リオデジャネイロ五輪8月9日のフェンシング男子エペ。第1シードのゴーチェ・グリュミエ(フランス)に準々決勝で敗れた見延和靖は、流れる汗を拭いながらこう言った。

「世界ランキング1位の選手といっても、フェンシングの場合は剣の相性というのもあるので。対戦したグリュミエ選手は実力的には上だけど相性はいいので。まだ勝てるとはいえないまでも、競る展開は作れるかなという気持ちがあったので......」

 昨年11月にエストニアで行なわれたワールドカップでは、宇山賢との日本人対決を制して初優勝を果たした見延だが、その優勝はグリュミエを破って勝ち上がっての結果だった。

 それまでは、「エペが強いフランス選手に勝てるイメージは持てなかったんですが、その中でも一番強い選手に勝てたのは自信につながるものだった」と話していたように、今年に入ってからの見延は、安定した成績を残せるようになり、世界ランキングを9位に上げてリオに臨んでいた。

 そして、この日は持ち前のスピードのある動きを武器に、2回戦、3回戦と安定感のある試合を見せてベスト8に進出した。

 準決勝進出をかけたグリュミエとの戦いでは、どっしり構えて落ち着いたフェンシングをする相手を崩せず、第1ピリオドが終わった時点で2−4とリードされる展開に。第2ピリオドの序盤では4−5まで追い上げたものの、そこから4点を連取され5−9と大差をつけられて敗れた。

 エペはフルーレと違って攻撃権がないため、相討ちだと両方に得点が入るシステムになっている。そのため得点差が離れれば、リードした側は相討ち狙いで戦えるようになる。そこを生かせず、見延は8対15で敗れたがこの種目初の6位入賞を果たした。(フェンシングでは順位決定戦を行なわず、敗者は世界ランキングの順で順位を決定する。世界ランキング6位の選手に次いで見延は6位)

「ワールドカップで勝った時は僕の方も調子がよかったけれど、実力は間違いなくグリュミエ選手の方が上だと自覚しているので、今回は前半戦の作戦ミスが敗因です。3回戦までの相手は格下だったので手堅いう作戦をとったんですが、彼の場合は格上の選手なので僕から仕掛けて崩していくことをしなければいけなかった。第1、第2ピリオドで、もっとスピードを生かした自分のフェンシングをしていたら、後半にもっと競る試合展開を作れたと思うので、それが悔しいですね」

 見延は、「ベスト8という成績は少し微妙。そこまでいったらメダルを獲ってこいという感じになりますからね」と苦笑する。

 太田雄貴のこれまでの活躍で日本のフェンシングはメダルが取れるという印象が強いなかで、やはりメダルを獲得しなければ、エペという種目の認知度も上がりにくいと考えているからだ。

 しかし、日本のエペが五輪で入賞を果たしたことは、大きな価値がある。エペはフェンシング3種目(エペ、フルーレ、サーベル)の中では、本場のヨーロッパでは最も人気のある種目だ。ポイントが取れる有効面が胴体部分だけで、攻撃権を取らなければ得点にならないフルーレと違い、有効面は足のつま先から頭までの全身で、単純に突けば得点になる。

 これは見る側にとってもシンプルで分かりやすい。そのため人気も高く、競技人口も3種目の中では最も多い。見延の心の中には、そんな厚い選手層の中でしっかりランキング上位に入り、五輪の出場権を獲得したことだけでも価値がある、という自負がある。

 それを表すこんなエピソードがある。08年北京五輪後に見延は太田から、「フルーレをやらないか」と誘われたことがあるが断ったという。

 理由を「エペはフルーレよりルールが単純で、"やるか、やられるか"だからそこがいい」と説明する見延だが、「世界レベルで見ればエペは最も人気がある種目だから」という部分もあったという。

 そして、エペでは女子も活躍した。2回目の五輪出場となる佐藤希望(のぞみ)がベスト8に進出し、こちらもまた日本エペとして、初の入賞を果たした。

 その佐藤の勝ち上がり方はミラクルだった。剣を持つ右手の親指を突き指で痛めていたにも関わらず、2回戦では第3シードのタチアナ・ログノワ(ロシア)に延長戦一本勝負の末に15−14で勝つと、3回戦ではロンドン五輪優勝のヤナ・シェミャキナ(ウクライナ)を11−8で破る大金星を連発。準々決勝では優勝したエーメセ・サス(ハンガリー)に完敗したが、それでも8位。

 エペが男女ダブル入賞を果たした大きな要因として、フルーレが03年秋からウクライナ人のオレグ・マチェイチュク氏をヘッドコーチに招聘したところから始まり、続いて招聘した、ウクライナ人のオレクサンドル・ゴルバチュク氏が、2年間の臨時コーチを経て、10年から日本代表チームのエペコーチに昇格し、強化に取り組んできたことだ。

 佐藤が「シェミャキナ選手は普段から仲がよくて、試合の前には一緒に対策を考えるほど。リオの前のアメリカでの調整合宿も一緒で、互いに手の内を知り合っている相手でした」と話していたように、試合に遠征するだけではなく、コーチが情報を集めて他国と一緒に合宿をするなど、世界の選手たちと練習する機会を多く設けていたことも有効に働き始めているのだ。

 それは、このリオ大会だけではなく20年東京五輪はもちろんのこと、その先の24年の五輪までを視野に入れた長期的な構想を持った強化策だ。

 その途上としての五輪でのダブル入賞は、全種目で団体戦出場を逃したことや、男子フルーレ太田の初戦敗退という悔しい結果を、カバーしても余りある大きな成果だった。

折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi