『挫折を経て、猫は丸くなった。: 書き出し小説名作集』(天久聖一/新潮社)

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 約2年前、小説家志望でさまざまな新人賞に作品を投稿していた頃、私は奇をてらって、出だしだけの小説という切り口で短編小説を書こう考えていた。どこがおもしろいのかわからず、すぐにやめてしまったが、まったく同じ切り口の書籍が出版されている。

 この本の存在を知ったときの「先にやられた!」という悔しさと「アイデア自体は間違っていなかった」という嬉しさ、そして「本当におもしろいの?」という懐疑心(あるいは嫉妬心)――抱いた感情はさまざまだが、とにかく読まずにはいられなかった。

 本書『挫折を経て、猫は丸くなった。: 書き出し小説名作集』(天久聖一/新潮社)は、ポータルサイト「デイリーポータルZ」で募集された「書き出し小説」の中から416本の秀作を選出したもの。

「書き出し小説」とは、その名のとおり「書き出しだけで成立した極めて短い文芸スタイル」のこと。書き出しだけなので、その続きは読者の想像力にゆだねられている。読者の数だけ物語があり、結末があるというわけだ。

 毎週日曜日に「デイリーポータルZ」のサイト内にて、ルールなしの「自由部門」と出されたテーマに沿って作品をつくる「規定部門」という2部門で、秀作が発表されている。2016年7月24日現在、「書き出し小説大賞」の秀作発表は、第103回を迎えた。

 この企画の発端について、本書の編者・天久聖一氏は「物語に対する純粋な愛情と、多少の打算がある」と述べている。一般的な小説を書くには、時間と労力と人に見せる勇気がいる。さらに出版するには類まれな運と才能が不可欠だ。しかし、なにかを物語る権利は誰もが持っている――。

 ならば、と生まれたのが書き出し小説というスタイルだった。書き出しだけなら時間もかからず「アイデアひとつで名文をものにすることが出来るかもしれないし、そこで止めればボロを出さなくて済む」。この打算の根本には「自分の中のイマジネーションをほかの誰かと共有したいという想い」がある。自分にはある種の才能があると信じたい人々の夢を叶えてくれる場所――それが「書き出し小説大賞」なのだ。

 それでは、収録作品の中から、個人的に刺さった作品を紹介したい。まずは自由部門から。

なんでもそうだが、先頭に並ぶのは恥ずかしい。

頼みこんで入った天国に母はいなかった。

その罵倒が告白だと気づいたのは翌日の放課後だった。

 ちなみに、本書のタイトルでもある「挫折を経て、猫は丸くなった」も自由部門で秀作に選ばれた作品のひとつだ。続いて規定部門からも3作品抜粋する(【】内は、その作品に与えられたテーマ)。

【虫】高層階の蚊はエレベーターでやって来る。

【セレブ】旦那様が歩いたあとの赤絨毯を巻き取る仕事についています。

【吉田】「それ」はもう吉田では無い。私は泣きながら引き金を引いた。

 各作品を読んで頭に浮かんだ映像や思い描いた物語は人それぞれだと思う。本書を読み進め、気に入った作品の続きを妄想するのは、もちろん楽しい。しかし、私はこの本の真の楽しみ方は別にあるように感じた。

 それは、ほかの誰かと作品に関する意見を交換すること。「この先はこうなったらおもしろい」とか「でも途中でこうなりそうだ」とか。前述の「自分の中のイマジネーションをほかの誰かと共有したいという想い」は、こういう他者との関わり合いによって、初めて満たされるものなのかもしれない。同じ志をもった者同士で楽しむ文芸スタイル――そこにこそ、書き出し小説の本当のおもしろさと存在意義があるのだろう。

文=上原純(Office Ti+)