写真提供/阿部慎史氏

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 夏の甲子園大会が始まった。高校球児にとって目指すべき頂点で、特に高校3年生にとっては最後の夏であり、予選も含めて悲喜こもごものドラマが繰り広げられる。高校3年の最後の夏、自らの5つのミスで、甲子園の切符を寸前で逃した男がいる。

◆誰も触れようとしない「甲子園の切符をのがしたミス」

 その男とは、公認会計士、税理士、行政書士の阿部慎史だ。阿部は、1996年、早稲田実業2年の時、控え捕手として、夏の甲子園に出場した。しかし、それは、 二番手捕手が大会直前に怪我をしたためであり、「三番手捕手が棚ぼたでベンチ入りしたとしか言いようがない」と阿部は言う。

「実力で正捕手の座をつかみ取る。そして甲子園へ行く」と決意し、猛練習に励む。そして、ついに、正捕手の座をもぎとった。勢いはとまらない。3年生、最後の夏の甲子園大会東東京予選、阿部は打率5割を超える活躍で、いよいよ決勝に進出。決勝の相手は、岩倉高校だ。「今思えば、いよいよ夢がかなうという思いで、足が地につかず、がちがちになっていたのだと思います」と阿部は言う。

 なんと阿部は、この試合2失策1捕逸2走塁死を犯し、実質的に失点5点の戦犯になってしまう。試合14対12の2点差で岩倉の勝利。野球に「もしも」はつきものとはいえ、「ミスが2つで留まっていれば、甲子園の地を再びふめたと思うと……」と阿部は、今でも言葉をつまらせる。監督も、チームメートも、いまだにそのことに触れないことも、胸のつかえだ。

◆緻密さとコミュニケーションで勝負

 早稲田大学へ進学し、阿部は、リベンジを誓う。再び、「必ず正捕手の座をつかみ取る。そして東京六大学野球リーグで優勝する」と誓ったという。しかし、その年、甲子園優勝チームのキャプテンで4番、強肩、強打者の捕手、東辰弥が特待生で早稲田大学野球部に入部する。当然、阿部は補欠だ。周囲からは、「正捕手になるなんて、ばかげたことを考えるな」、「何を寝ぼけたことを言っているのだ」と、「自分の決意を、誰もまともに取り合わなかったですね」と阿部は述懐する。

 しかし、周囲から何を言われても、阿部はあきらめなかった。時あたかも、前年にヤクルトスワローズの古田敦也がセントラル・リーグ・シーズンMVPと日本シリーズMVPを受賞した。古田は、緻密な頭脳プレーヤーではあったが、プロ入り当初は、打撃が期待されていたわけではない。動作の素早さとコントロールは抜群だったが、強肩とはいえない。

 阿部はそこに光明をみた。「自分の緻密さ、素早い動きとコントロール、そして、投手や野手、ひいては監督との信頼関係が抜きん出ていれば、正捕手の道が開けるかもしれない」……。阿部は、商業科出身で、簿記は得意で、緻密さに欠けては人後に落ちないと自負していたのだ。

 そこから、阿部の自チーム投手の徹底した配球とくせの研究、投手、野手、監督との密なるコミュニケーションが始まった。それは、その後の4年間、高まりこそすれば、途絶えることはなかった。当時の早稲田大学には、阿部の1年下に、現ソフトバンクホークスの和田毅、2年下に現阪神タイガースの鳥谷敬と、現シアトル・マリナーズの青木宣親と、全盛期だ。キラ星の如くスタープレーヤーである彼らの信頼を勝ち取っていく。そして、ついに、4年の春、阿部は、正捕手の座をつかみとったのだ。

◆内なる信念を持ち続ければ、応分の報酬が得られる

 もちろん、東辰弥がチームメンバーの信頼を勝ち取っていないということではない。そして、東の怪我の事情もあった。しかし、阿部には、強肩、強打の東に打ち勝つには、自身で出来ること、つきつめればコミュニケーション・プレーしかなかったわけだ。そして、それが日の目をみたのだ。