『野戦病院でヒトラーに何があったのか 闇の二十八日間、催眠治療とその結果』(ベルンハルト・ホルストマン:著、瀬野文教:訳/草思社)

写真拡大

 アドルフ・ヒトラーが、精神科医から「ヒステリー症状を伴う精神病質者(サイコパス)」という診断を受け、催眠療法を施されていた、と聞いたら大抵の人は驚くのではないだろうか? 『野戦病院でヒトラーに何があったのか 闇の二十八日間、催眠治療とその結果』(ベルンハルト・ホルストマン:著、瀬野文教:訳/草思社)は、アメリカに残る秘密文書や、現在活躍中の精神療法医の意見を参考に、これまで重く受け止められることがなかったヒトラーの入院と治療とに迫ったノンフィクションだ。

 日本の精神科では、行われることの少ない催眠療法だが、米国では一部の州で保険適用範囲、ドイツでは心理療法家という国家資格取得者によって行われる実際的な治療法のひとつだ。医師が患者を催眠状態に導き、それまで眠っていた自己治癒力や記憶を働かせることで、症状の改善を図る。催眠中は普段の意識が外され無意識が前面に出てくるので、人格が変わったように見えるが、催眠が解かれれば元に戻る。いわば、眠っていた力が働きやすくなるきっかけ作りであり、間違っても洗脳ではない。

 ヒトラーは、第一次大戦後の混乱した情勢から徐々に権力を手中に収めていくのだが、もともとは、ウィーンの美術学校受験に失敗した、孤独で貧しく無力な青年だった。第一次大戦下では、ドイツ軍兵士として参戦。1918年10月13日から14日にかけての夜半、伝令兵として、西部戦線ヴェルヴィク南方にて戦闘中に、イギリス軍から毒ガス榴弾の攻撃を受ける。ヒトラー執筆の『わが闘争』では、数時間の連続速射で死亡者が続出、自身は毒ガスを浴びたせいで失明をしたと告白されている箇所だ。21日からパーゼヴァルクの野戦病院に入院したヒトラーであるが、この時、診断名を下し治療に当たったのが、フォルスターという名の高位の“精神科医”であった。“眼科医ではない”のだ。つまり、ヒトラーの失明は、精神的なショックによるものだと判断されていたということになる。ちなみに、当時の診断記録は、後にヒトラー自身の手によって抹消されている。では、治療はどのように行われたのだろうか?

 医師は、ヒトラーの精神病質は簡単に変えられないが、ヒステリー症状だけは自分の催眠療法で治療しうると確信。ヒトラーを催眠状態にし、こう話しかける。「生粋のアーリア人種で、しかも一級鉄十字勲章の栄誉にあずかった優秀な軍人であるあなた」「偉大な人間にはやはり、奇跡がおこるものです」。わずか1時間後、部屋を出ていく時のヒトラーの目は見えるようになっていた。しかも、“精力的で自信に満ちた超人へと変貌していた”のだ。ところが後日予定されるべきはずの催眠を解く作業は、ついぞ行われることがなかった。医師が解雇され、ヒトラーは「兵役に服する能力有り」と認められるほど回復し11月19日に退院したからだ。

 といっても、この場面を本書の著者が直接目撃したわけでは、もちろんない。著者が基にした資料は、第二次大戦末期にエルンスト・ヴァイスというドイツ人作家によって書かれた小説『目撃者』だ。小説を歴史的資料として扱うことは本来ならナンセンス。しかし、その内容が創作ではなく事実だとしたらどうだろう。驚くべきことに、この小説は、医師の治療手記を下敷きにして、書かれたものだという。医師は、大戦末期にパリを訪れた際、治療手記を亡命中の作家の手に渡しており、その後医師は謎の自殺、作家も作品発表から2年後に自殺をしている。1938年の出版時にかんばしい売れ行きを示さなかったため、長い間誰にも注目されなかった小説だが、1973年に米海軍が「ドイツ・ヒトラー・精神病研究」という主題の秘密文書を解禁したことがきっかけで、再び脚光を浴びることになった。

 著者は、こうした事実から、ヒトラーが催眠状態のまま政治的行動を進め、その後の第二次大戦を導いた可能性を示唆している。医師から掛けられた言葉に加えて、内面に留められていた、決して実行してはならない理想を叶えるべく行動したのではないかというのだ。そして、「どう判断するかは読者諸賢の自由にまかされている」と読者に疑問を投げかける形で本書を閉じている。

 ヒトラー自身は入院時のエピソードを、「『おまえがドイツ民族を解放してドイツを偉大な国家にすることになるだろう』という託宣にとらえられた」と述べている。託宣を告げたのは神ではなく医師なのか? 確かに、催眠状態と見てもよいような発言だが、さて、どう判断するかは、著者の言うようにあなた次第だ。

文=奥みんす