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7月29日の公開から全国で爆発的なヒットとなっている庵野秀明総監督の『シン・ゴジラ』。

「ゴジラ対エヴァ」ネルフ製“対ゴジラ”兵器がフィギュア化、「MGS」新川洋司がデザイン

ギャレル・エドワードが2014年に発表したハリウッド版『ゴジラ』の興行収入と比較しても、初日から150%増を記録し、世界100ヵ国での上映も決まっています。

SNSでは、40~50代の男性を軸にした熱い書き込みが目立ち、往年のゴジラファンの期待を裏切らない内容となっています。

とはいえ、これまで実は『ゴジラ』シリーズは一度も見たことがないし、そもそも怪獣映画に興味がないという女性は少なくないと思われます。

庵野総監督にしても、「さくらん」や「働きマン」の原作者、安野モヨコ先生のパートナーということは知っていても、代表作である「新世紀エヴァンゲリオン」シリーズにはまったくノータッチで生きてきた、そんな層でも「本当に『シン・ゴジラ』は面白いの?」とお疑いの方たちに、見るべきポイントを解説しましょう。

1.『シン・ゴジラ』は、現実問題に即して作られている。

「シン・ゴジラ」は、1954年に制作された「ゴジラ」の設定を借りつつ、続編という立場ではなく、全く新しい世界観として制作されています。

東京湾・羽田沖の海ほたるに近いエリアで、激震が走り、海中トンネルに取り残される人々が発生。

何が原因かわからない中、総理大臣以下、閣僚が収集され、原因は何なのか、どう対応するのか、緊急会議が開かれるところから始まります。

庵野監督以下、スタッフはできる限りの人脈を使って現役の政治家や各庁の官僚、公務員などに綿密な取材を重ねたというだけあって、日本に何か起きた時、政治の舞台では何が起きて、どう決定されるのか、普段は国民の見えない、政治の裏側の駆け引きの様子が、相当、リアルに進行していきます。

ここで、興味深いのが、前代未聞の出来事が起きているのに、「前例がない」と言って、従来通りの事例にのっとって判断しようとする閣僚の姿がしつこいほど描かれること。

言うまでもなく、こういう閣僚は、我々が選挙で選んで、最終的にその座にいるわけですから、「あら、私の投票した人はこういうタイプではないよね?」と改めて、自分の選択を問い改める内容になっています。

大杉連が演じる内閣総理大臣は、可能な限り、多くの情報を収集し、意見を聞く、ものわかりのいいタイプの政治家として描かれていますが、ときにそれが、優柔不断で、判断の遅さに繋がるようにも解釈できます。

そこに厳しく、決断の有無を促すのが、余貴美子演じる防衛大臣。

かつて、防衛大臣を経験し、先日、東京都知事に就任した小池百合子氏の面影を重ねる方もいるかもしれませんが、閣僚の駆け引きがドラマの前半で展開します。

2.「エヴァ」シリーズとの共通点……ゴジラ対策のキーマンは新世代

さて、庵野秀明監督の代表作といえば、アニメーション「新世紀エヴァンゲリオン」シリーズです。

未見の方のために説明すると、これは東京に「セカンドインパクト」と後に命名される大災害が起きた後の世界(2015年)を舞台としていて、「使徒(シト)」と呼ばれる謎の生命体の襲来に対して、巨大な人型兵器「エヴァンゲリオン」のパイロットとして立ち向かうことになる14歳の少年少女たちの受難を描いたものです。

このドラマでは、大人たち自身が混乱し、14歳というティーンエイジャーたちの力を頼らざるを得ない状況に陥っておりますが、『シン・ゴジラ』でも、緊急時代に際して、思考停止状態となった旧世代の使えなさに危機感を募らせ、ゴジラ対策のキーマンとして、新世代が立ち上がる構図となっています。

長谷川博己はそのリーダーとなる政治家、矢口蘭堂を演じていますが、彼はその役柄を「30代後半で内閣官房副長官というポジションに就いているのは、現実には異例の出世で、当然、周りからいろいろと面白くない目で見られています」と分析しますが、映画の中では、誰よりも人を「守る」ということに最も敏感で、なおかつ、責任を負う覚悟のある人として描かれています。

その一方、頭の回転が速く、切れ者すぎるがゆえに、凡人の判断の遅さにイライラとし、硬直した政治状況にいら立ちを隠せない感情的な面も度々、発露します。

庵野監督は「矢口は突っ走っていくタイプで、いつも『なぜだ、こうすればいいじゃないか』といらだつが、その分、視野が狭く、幼い部分がある」と語っています。

その矢口とのやり取りにおいて、「常に矢口をなだめすかしてくれ」と演出したというのが、竹野内豊演じる内閣総理大臣補佐官の赤坂秀樹です。

庵野監督は赤坂の人物像を「常に冷静に状況を見て分析し、本音と建て前を使い分けて行動する、真の意味での大人である」と語っています。

本作には328人もの登場人物がいることでも話題になっていますが、庵野監督は「この映画に出てくる328人のうち、大人は3人しかいない。一人は赤坂で、残りの二人は、映画を見ればわかります」と完成記者会見で語っています。

彼の言う真の意味での大人とはどういうキャラクターなのか、「残りの二人は誰なのか」の謎解きの観点から見ても面白いですし、ゴジラが出現したときに求められる真のリーダー像についても考えさせられます。

3.人類のSIN(罪)への自問自答。ゴジラは“人間の過ちと原子力”が生み出した罪の子なのか?

