8月7日、いよいよ第98回全国高校野球選手権大会いわゆる夏の甲子園が開幕します。
真夏の日差しが照りつける甲子園球場で、全国の予選を勝ち抜いた49校が深紅の優勝旗を目指し、熱戦を繰り広げます。
今年で98回を迎える伝統ある大会ですが、これだけの歴史を積み重ねてきただけあって、数え切れないほどの驚きのエピソードが隠されています。
さらには、今では当たり前の高校野球の伝統にもルーツがあります。
高校野球がさらにおもしろくなる不思議な話をいくつかご紹介しましょう。

熱戦が繰り広げられる甲子園球場


甲子園の土を最初に持ち帰ったのは誰?

最後に頂点に立つのはたった1校。
その1校を除いた出場校は必ず負けを経験することになります。
敗戦校の姿で思い出されるのが甲子園の土を持ち帰る光景でしょう。
数多くの球児たちが最後の夏の思い出として甲子園の土を持って帰ります。
では、一体甲子園の土を最初に持ち帰ったのはどの高校の誰なのでしょうか?
これには諸説ありますが、有力なのは1949年大会のとある高校のエピソードです。
この大会で圧倒的な優勝候補として筆頭にあげられていたのが福岡県の小倉北高校でした。
小倉北のエース、福島一雄投手はなんと5試合連続完封という驚きの記録を残しており、群を抜いた強さを見せていました。
しかし、準々決勝で肩を痛めた福島投手は無念の途中降板。
チームもサヨナラ負けを喫し、福島投手の夏は幕を閉じました。
このとき、福島投手はホームベースのところでしゃがみ込み、おもむろに甲子園の土をユニフォームのズボンのポケットに入れたといいます。
その当時、甲子園を沸かせた福島投手が土を持ち帰ったことから、その後の高校球児に広まったのではないかといわれています。

球場の土を持ち帰る高校球児

球場の土を持ち帰る高校球児


負けたチームがまさかの優勝校に

高校野球といえば、絶対に負けられないトーナメント戦が当たり前ですが、かつて「敗者復活戦」があったことをご存じでしょうか?
さかのぼること、1916年、17年の2大会だけではありましたが、そんな不思議な制度があったのです。
1916年というと第2回大会ということもあり、大会ルールも模索中だったこともあるでしょう。
この頃、参加チームはわずか12校だけという少なさでした。
12校の場合、1回戦を勝ち抜くと6校に、2回戦を勝ち抜くとこの時点でわずか3校に絞られてしまいます。
3回戦で3校では、その後の戦い方も難しくなります。
そのため、1回戦を勝ち抜いた6校に加え、すでに敗れた2校が復活し、8校で2回戦を行ったのです。
この復活校は1回戦で成績がよかったチームが選ばれたといいます。
しかし、同じ大会ルールで行われた翌年1917年の大会で問題が発生したのです。
1回戦で敗退した愛知県立第一中学校がその後の試合を勝ち進み、なんと優勝してしまったのです!
ルールとはいえ、一度負けたチームが優勝してしまうことに異議を唱えた人はたくさんいました。
わずか2大会の適用で消えてしまった驚きのルールでした。


夏の甲子園で優勝がない意外な県

夏の甲子園で優勝経験がない都道府県は20あります。
やはり、甲子園で優勝するということは、とても大変なこと。
大阪、神奈川、愛知など優勝常連校が集まる都道府県もありますが、最後の1勝ができず悲願達成を待ちわびるところもたくさん。
東北勢に深紅の優勝旗がないというのは、高校野球ファンの間では有名な話ですが、実はその他にも意外な県が優勝経験がないのです。
それが「埼玉県」です。
関東の高校といえば、全国から有力な選手がやってくることもあり、強豪校が多く埼玉県も例外ではありません。
しかし、関東で唯一、優勝がないのが埼玉県というのはなんとも意外ですね。
──ガムシャラにプレーする高校球児の姿には、ふだんあまり野球を見ない人でも心打たれることでしょう。
番狂わせが多いといわれた今年の地区予選。
栄冠に輝くのはどのチームか楽しみです。

最後に校歌を歌うことができるのはどの高校か

最後に校歌を歌うことができるのはどの高校か