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候補者21人という大激戦の東京都知事選を見事制したのは、党組織の後ろ盾が無い小池百合子氏でした。史上初の女性都知事となった同氏は、一体どんな人物なのでしょうか? そして、都民の期待通り「クリーンな政治」を行ってくれるのでしょうか? 無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者・北野幸伯さんが、小池氏の経歴を紐解きながら、その人物像に迫ります。

小池百合子・新東京都知事は、ここがすごい

小池さんは6月29日、東京都知事選に立候補する意向を表明しました。そして、自民党東京都連会長・石原伸晃さんに推薦を依頼。石原さんは、「7月10日の参院選の投票後に結論を出したい」と即答を避けました。

これ、面白い行動ですね。普通は、最初に自民党東京都連と話をつけてから、「立候補します!」と宣言するのではないでしょうか? 自民党に所属しているのですから。ところが小池さんは、まず「立候補します!」と宣言してから、自民党東京都連に、「推薦してください!」とお願いした。順序が逆です。石原さんとしても、「非常識な奴だな。即答したくないぞ!」と思うのは当然でしょう。それで、「7月10日まで考えさせてくれ」と答えた。

この後の小池さんの行動も変わっています。普通であれば7月10日の参院選まで、「自民党の推薦を得るためのロビー活動」を行うことでしょう。なんども石原さんのところに足を運び、頭を下げて、「お願いします!」ということでしょう。もちろん石原さんも参院選で忙しいから、冷たくあしらうでしょうが、それでもお願いし続ければ、「そこまでいうのなら推薦してやるか」となるかもしれません。

ところが、小池さんは、また変わった行動に出ました。7月6日、「自民党からの推薦を得ずに立候補する!」と表明。ロビー活動を早々と切り上げ、最大政党自民党の推薦をあっさり捨て去ります。この行動は自民党を激怒させました。自民党は増田寛也さんの推薦を正式に決定。東京都連は、小池さんを応援した場合、「除名などの処分対象になる!」と党員を「脅迫」します。この時点で、「野党統一候補」がもっとも有利な状況が生まれました。なぜか?自民党票は二つに割れるからです。

ちなみに、米民主党でヒラリーさんに敗れた社会主義者サンダースさん。しぶしぶながら「ヒラリー支持」を宣言しています。サンダースさんが無所属で大統領選に出馬する。すると民主党票は二つに割れ、共和党のトランプさんが勝つでしょう。それが嫌なので、サンダースさんはヒラリーさんを支持している。余談ですが…。

これで小池さんは、最大政党・自民党を敵にまわしてしまいました。「反体制側」が勝利することは稀です。ジャニーズを出ようとしたスマップの4人は、結局戻ってきました。いろいろな分野で「体制」に挑戦したホリエモンさんは潰されました。世界の反対を押し切って満州国を建国した日本は、米英中ソと戦争するハメになり、つぶされました。

しかし…。自民党を敵にまわした小池百合子さんは、都知事選で圧勝しました。

小池百合子さんのユニークな経歴

小池さんは、1952年生まれ。高校卒業後、関西学院大学に入学。しかし、1971年、大学を中退してエジプト(!)留学を決めます。カイロ大学を卒業。ソ連が崩壊する前年にモスクワに留学した私がいうのも何ですが、「変わってるよね〜〜〜」ですね。19歳の女性が、「エジプトに留学する!」と決意するとは。しかも、小池さんには、「確固たる目標」がありました。「アラビア語の通訳になること」。これも「変わってる」です。こんな若いころから、小池さんには(エジプトに留学する)「勇気」、「決断力」、(アラビア語通訳になるという)「目標設定能力」があったことがわかります。

そして、小池さんは夢をかなえ、「アラビア語通訳」になりました。その関係で、パレスチナPLOのアラファト議長やリビアのカダフィ大佐の通訳もしたとか。すごいことです。その後、小池さんは、テレビキャスターに転身し、人気者になっていきます。

政党を渡り歩く

小池さんは1992年、40歳で政界入りしました。入ったのは、細川護煕元熊本県知事の「日本新党」(細川さんは、その後首相になる。今は「脱原発」を訴えている)。

人気キャスターだった小池さんは、いろいろな政党から誘われていました。では、なぜできたばかりの「弱小政党」に入ったのでしょうか?

