『ランド』(1〜3巻)
山下和美 講談社モーニングKC 

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 今、大きな話題を集めている山下和美さんの最新作『ランド』。待望の最新3巻は7月に発売されたばかりだ。奇妙に閉じられた世界の物語に山下さんが込めたのは、3・11以降の日本に感じる“不安”だった。

 山に囲まれた奇妙な閉鎖空間「この世」に暮らす少女・杏。物語は、杏が鳥の落とした種を拾ったところから動き始める。山の向こうの「あの世」から飛んできた鳥。そこには、知命で死んだ人しかいけないはず。杏は思う。外の世界には誰か住んでいるの? それは、決して抱いてはいけない問いだった。なぜなら、神への畏れと厳しいしきたりで隠してきた「この世」の本来の形が見えてしまうから。彼女は知る。「この世」の外の世界には、超高層ビル群が広がっていることを。

 山下和美さんは、人間と社会の観察者だ。山下さんが『ランド』に込めたのは、3・11以降の日本を見て、感じた“不安”。都合の悪い問いの隠蔽、異質な者の排除、起こり得る民衆の扇動……。「この世」の有り様は、日本のそれと重なるだろう。

 しかし、『ランド』は堅苦しい社会派作品ではない。素晴らしく面白いマンガだ。3巻では徐々に「この世」と「あの世」を支配する「ランド」のシステムが明かされ始める。誰がなぜ「この世」を作ったのか、今後から目が離せない。

 山下さんは、思想や教訓を語ってはいない。世界の形を丁寧に提示してくれる。私たちはそれによって、何をなすべきか考え、選択することができる。私たちも山下さんや杏と同じように、考える人になれる。『ランド』はそんなマンガだ。

『ランド』の登場人物


杏(あん)
「この世」で生まれ育った元気で好奇心いっぱいの少女。不可解なしきたりに疑問を抱いている。鳥が落としたひまわりの種をきっかけに、山の向こうの世界を見たいと強く思うように。アンと出会い、山へと入っていく。


アン
双子は不吉という子捨てのしきたりに従い、父の捨吉によって山に捨てられた。銀じいに拾われ、他の子どもたちと山で暮らす。父を殺したいほど憎んでいる。杏とは思念で会話する。鷲につかまって飛ぶことができる。


和音(かずね)
光る髪を持つ“異形”だが、前の名主のあやめから寵愛を受けていた。ランドの内と外を行き来する謎の存在で、杏に山の向こうの世界を見せ、文字を教える。アンたち山の民のことも知っている。天音という双子の兄弟がいる。

山下和美キャラクターズの多彩な魅力

 1980年に『週刊マーガレット』でデビューした山下和美さん。88年には『モーニング』で『天才 柳沢教授の生活』の連載をスタートさせ、以来、女性向け、青年向けとジャンルを問わず八面六臂の大活躍。
 代表作ともいえる『柳沢教授』と『不思議な少年』はもちろん、少女マンガ誌で執筆した初期作品も、現在の作風につながる独自の輝きを放ち続けている。
 

「それでも人は発見を繰り返し 前に進んで行くのです」

柳沢良則(『天才 柳沢教授の生活』)

Y大経済学部教授。夜9時に就寝する規則正しい生活を送り、交通法規を遵守。道は直角に曲がる。疑問に思えばすべてを追求する知的探究心の塊。人にも物事にも偏見を持たず、学び、発見することが何よりの喜び。家族を愛し、猫のタマを飼っている。英文学者だった父とは、今でも少し子どもっぽく喧嘩することも。若い頃はかなりの美青年であり、女性にも度々好意を寄せられた。

『天才 柳沢教授の生活』の連載が、『モーニング』でスタートしたのは88年。山下さんにとって青年誌初進出となった記念碑的作品であり、28年もの長きにわたって続くライフワークだ。この作品の魅力を一言で表すならば、“人間への愛”ではないだろうか。教授は決してブレない人物である。規則正しく9時に就寝といった生活態度だけではない。思考法、物事に対する視線がブレないのだ。教授にはあらゆる事象が研究対象であり、その点において決して偏見や悪しき慣習に惑わされることはない。幼稚園児も一国の王子も有名女優もヤクザも、彼の前では平等に一人の人間だ。つねに教授は、彼らの中に優しい真理を発見する。

 そんな教授は、みんなから愛されている。教授の最大の理解者・正子(お母さん)、教授に理想の男性像を見る四女の世津子、大のおじいちゃん子・孫の華子……。そして教授と出会った人々は、たとえ絶望に沈んでいても、教授の姿に励まされ希望を見出すことができる。学びと発見を続ける柳沢教授は、みんなにとっての普遍的な希望と優しさの象徴なのだ。
 

「人間って……なんなんだ……」

少年(『不思議な少年』)

人間がただ人間らしくあろうとするとき、忽然と現れる美しき少年。永遠の生を生き、過去も未来も自在に時空を超え、無数の人間を見てきた。人はなぜ満ち足りないのか? なぜ殺し合うのか? そしてなぜ愛し合うのか? 興味を抱き問い続ける。人間は上等なものじゃないとペシミスティックに語る一方、大好物のお菓子や殺人が一件も起きない奇跡の日のために奔走する一面も。ロム族の青年・ベラの前では女性になった。

 2001年に連載が始まった『不思議な少年』は、『天才 柳沢教授の生活』と並ぶ山下さんの代表作だ。永遠の生を生きる美しき少年は、世界の観察者だ。人はなぜ殺し合うのか? 愛し合うのか?彼は問い続ける。この作品が彼の目を通して描き出すもの、それは太古から続く“人間の営み”そのものではないだろうか。

 少年が見届ける人間の魂は、極めて多彩だ。ソクラテスは処刑に際しても永遠の生を一蹴し、フランツは魔女裁判を前に自らの心の醜さとそこから生まれる愛の形を知る。少年自身が、大好物の梅菊焼きのために田舎娘の恋を手助けし(6巻「ムメキクと周平」)、人類誕生以来最初で最後の奇跡“殺人が一件もない日”を実現すべく奔走したこともある(2巻「レスリー・ヘイワードと山田正蔵」)。

 少年の問いに答えはない。悲しみと喜び、絶望と希望、幸福と不幸はつねに表裏一体。一人の人間の中に菩薩と鬼がいる。でもだからこそ、人間は美しく、ときに奇跡を成し遂げる。少年と同じように、私たち読者も人間への興味と希望を追い続ける。

取材・文=松井美緒