本物が語る瞬間。いら立ちに見る希望。 映画『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』

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  実話を元にした映画でも、“出演者”の演技はある。だが、この作品の中には、二人の本物がいる。彼らが語る言葉とその表情に、あまりにも強力な“迫真”を感じて、鑑賞後にパンフレットを開いたら、本物だった。本物がもつ空気はやはり、演技の枠を凌駕する。

 マリー=カスティーユ・マンシオン=シャール監督の『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』(原題・Les Heritiers)が公開された。パリ郊外の実在するレオン・ブルム高校で、“落ちこぼれ”クラスの生徒たちが、全国歴史コンクールで入賞するまでを扱った実話だ。いわゆる“貧困層”が多く暮らす地域で、多様な民族と宗教の中で、さまざまな家庭の事情を抱えてリセ(高校)に通う思春期の生徒たち。ほとんど“学級崩壊”したクラスの新たな担任になった歴史の教師アンヌは、学校側にも見放された彼ら問題児に、「ホロコースト」を扱う歴史コンクールへの参加を提案する。

 難しすぎる、恥をかくだけ、面倒、と反抗する生徒たち。だがそれでも、コンクールにたどり着く。ここまでな ら、よくある“学園もの”。熱血教師と反抗的な生徒たちの心の交流、で説明できる。だが、この作品のすごさはそこにない。生徒たちが前進していく原動力が、別のところにあるように見えるからだ。人種や宗教で徹底的に人間を差別して抹殺していくナチの歴史は、それから半世紀以上も後世を生きる彼らの目の前にある問題と、どこかで似通っているのだ。ネットや本で少しずつホロコーストの歴史を学んでいく彼らが、その哀しい通奏低音に気付くのに時間はかからない。国籍、民族、宗教、そして経済的格差。子供や青年に無情に刃を向けた歴史に憤る彼らは、自分たちが今の社会に覚えているいら立ちが、実は同種の根を持っていると、どこかで気が付いている。だからこそ、一見乱暴に見える彼らのいら立ちに、“希望”が見える。

 彼らを変えた大きなきっかけの一つは、アンヌが語り部として教室に呼んだ強制収容所の生き残り、レオン・ズィゲルだ。「汚いユダヤ人、汚い黒人、汚いアラブ人というような言葉を絶対に口にしないでほしい。そうでなければ私が経験してきたことは台無しになってしまう」という彼の言葉は、穏やかだが確固たる力を持って生徒たちの涙を誘う。なぜなら、レオンは“本物”の生き残り。自分の本当の経験を語っているからだ。そして、もう一人の本物が、実在するレオン・ブルム高校の“この”クラスで、コンクールに参加した当時の高校生の一人。自らの体験を映画化するのに奔走し、それを実現し、そして出演した。

 付け加えるならやはり、彼らを変えるきっかけをつくり、ぶつかり合うクラスを一つの方向に向けてまとめたアンヌの、教師としての力量は、たぐいまれだ。“良い教師”がいれば、社会は変わるかもしれないと信じることができる。ホロコーストなんて難しい課題に取り組めるもんか、と反抗する生徒たちにアンヌが語る言葉は、今の我々大人に向けられている。「みんな違うし、みんな誠実に生きている。だからこそ、あなたたちにはできると信じてる」

 テロの恐怖と闘うことが日常になった今のフランスと、第2次大戦の悲劇を繰り返すまいと構築してきたEUから、既にイギリスの脱退という決断を許した今の欧州。そして、平等やポリティカル・コレクトネスを先導してきた社会で、過激な発言をするトランプ氏が大統領候補になるアメリカ。技術は進み、ネットでつながり、国境を越えた会話が膨大に増えても、まだ我々の“心”は70年前と同じ場所にいる。“違い”を乗り越えて共存する。歴史から学ぶ、ということがいかに難しいことなのか、ため息が出るほど実感できる作品だ。 (編集部 G)

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