「政治を変えるには大きな中古車を修理するのではなく、小さくても新車の方がいい」

「古くてでかい自民党より、小さくても新しい日本新党の方がいい」

と。

1992年に参議院議員に。93年年には衆議院議員になります。94年、日本新党解党。小池さんは、小沢一郎さんが立ち上げた「新進党」に加わります。当時は、「小沢一郎の側近」でした。97年、新進党解党。小池さんは小沢一郎さんが新たに立ち上げた、「自由党」に参加。2000年、自由党が分裂したのを機に小沢さんを離れ、「保守党」に参加。2002年、ようやく自民党に。

こうやって見ると、政界に入ってから10年で、

日本新党 → 新進党 → 自由党 → 保守党 → 自民党

と移っている。しかし、「所属してた政党が解党したり分裂した結果」なので、そのことで小池さんが「軽薄だ」とも言えないでしょう。とはいえ、今回の都知事選の行動を見てもわかるように、「政党に対する忠誠心も執着も特にない」、非常にあっさりした性格であることがわかります。

政界で大出世

小池さん、自民党に移ってすぐ大抜擢されます。03年、小泉内閣で「環境大臣」になったのです。いまでは当たり前になった「クールビズ」運動を主導しました。これ、ホントにありがたいですね。私も、夏東京にいったら、スーツで死にそうでした。いまでは、誰も上着着ていませんから、メチャクチャ楽になりました。

06年、第1次安倍内閣で、総理大臣補佐官07年、防衛大臣に就任08年、自民党総裁選に立候補し、3位に10年、自民党総務会長12年、自民党広報本部長16年、女性ではじめての東京都知事に

すごい経歴です。

愛国心のある国際派

ところで、小池さんの政策観はどうなのでしょうか? エジプトに留学して、アラビア語の通訳、キャスターとして活躍して。アラビア語と英語が堪能。どうみても、日本水準では、「国際派」です。しかも、日本によくありがちな、アメリカ、イギリス信者でないのも魅力です。

一方で、「愛国心」もあるのですね。小池さんは、小沢一郎さんと決別した理由について、

かつて小沢さんは、自由党時代に取り組んだはずの国旗・国歌法案について、自民党との連立政権から離脱するなり、180度転換し、『反対』に回った。国旗・国歌法案は国家のあり方を問う重要な法案だ。政治の駆け引きで譲っていい話ではない。同じく外国人地方参政権の法案についても自由党は反対だったはずだが、公明党の取り込みという目的のために、『賛成』へと転じたことがある。国家の根幹を揺るがすような重要な政策まで政局運営の『手段』にしてしまうことに私は賛成できない。これが私が小沢代表と政治行動を分かとうと決意する決定打となった。

と、立派な発言をされています。今の日本に必要なのは、「愛国心のある国際派」ですね。「愛国心」だけたっぷりある政治家さんは、「日本は何も悪くない。戦前に戻そう!」などと言う。「戦前の体制で日本は戦争に負けましたが、戻したらまた負けるのでは?」と聞いても、まともな回答は返ってきません。

愛国心が全然なくて「国際派」(特に米英信者)は、「TPP大賛成! 日本も移民をどんどん入れろ!」などと言います。「あなたの大好きなイギリス国民は、移民が嫌で『EU離脱』に投票しましたよね?」と質問しても、まともな回答は返ってきません。

やはり、「愛国心」と「国際派」。どちらか一方では駄目で、両方必要なのですね。小池さんは、両方のバランスがとれている、珍しい人だと思います。

結局、小池さんはどんな人

ここまで見て、小池さんはどんな人なのかまとめてみたいと思います。

勇気がある決断力がある行動力がある

そうでなければ、19歳で「エジプトに留学する」と決められません。あるいは「自民党に逆らっても都知事になる!」と決められません。

目標を設定している。

19歳で、「アラビア語通訳になる」と目標を定め、実現するのはすごいです。

政党には属するが、愛党心は希薄で執着がない

でなければ、「自民党に反対されても都知事になる」とは言わないでしょう。

愛国心のある国際派

国際派であることは言うまでもないですが、愛国心もあるのですね。今の日本に必要です。

時流を読むのがうまい

小池さんは所属政党を5回も変わっています。しかも、「変わるたびに出世していく」という、特殊な経歴になっています。今回も、「自民党に逆らって、なおかつ都知事選で勝つ」というのは、よほど時流を読むのが得意なのでしょう。これは「最大の取柄」と言えると思います。

これからもますます活躍して欲しいと思います。まずは、東京オリンピックを大成功させ、さらに出世の道を歩んで欲しいです。

image by: 小池ゆりこ オフィシャルサイト

 

『ロシア政治経済ジャーナル』

著者/北野幸伯

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出典元:まぐまぐニュース!