『反骨 翁長家三代と沖縄のいま』(松原耕二/朝日新聞出版)

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 安倍政権による"沖縄イジメ"が熾烈さを極めている。先の参院選では沖縄選挙区で現役の沖縄担当相だった島尻安伊子が落選、県民の「新基地建設NO」の民意がまたもや明確に発揮されたわけだが、安倍政権はむしろ選挙への影響がなくなった今が絶好の機会と、その強権的姿勢を一層強めてきた。

 8月4日、菅義偉官房長官は会見で、沖縄県普天間基地返還にともなう辺野古新基地建設に関してこう言い放った。

「工事が進まなければ予算が少なくなるのは当然。跡地利用の工事が遅れれば、予算が少なくなっていくというのも現実問題だ」

 これは"新基地建設に協力しなければ今後の沖縄振興予算減額もある"という、県側への露骨な揺さぶりだ。歴代日本政府はこれまで基地問題と振興予算は切り離して考えるとの見解を継続してきたが、菅官房長官はこの日の会見で初めて「リンクしている」と明言。ようするに、"言うことを聞かないならば力でねじ伏せるまでだ"という恫喝に他ならない。

 さらに安倍政権は、司法の場でも容赦なくプレッシャーを加えている。7月22日、政府は辺野古埋め立ての承認取り消しを巡り、翁長雄志沖縄県知事の「不作為」の違法性を訴える新たな訴訟を起こした。是正指示の適否を審査する第三者機関・国地方係争処理委員会は「双方が真摯に協議すべき」としており、沖縄県側の態度に落ち度が認められないのはあきらかにもかかわらずだ。

 8 月5日、福岡高裁那覇支部で行われた第一回口頭弁論で、翁長知事はこのように陳述している。

「改めて申し上げるが、請求の趣旨および上申書における国の主張は、地方自治制度そのものをないがしろにするものであり、もはや沖縄県だけにとどまらない問題を含んでいると考える。
 このような違法な国の関与により、すべてが国の意向で決められるようになれば、地方自治は死に、日本の未来に拭いがたい禍根を残すことになる。
 政府は、一昨年の名護市長選挙、沖縄県知事選挙、衆議院議員総選挙の県内四つの小選挙区、今年の県議会議員選挙、先の参議院議員選挙など、多くの選挙で示された沖縄県民の民意をまったく無視し、過重な基地負担を将来にわたって固定化し続けようとしている。
 自国の政府に、ここまで一方的に虐げられる地域が、沖縄県以外にあるだろうか」(沖縄タイムス電子版8月6日付より)

 もともと自民党の議員であり、かつては保守系市長だったにもかかわらず、徹底的に政府との対決姿勢を貫く翁長氏。自民党県連幹事長時代にはむしろ辺野古移設を早く進めるよう当時の大田昌秀知事を糾弾していた彼が、なぜ今、ここまで新基地建設反対を鮮明にするのか。その"意味"を「沖縄以外」の人々は噛みしめなければならない。

 先月刊行された『反骨 翁長家三代と沖縄のいま』(松原耕二/朝日新聞出版)に、その政治家・翁長雄志の軌跡が描かれている。

 政治一家である翁長家。雄志の父親である助静は保守系政治家だ。戦中は民間人が戦争に協力するための組織「沖縄翼賛会」で、鉄血勤王隊千早隊の情報宣伝部長をつとめていた。しかし、戦況が悪化するなか、父・助信(雄志の祖父)を目の前で米軍の砲撃で亡くしたことをきっかけに、軍に協力して死ぬことにためらいが生じたという。そして、県民の約4人に1人が犠牲となった沖縄戦を生き延びた助静は、戦後、真和志市(現在は那覇市に吸収)の市長や立法院議員(のちの県議会)を務めながら、沖縄の自治権を拡大するためアメリカと対峙したという。

 子の雄志は、幼い頃から父の政治活動を通じて、沖縄の"保守と革新"の争いを見ながら育った。雄志もまた父と同じく、政治家として自民党本流の道を歩み、市議会議員、県議会議員と頭角を現していく。当時、基地移設容認派であった理由について、翁長氏はこう語っている。

「革新は、異民族支配の中で『人権の戦い』をしていた。それに対して保守は『生活の戦い』をしていたんですよ」(同書より)

