東大卒後も大活躍!元祖「アクティブラーニング」の生徒たちのその後

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ただ聞いているだけの会議って、すっごく退屈だし、何を話したか覚えていないもの。一方で、ディスカッション型の会議や、自らが登壇してプレゼンする場合、その内容はしっかり覚えている……という経験のある方も多いのではないでしょうか。

文科省が新たな学習指導要領導入すると発表して話題になっている“アクティブラーニング”も原理は同じ。

“ディスカッション”の学習定着率は、“聞いてるだけ”のなんと10倍。さらに自分が“教える”立場に立つことで、定着率は18倍にもなるそう。

授業に積極的にかかわり、そして実際に自ら“やってみること”で記憶にも残る。このような学び方が、“アクティブラーニング”と定義されています。

新しい教育法に思えますが、じつは日本にも元祖“アクティブラーニング”があり、そして、そのスペシャルな授業を受けた生徒の多くが今、豊かな人生を送っているといいます。

さっそくご紹介していきましょう!

■教科書は使わず、小説『銀の匙』だけ! “伝説の教師”エチ先生の生徒達は社会に出て活躍

旧制灘中学の国語の授業で、1冊の文庫本『銀の匙』を3年かけて読み込む授業を実践した伝説の教師、エチ先生こと、橋本武先生(2013年没)。

体験型の“スローリーディング”にこだわり、文中にタコを上げる場面があれば、生徒達とタコ上げをしたり、百人一首がでてくれば、百人一首大会を開く。

“七草がゆ”という言葉があれば、その起源や歴史を生徒に調べさせたりと、じっくり横道にそれながら進める授業だったといいいます。

まさに生徒の授業参加を促す“アクティブラーニング”の原点といえるのではないでしょうか。

反対の声にも負けず続けた授業が功を奏してか、当時1960年代にまだ無名だった灘高では、東大合格者数が日本一になるという予期せぬ成果も出始めます。

そして、特筆すべきは生徒達の卒業後。多くの生徒が各界の第一線で活躍しているというのです。

<『銀の匙』の子どもたちの多くが、エチ先生の授業で身に着けた力の凄味は、実社会にでて、30歳くらいになって気づいたという>

と『奇跡の教室 エチ先生と「銀の匙」の子どもたち(小学館)で、生徒の“その後”を追跡した文芸評論家の伊藤氏貴さんはつづっています。

■これぞ「アクティブラーニング」の原点! 一生役立つ体験とは……

エチ先生は、『<銀の匙>の国語の授業』(岩波ジュニア新書)の中で、以下のように述べています。

<できるだけ作者と同じことを追体験する。作者と同じことをやらせてみると、自分が作者になったような気持ちになれますから。そのときの喜び、楽しみ、それを味わうこともできるだろう>

何事にも、“線”がきっちり引かれる社会ですが、エチ先生は、横道に反れる授業を通じて、様々なボーダーラインを壊していきます。

“作者と読者”、“遊びと勉強”、“歴史と国語”、“古文と現代文”“受験勉強と授業”……。そうして国語を学ぶことが、長い人生を生きていくための基礎力につながるとも述べています。

<古くからの遊びや慣習や地方の言い伝えや年中行事、つまり私たちの生活周辺のことは、結局、ぜんぶ国語の力になると思うんです>

結果、様々なことに関心を持ち、「もっと知りたい!」「自分で調べてみよう!」という気もちにつながるんですね。

■先輩になった私達が新入社員にしてあげられることは?

『BizLady』読者の中には、後輩社員の教育を任されている人も少なくないのでは? やる気のない新入社員の士気を高めるためには、「もっと働け! 学べ!」という前に、以下のようなことが大切なのではないでしょうか?

・自分たちの仕事が、日常でどんな風に溶け込んでいるのか、一緒に考える

・手本を見せて、まずはやらせてみる(失敗してもダメージの少ない仕事から)

・末端ユーザーの顔を想像させ、そこに根付いた生活や文化を調べたり体験してみる

・意見を発言させる機会を増やす

こんな風に、まずは自分の仕事がどんな人たちに、どんな影響を与えているのか調べ、積極的に発言させることで、仕事への興味も責任感もわいてくるかもしれません。

以上、伝説の教師による“元祖・アクティブラーニング”についてお届けしましたが、いかがでしょうか?

「なんか流行ってるし、時代の流れだから」と、すぐ戦力になる人材を育てようとしてアクティブラーニングを取り入れるのなら、それは失敗に終わるかもしれません。

エチ先生の持論は、「すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなる」。

コミュニケーション力ばかり高く、要領よく組織でうまくたちまわって“すぐに役立つ”新人より、もしかしたら、要領が悪く、最初は失敗ばかりの新人が大化けする可能性もあります。

「あの人、役にたたねー!」と決めつける前に、もうすこしゆっくりと育てていくゆとりが、学校にも日本の企業にも必要なのかもしれません。