今回ご紹介させていただく「野犬の森」というお話は、私が子供の頃、今は亡き母からよく聞かされた犬の亡霊の話です。
母の生まれ故郷に昔から言い伝えられて来た、チョット怖いけど感動的な話で、むやみに生き物の命を奪ったら罰が当たると言う戒めの話でもあります。

野犬の森

〖登場人物〗

主人公…………飼い犬の『源(ゲン)』
父(マタギ)…内山勘蔵
息子……………内山清松
悪いマタギ……龍崎亀吉
亀吉の息子……龍崎茂助

哀れ、愛犬の源が・・・

 
時は大正時代の末期。
奥深い山中の村で暮らす村一番の腕利きマタギの心優しい父【内山勘蔵】とその息子【清松】、そして愛犬の【源】の三人は、萱葺き屋根の古くて小さな家で、貧しくも幸せに暮らしていました。

一人息子の清松が生まれて間もなく、母は産後の肥立ちが悪く死んでしまいました。
そして清松は生まれながらにして口が聞けない病気を病んでいたため、学校では何時も虐められいて、いつしか学校に通わなくなっていましたが、そんな息子を勘蔵は不憫に思い、決して咎めたりはしませんでした。

愛犬の【源】は元々は捨て犬で、勘蔵が狩りの途中お腹を空かせて倒れていた子犬を助けて家に連れ帰り、猟犬として育てられました。
源は毎日勘蔵と一緒に狩りに出かけ、勘蔵の手伝いをするのが何よりも好き。
そんな源の猟犬としての能力は、他の猟師も羨む程の優秀なほどだったそうです。
そして源は狩りから帰ると、口の聞けない清松を哀れみ、いつも傍に寄り添って守っていたのでした。

そんな一家が住む家の近くには昔から【野犬の森】と呼ばれている不気味な森があり、そこには捨てられた犬達がいつの間にか増えて野生化していました。
その森に入ると食い殺されると言われていましたので、一部の猟師以外は足を踏み入れる者はいなかったそうです。
でも、野犬の森を通らないと獲物の豊富な猟場に行けない事から、勘蔵は止む無くこの森を通って猟場に行くのでした。

そんなある雨の日、勘蔵が猟を休んで銃の手入れをしていると、ある男が勘蔵を訪ねて来ました。
その男は悪評高いマタギの【龍崎亀吉】でした。
亀吉は人の獲った獲物を横取りしたり、いつも酒を飲んでは暴れて人に怪我をさせてりしている最悪のマタギでした。
その亀吉が、『自分の犬が死んだので、今日一日でいいから源を貸してくれ』と言うのです。
もちろん勘蔵は断りました。
すると亀吉は怒って『憶えてろ、このままで済むと思うなよ』と、捨て台詞を吐いて帰って行ったのでした。

それから数日経って、勘蔵は獲物を売りに町へ出かけたのですが、その様子を物陰から見つめる人影がありました。
それは先日、源を貸して貰えなかったことに恨みを抱いていた亀吉でした。
亀吉は勘蔵の留守を良い事に、息子の茂助と一緒に勘蔵宅にやって来て、自分の猟銃で源の頭を撃って殺してしまいました。それも清松の目の前で。
そして亀吉と茂助は、源の亡骸を野犬の森の奥深くに捨ててしまったのです。

家に戻った勘蔵は部屋に入った瞬間、夥しい(おびただしい)血を見て絶句しました。
そして清松は血を指差して声を発せずに、ただ泣きじゃくるだけでした。
しかし清松が喋らずとも何があったのか直ぐに分かりました。
『源は亀吉に撃ち殺されたんだ』と…。
勘蔵が『やったのは亀吉だな』と清松に聞いたところ、清松は泣きながら頷きましたが、喋れない清松を証人には出来ないと思い、源の恨みを晴らしてくれるように祈ることしかできませんでした。

恐怖に慄く亀吉と茂助

ちょうどその頃から、亀吉と茂助に異変が起こり始めます。
丑三つ時なると、身の毛もよだつ姿をした犬の怨霊が現れ始めました。
この怨霊こそ、自らの恨みを晴らすために怨霊となった源の姿だったのです。

毎日同じ時刻になるとランプの灯りが消え、『ビョー、ビョー』と異様な鳴き声と共に、『オン キリリヒッチリビキリ タダノウウン サバセットロンノウシャヤ サタンハヤ サタンハヤ ソバタソハタ ソワカ』という不思議な呪文を唱える男の声が朝までに一万回も聞こえてきました。
この声は源の恨みの声と、勘蔵が毎日唱えている制裁の呪文だったのです。

毎夜、怨霊は二人の喉元に食らいつこうと襲いかかって来ました。
亀吉と茂助は恐怖に慄きながらも、夜通し無我夢中で銃を乱射して、なんとか源に食いつかれずにすんでいましたが、その時二人は決まって強烈な頭痛に見舞われるのでした。
こんな状況が毎日夜明け近くまで続くものですから、亀吉と茂助はとうとう発狂して、源の導く野犬の森に自ら入り込んで行ったのです。