『シン・ゴジラ』の「シン」について、見る人によって「新」や「真」といった文字を重ねていることかと思います。山内章弘プロデューサーも、タイトルの「シン」には「新、真、神」など複数の意味があると発表しています。

ただ、本作の中では、石原さとみ演じる日系3世で、米国大統領特使のアメリカ人、カヨコ・アン・パターソンがゴジラ命名の経緯を、日本の架空の島、大戸島に伝わる海神「呉爾羅」を米語読みにし、神が遣わした生命体という意味も重ね「Godzilla」としたと解説する場面があります。

ならば、「シン」の英語、sin、すなわち罪の意味合いも込められているとの解釈も成り立つはずです。

1954年の初代の『ゴジラ』は、度重なる水爆実験によって安住の地を追われたゴジラの怒りがさく裂するかのような構成となっていましたが、本作では、各国が60年前に秘密裏に海へと投棄した放射性廃棄物の影響を受け、DNAの突然変異と異常成長によって巨大化した謎の生物という設定になっています。

人類の科学への軽視が、自分たちのコントロールが及ばぬ謎の生命体を生み出した。

いわば、ゴジラは人間と原子力が生み出した罪の子といえるのではないか。

劇中、矢口が選抜した若手の研究者たちの解析によって、ゴジラは体内に生体原子炉とも言える「熱核エネルギー変換生体器官」をもった無性繁殖も可能な、まさに神のごとく、人知を超えた存在であることが分かってきます。

いわば、ランダムに歩く原子力発電所ともいえるゴジラのエネルギーをどう鎮めるかが矢口率いるチームの最重要課題となり、それは、3・11を経た我々日本人が現在抱える福島第一原子力発電所のいまだ終息が見えない問題と重なり合います。

庵野監督は記者会見で、「ゴジラの目は常に下しか向いていない。これはファースト・ゴジラの目を継承したものだ」と話しています。

ゴジラの目線が下なのは、人間しか見ていないからだと。

同時に、監督・特技監督の樋口真嗣は、地上の人間が仰ぎ見た際のゴジラの大きさや怖さを強調します。

公開後に、329番目の出演者で、モーションキャプチャーでゴジラの動きを演じた俳優として、狂言師の野村萬斎の名が発表され、大きな話題を呼びました。

これまでのシリーズの着ぐるみによるダイナミックな動きに対し、CG化されゴジラは当初は鈍く、静かな動きが印象的ですが、迎え撃つ人間のアグレッシブな対応に防衛するかのように、激しく抵抗するようになります。

ゴジラを生み出したのはまさに人間であり、親として人類はこの子をどう処するのか、様々な創意工夫で強調されるのです。

4.私たちが、日本という国をこれからどうしたいのか、どう選ぶのか

『シン・ゴジラ』がこれまでの「ゴジラ」シリーズと最も違うのは、日本に何か有事が起きた時、事態がどう進むのかのシュミレーション映画としての機能が強いということでしょう。

有事とは災害などの非常事態が起きることを指しますが、この映画ではさらに一歩踏み込んで、テロや戦争が起きたときに、政治家がどう動くのかを想定して、言及した内容になっています。

自衛隊の描写においても、これまでの「ゴジラ」シリーズにあるような、ゴジラに向かって気軽に攻撃するというような大雑把な扱いにはなっていません。

逃げ遅れた老人がいたため、大杉蓮演じる総理大臣が空自のF2戦闘機による攻撃を直前で取りやめるという、有事関連7法の国民保護法を意識したかのような描写もあります。

もちろん、本作は架空の話なので、実際の事例とは違いますが、映画だからこそ、そして、これまでの歴史がある「ゴジラ」シリーズのブランド力があるからこそ、どういう事態があり得るのか、タブー視せず、最適な表現を目指し、それを可能とした部分があります。

とはいえ、庵野総監督が「戦争映画、万歳」という軽いノリで作ったことではないのは、劇中、重要な人物として故・岡本喜八監督の写真を登場させていることでもわかります。

岡本喜八監督は戦中派の監督で、戦争によって理不尽な人生を歩むことになる一歩兵の『肉弾』(1968)で知られます。昨年、原田眞人監督がリメイクしたことで再注目を浴びた『日本で一番長い日』は、戦争を終わらすために膨大なエネルギーをかける政治家たちの攻防を描いた作品でしたが、『シン・ゴジラ』がこの映画の閣僚会議をモチーフにしていることは明らかです。

また、登場人物の中には、『ゆきゆきて進軍』の原一夫監督や、『野火』の塚本晋也監督など、これまで戦争に振り回される男の受難劇を撮ったことのある映画監督を選んでいることにも、意味があるのではないでしょうか?

思えば、庵野総監督が自分の身を削りながら作った『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公である碇シンジは、有無をもいう選択肢もなく、否応なく戦闘の場へと放りこまれましたが、『シン・ゴジラ』の主人公である矢口は東京都民を守るために、徹底的に、何をどうするか常に、「選択」する姿勢が描かれます。

そして、この矢口を官僚ではなく、国民の投票で選ぶ政治家にしたのも、庵野総監督の観客へのメッセージではないでしょうか。

私たちが、日本という国をこれからどうしたいのか、どう選ぶのか。そんなことを想起させる力作となっているのが『シン・ゴジラ』なのです。