どのように情報を管理していたかは気になるところだ。ただ、手倉森監督もあくまでこの試合に勝つことのみ集中していたのかもしれない。
 
 グループリーグを突破するためには、1点リードでは心許ない。実際、バランスを崩してまで点を取りにくるスウェーデン相手に、トドメの2点目を狙える隙はあった。それでも、手倉森監督はあくまでも、この1点を守り切ろうとする采配を見せた。
 
 2試合連続得点中の浅野、オフザボールの質の高い動きからジワジワと相手の体力を奪っていた興梠、2トップを代えて、守り重視の布陣にシフトした。結果的に1-0の勝利を収めた。スウェーデンも予選を1位突破している「欧州王者」であり実力はあるのだから、この1試合のみ、90分に関して言えば十分評価できる内容だった。
 
 1-0でOKというのは、このチームらしいとは言えた。それに大会を通じて徐々に尻上がりに調子を上げて、最後は勝利を収められた。「よくやった」という論調が大半になるだろう。
 
 それでも日本は1勝1分1敗の勝点4で、グループリーグ敗退に終わったんだ。その点について、やはり今一度シビアに考えてみたいと思う。
 
 選手たちは力を出し切ったし、これからの人生でも、この経験が生きるはずだ。お疲れ様と言いたい。一方、手倉森監督はスウェーデン戦後、日本サッカーに何かを残せたのではないか、といったことをコメントしていた。しかし個人的には、この3試合を通じて、監督が目先の結果にこだわってきたために、終わってみれば“なにも残せなかった”とも感じている。
 
  加えて、育成年代の指導者はどうあるべきか? このリオ五輪の結果を受けて、今一度、検証する時期に来ているのかもしれない。それは4年後の東京五輪に向けた、重要な課題のひとつになると思う。日本サッカー協会の田嶋会長は育成畑の出身。その点に関しても、手腕を発揮してもらいたい。
 
 もちろん、誰よりも悔しい想いをしているのは、リオ五輪に臨んだ18人の選手たちだ。彼らが目指すのは、A代表定着であり、2018年のロシア・ワールドカップ。そのためには、なによりもまず、自分の所属チームで結果を残し、貢献しないといけない。
 
 守備面で健闘した遠藤、CBの植田、貴重なチャンスを生かした浅野、大島、南野、試合には出られなかったがポテンシャルのある岩波、そしてクラブの事情により大会直前に大会不参加になった久保……彼らがA代表の主力を脅かせなければ、A代表のレベルアップ、さらには日本サッカーの底上げはできない。
 
 それに、リオ五輪には出場できなかったものの、この世代や下には楽しみな逸材が数多くいる。彼らが飛躍していくために、まず尊重して大切にすべききなのは独自の発想であり、発想の転換力。それぞれのチームでそういった感覚を研ぎ澄ましながら、確かな自信を掴み、限界を自分で設けずに突き抜けていってほしいと思う。