『いい百鬼夜行』(川西ノブヒロ/講談社)

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 夏となれば、納涼感覚でまたぞろ怪談話が盛り上がる。幽霊や妖怪の存在もクローズアップされるが、人はそのような「人ならざるモノ」にどういう感情を持つか。「百鬼夜行」は深夜に鬼や妖怪が群れをなして歩き回る姿を指すが、それを見た人間は死ぬと恐れられたという。一般的には恐怖の対象としてとらえられる魑魅魍魎の類だが、この『いい百鬼夜行』(川西ノブヒロ/講談社)は心優しき「いい妖怪」たちが登場するコミックである。町に住む妖怪たちが人々と交流を重ね、そのつながりが、やがて示される謎を解き明かしていくのだ。

 物語の舞台となる「美鶴町」では、妖怪と人々が当然のように交流している。その代表が冒頭から登場する「なまはげ」である。彼は子供を泣かせるどころか、独りで涙を流す人の元へ現れてはお世話をしていくのだ。また「化け猫」の類である「ねこまた」は20年生きて化けた妖怪だが、それまで野良として可愛がられ続けたために、妖怪となった今でも人間に可愛がられようとしている。さらに「ざしきわらし」に至っては町中に現れ、そこで出会った新米警官に抱き着いて暮らし始めるという有様だ。

 このように本書の妖怪はそれまでのイメージとは、ことごとく真逆の行動で描かれている。この物語に悪者らしい悪者は一切登場せず、終始ノンビリと展開していく。関わる人間も新米警官をはじめとして、良い人ばかりだ。今までにも妖怪と人間が共存するマンガは多く存在するが、一触即発の緊張感が漂う関係性も少なくなかった。しかし、本書ではそんなことは一切ない。ここまで緊張感がないと、退屈するのではと思う読者もいるだろうが、そんな心配は無用である。

 当初、妖怪たちはそれぞれ自分たちの行動をしていて接点がなく、オムニバスな物語だと思っていた。ところが、とあることをきっかけに、バラバラに動いていた妖怪と人間たちが一堂に集うことになる。この構成の組み立てが実に巧みで、後で読み返すとアチコチに伏線が張られていることに気づくのだ。これを見つけるのも実に楽しい。伏線を伏線と感じさせずに配置して、しっかり回収していることこそ、本作がただのゆるい作品ではない証拠である。

「オラたち妖怪は人の心から生まれるんだ」──物語の終盤で「なまはげ」が語る。確かに、妖怪という存在は人の心が生み出した幻想である。古代から中世辺りまで、人々は得体の知れない現象を妖怪として考えてきたのだが、そのうちに妖怪に個性を持たせて娯楽性を見出した。江戸時代にもなると、浮世絵や物語などにユニークな妖怪も登場している。傘化けや豆腐小僧などは、その当時の創作ということだ。

 イメージとしての定義はあるものの、実在しない以上、正解がない妖怪たち。だからこそ作者は、本書での妖怪をあえて従来のイメージと逆の行動で描いたのであろう。そして、その意外性は見事に読者の心をとらえている。これはいわゆる「ギャップ萌え」とでもいうべきか。

「今もどこかで誰かが泣いているということが気になっています」──作者はあとがきでこう語っている。本書に登場する「なまはげ」は作者の想いを描き出したキャラクターだろうか。実際、泣いている人に優しさを分けてあげることは難しいものである。それでも、作者は自身に出来る手段、マンガという形で手を差し伸べようとしたのかもしれない。そして、この作品を読んだ誰もが心をホッとさせたことだろう。少なくとも作者の想いは、本書を読んだすべての人々に届いているのではないだろうか。

文=犬山しんのすけ