 戦争で生活の糧のすべてを失った沖縄が生き抜くには、それしか方法がないと考えた。だが、翁長氏自身が「苦渋の選択」と語っているように、それは政府への怒りを抱きながらも現実的解決を模索することこそが、保守政治家としての翁長氏のスタンスだったからだ。

 そんな翁長氏が大きく変わるきっかけとなったのが、2005年の在日米軍再編だった。それまで沖縄と政府が合意し、翁長氏が7年の歳月をかけて主導し積み上げてきた「辺野古への海上移設」「軍民共用」「15年で沖縄に返還する」という項目が、中間、最終報告ともに日米両政府によって完全に無視されたのだ。しかも沖縄側には何の相談もなかった。自民党の"裏切り"を目の当たりにした翁長氏は、このころから政府批判を公然と口にするようになったという。

 さらに、第一次安倍政権下の2007年に起きた「教科書問題」も大きかったという。文部省の教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」についての日本軍の関与が薄められたのだが、このとき翁長氏は、その撤回を求める県民大会の集会の共同代表を引き受けた。これについて、かつて沖縄自民党の本流を歩み、後に翁長氏と行動を共にする仲里利信衆院議員が興味深いコメントをしている。

「当時、美しい日本をつくるということがあったけれども、あの時点から、南京大虐殺もうやむやにするし、従軍慰安婦もうやむやにするし、沖縄の集団自決も実際はなかったことにしているから、戦争準備の体制だなど私は考え、今の自民党から一歩引いている」(同書より)

 同書が指摘するように、安倍晋三が「美しい国、日本」なる国家像のもと、本土決戦のための捨て石という悲劇の歴史まで塗りつぶそうとしたことは、沖縄にとって許せるものではなかった。著者はこう続けている。「その結果、十一万もの人が保守、革新の垣根をこえて集まったことを考えると、今は翁長と対立する安倍自身が『オール沖縄』のきっかけをつくったといえるかもしれない」。

 そして、沖縄と日本政府の精神的溝が深まるなか、翁長氏にとって、民主党政権下の鳩山由起夫首相(当時)による「最低でも県外」発言も大きかったという。周知のとおり、この発言は1年足らずで撤回されることになったが、その際、世論調査で70パーセントもの日本人が基地を沖縄に置くことを賛成したのだ。その事実が、翁長氏の気持ちを押した。

「ぼくはこれを見たときに、あ、これはもう自民党とか民主党の問題ではないなと。オール本土で沖縄に基地を置けと、そういうメッセージだなと」
「それならば、私はオール沖縄でこれにノーと言わなければならんなと」(同書より)

 沖縄は、日本政府や自民党、民主党政権からだけでなく「オール本土」、つまり「沖縄以外」のすべての国民から裏切られたのだ。

 現在でも日米安保や集団的自衛権を認める立場にいる翁長氏が、新基地建設については政府と真っ向から対峙しているのは、おそらくは"政治家・翁長の変節"でも"二律背反"でもないのだろう。面積にして全体の74%もの在日米軍施設を沖縄に押しつけてきた日本政府、無関心な「沖縄以外」の人々、そして多発する在日米軍による事故や卑劣な犯罪......。この戦後日本の歴史そのものが、沖縄を追い込み、"翁長知事"を生み出したのではないか。

 しかし、こうして積み重なった沖縄の叫びに対して、安倍首相は耳を傾けるどころか、暴力的なやり方で押さえ込もうとしている。政府は参院選投開票日の翌日、沖縄県東村高江の米軍北部訓練場のヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)建設工事を再開。機動隊を大量投入し、抗議をする市民たちを暴力的に排除しにかかっている。7月22日には、全国から集められた機動隊約500人が"非暴力"を掲げる市民たちを、カメラが回っていることさえ気にとめず引き倒し、首を絞め、殴りかかった。近日中にも抗議者たちの座り込みテントの強制排除が行われるとみられ、現地では緊張状態が続いている。この"暴力"としか言いようがないやり方が、安倍政権の沖縄の声に対する回答なのだ。

 こうした沖縄イジメが平然と行われている現実に対して、本土のメディアや国民はほとんど気にとめていない。だが、その強権的な政権のやり方を許してしまえば、確実に「沖縄以外」にも跳ね返ってくる。

「この裁判は、単に今回の国の関与の是非のみが問われているだけではなく、地方自治の根幹、ひいては民主主義の根幹が問われている裁判でもあると思う」

 法廷で翁長知事が訴えたこの言葉を私たち国民とメディアは肝に銘じるべきだろう。
(伊勢崎馨)