そうして、野犬の森に入り込んだ二人は野犬の群れに無残に食い殺されてしまいました。
二人が仲間のマタギに発見された時は骨も無くなるほど食い尽くされたのですが、何故か頭部だけは喰われずに残っていたそうです。
これは源が【敵を取った】と、勘蔵と清松に知らせたかったからだと言い伝えられています。
この知らせを耳にした勘蔵と清松は、他界した母の位牌と源の寝床だった場所に向かって涙を流しながら合掌したそうです。

源の執念

亀吉と茂助の死によって、源の恨みは晴らせたかも知れませんが、まだ源の亡骸は見つかってはいませんでした。
この村では殺された者は成仏できず魔界に落ちると伝えれれていたため、勘蔵は何とか探して弔ってやろうと思っていました。
その頃から野犬の森で悲しげな犬の鳴き声が風に乗って『くーん、くーん』と聞こえる様になったのです。
その噂を聞いた勘蔵は、「ひょっとしたら源が呼んでいるのではないか」と思い、ある決断をしたのでした。
それは、命の危険を覚悟の上で野犬の森の奥深くまで入って探すと言う事でした。

そしてある日、息子の清松を家に残し、勘蔵は野犬の森の奥深くは入って行きました。
朝から晩まで夢中で探したが見つからず、夜も更けついにはカンテラ(手提げ用の石油ランプ)の油も尽きてしまいました。
勘蔵は野犬の森でとうとう道に迷ってしまったのです。

『俺もここで野犬に喰われて死ぬのか』
闇に包まれどうする事も出来ずにいると、ついつい余計な事を考えてしまうもの。
不思議なことに、野犬の森ではいつもなら遠くからでも遠吠えが聞こえて来るのに、この日に限って野犬の遠吠えは全く聞こえませんでした。
そんな暗闇での静寂と1日中森の中を彷徨った疲れから、勘蔵は居眠りをしてしまったのです。
こんな所で居眠りなどしたら危険だと分かっているはずなのに・・・。
どの位眠っていたのでしょう、ふと気づくと闇の奥から『くーん、くーん』という犬の鳴き声が聞こえてきました。
『この聴きなれた声は、源の声だ!』と勘蔵は直ぐに分かりました。
そして勘蔵は我を忘れて鳴き声の方向に突き進んで行きました。

真っ暗闇の森を進むうちに、遠くにうっすらと光が見えてきました。
その光は近づくほどに強くなり、ついにははっきりと金緑色に輝いて見えました。
「源…」
それは勘蔵が源のために猪の毛皮で作った首輪に、ヒカリゴケを摺り潰した汁を染み込ませてあったのが光っていたのでした。

勘蔵が光の場所まで行くと、骨だけになった源の変わり果てた姿がそこにありました。
しかもその場所だけ昼間の様に明るく、まるで源と勘蔵を照らしているかの如く明るかったそうです。

髑髏に村田銃(大正時代にマタギが使用していた銃)の弾丸で開けられた穴があり、その横にはボロボロになっても金緑色に光る首輪が落ちていました。
『間違いない、源だ』と勘蔵は確信したのです。
これこそが、死してもなお飼い主の命を救い、自分の居場所まで教えた源の執念だったのです。

勘蔵は悲しみを堪えながら、源の遺骨を集め、自宅から持ってきた風呂敷にそっとくるんであげました。
と、その時、源の遺骨の入った風呂敷から青白い炎が立ち昇り、まるで『ついて来い』と言わんばかりにユラユラ揺れながら動き出したではありませんか!

『これは、きっと源のお導きに違いない』と解釈し、勘蔵は炎の進む方向について行きました。
しばらく歩くと突然炎が消え、複数の野犬の遠吠えが前方から聞こえて来たのです。
勘蔵は銃を構え周りの状況をよく見ると、そこは勘蔵が何時も猟場に行くために通る森の出入り口だったのです。
勘蔵は自分を導いてくれた源の想いを感じ、『何と言う事だ!!』『源よありがとう』と、思わず叫んでしまいました。
そして気がつけば。いつの間にか野犬の遠吠えは消えていました。
きっと野犬達も源の亡骸が見つかって嬉しかったのでしょうね。

源の魂が奇跡を起こす

勘蔵が家についたのは、もう夜明けとなっていました。
さっそく源の遺骨とボロボロになった首輪を庭に埋め、木で作った卒塔婆を立てて上げました。
そして般若心経を唱えていると・・・
家の中から清松が出て来て『お父、源が喜んでる』と、喋ったではありませんか!!
なんと!清松は言葉が喋れる様になったのです!
嬉しさのあまり勘蔵と清松は、源の墓の前で抱き合い号泣してしまいました。
源の魂が奇跡を起こしたのです。

それから毎日、源の好きだった雉の干し肉をお供えして供養して上げました。
そして勘蔵と清松親子は、いつまでも源を忘れずに幸せに暮らしたそうです。

後記

この話は本来ハッピーエンドではないと、今は亡き父から後で教えてもらいました。
実際この親子は二人とも殺され、野犬の森に遺棄されて怨霊となり亀吉親子を憑り殺すのですが、遺体が見つからず誰も供養してくれないため成仏できない、と言うのが本当の筋の様です。
しかし母としてはその結末が哀れに思ったのでしょう。
筋書きをパッピーエンドに変えて幼かった私に伝えたのです。
私としても母が変えた筋書きの方が好きです。
この方が何かホットしますものね。

皆様はどちらの筋書きがお好きでしょうか?