『ぼくが発達障害だからできたこと』
(市川拓司/朝日新聞出版)

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 発達障害を持って生まれた自身を、“テナガザル”と表現する市川拓司さん。作家として独自の視点から自己分析、自己内省をし、発達障害者が見ている世界、考えていることを『ぼくが発達障害だからできたこと』(朝日新聞出版)にまとめた。当事者が語る、しかもポジティブな発達障害者論はこれまでほとんど例がなく、巷の“発達障害者像”を塗り替える一助となりうる1冊であることはまちがいない。加えて、『いま、会いにゆきます』(小学館)をはじめとする作品に共通する、イノセントでやさしい市川ワールドがどのようにして生まれたのかが解き明かされているため、ファンとしても見逃せない。

 そんな市川さんがいま危惧しているのが、若者たちに見られる「擬似発達障害」「発達障害症候群」というべき現象だ。

■大人たちが、擬似発達障害を作った

市川拓司さん(以下、市川)「自分が抱えている症状を発達障害が理由なのだと思い込んだり 、遺伝子に問題がないのにまるで発達障害のような症状を見せたりする若者たちのことです。その背景にあるのは、食生活や運動不足など生活習慣の問題です。DVやネグレクトが影響している場合もあるでしょう。本来の発達障害は、母胎にいるとき すでに脳に凹凸ができはじめています。凹凸とはトレードオフのことで、ある機能や能力が引っ込む代わりに、別の機能や能力が突出してそれを補う現象です」

 普通の人ができて、発達障害者ができないことは数多くあるが、逆もまた然り。絵の才能に恵まれているとか、緻密な作業に長時間集中できるため何かを作らせたら右に出る者はいないとか、昆虫についての膨大かつ体系的な知識を持っているとか。市川さんは視覚システムが発達し、それが作家という現在の仕事に活かされていることは前篇でお話しいただいたとおり。

市川「でも、擬似発達障害の子たちは生まれた後に、外的要因によって脳の内分泌が変化したり、前頭葉の機能が著しく低下したりするものだから、凹が現れてもそれを補う凸が現れません。結果、発達障害の負の部分だけが現象として出るのだから、やりきれませんよね。これが日本だけでなく、先進国の若者全体に蔓延しているように見えます。どう考えても、すべて大人の責任です。生活環境を整え、DVやネグレクトと無縁の状態で育てれば、子どもは自分で幸せになる力を育んでいけるのに」

■障害を活かせばスーパーマンになれる

 その一方で、発達障害の凸の部分を活かせないことで生きづらさを抱えることになるのも、ひとつの典型だ。

市川「僕らの親の世代ぐらいまでは職人的な仕事が多く、特殊な技能や図抜けた集中力を活かせる職業が少なからず用意されていました。でも現代は、多くの人がサラリーマンになります。僕もサラリーマンとして事務の仕事をしていた経験があるので、そのつらさはよくわかります。発達障害の人たちが『自分はここに向いていない』と思っても、選択肢がものすごく限られていますよね。ただ、現代だからこその、発達障害を活かせる職業というのもあって、それはIT系です。対人関係があまり必要ないし、集中力を発揮できるし、好奇心が満たされるから、IT系の仕事はある種の発達障害の子たちに向いていると思います。前篇で発達障害=適応障害だとお話ししましたが、ある場所ではただの変人だけど、適した場所にいけばスーパーマンになれる。でも均質化を重んじるいまの日本社会では、それがなかなかむずかしい。社会以前に、親がそれを許さないケースも多いでしょう」

 そうなると当事者や周囲の人が、「治せるものなら、発達障害を治したい」と思うようになるのではないか。

■美しくて、詩的な発達障害の物語

市川「アメリカでは、投薬による障害の矯正が行われることがあるそうです。発達障害のなかの、特に多動や興奮しやすい、キレやすいといった症状に有効な薬はあります。でも、薬によっておとなしくなったその人は、そもそもその人自身なのだろうかという問題があります。僕もいろんな医師から、『もし発達障害を治すことができても、完治しちゃったら市川さんはきっと作家じゃなくなるよ』といわれました。僕は神懸って降りてきたものを自動書記するタイプの作家だから、それがなくなったらもう書けない。薬には、発達障害者をスポイルする可能性があります。薬によって自己破壊衝動や犯罪行為につながるような欲求は抑えられるでしょうが、そのために人格そのものを改変してしまうことをどうとらえるのか、当事者も考えていかなければいけません」

 発達障害の当事者が自身の発達障害について考え、それを発信していく。いまはその元年なのではないかと市川さんは考える。

市川「僕も、物語のある美しい発達障害本であればぜひ読みたいです。たとえばドナ・ウィリアムズの『自閉症だったわたしへ』(新潮社)は文章がすばらしく、何よりそこにある世界がとても美しい。ドナと、同じく自閉症の青年とのあいだにほのかな恋が生まれる瞬間の描写が特に好きで、僕はこれ以上美しいラブストーリーはないと思っています。欧米には、僕よりももっと重度の発達障害の人たちによって書かれた、非常に詩的な小説がいくつもあるんですね。当事者ではなくその母親が書いた『くらやみの速さはどれくらい』(早川書房)も、映画化もされた『モーツァルトとクジラ』(日本放送出版協会)も美意識に裏打ちされた作品です。露悪的なものは、読むのがつらいです。僕はナラティブ(物語)は人間の本能にいちばん近い部分を揺り動かすと信じているので、その人自身がたとえ文章のプロでなくても、魅力のある表現でエンタテイ ンメントに昇華された発達障害の物語を紡いでくれれば、敬意を持って読めますし、きっと共感もできます」

取材・文=三浦ゆえ