【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】オリンピックの危機(2)

 世界がオリンピックに向ける目が変化していることを、トーマス・バッハは知っている。2013年にIOC会長に就任したとき、バッハは「ささやかな変革を公約していた」と、デイビッド・ゴールドブラットはオリンピックの歴史を新たに書いた『ザ・ゲームズ』に記している。

 一番の公約は、開催都市にとっての負担を小さくすることだった。「以前なら開催都市に立候補するのは、チェーン店のフランチャイズになりたいと申し込むようなものだった」と、バッハは言う。

「満たさなくてはいけない条件がいくつもあった。テーブルは白、ウエイターは赤と白を着る、パンはここで買わなくてはだめ。今ではこれが逆になり、こちらから『さあ、聞かせてもらおう。この大会はあなたの国の都市計画に、あなたの国の発展にどのような刺激をもたらすのか?』と言うようになった。いま重要なのは、スポンサーの喜ぶような17日間の大会のために都市を不格好につくり変えるのではなく、将来にわたって役立つ施設を用意するという選択をホストに認めることだ」

 将来のオリンピックは、もっと簡素なものになるはずだ。2024年夏季オリンピックに立候補している都市のなかに、オリンピック公園の新設を計画しているところはひとつもない。オリンピック公園は大会が終われば、ほぼまちがいなく使い道に困る。

 簡素な会場でも、観客が減ることはないだろう。みんな競技を見に来るのであって、スタジアムを見に来るわけではない。大会開催に関する問題は、おそらくIOCが解決できるだろう。

 開会式が始まれば、開催都市の抱える問題はそれほど目立ったものではなくなる。今回の開会式では参加国に混じって、国家を持たない新たな選手団が行進する。僕がバッハにリオデジャネイロで最も楽しみにしていることは何かと尋ねると、彼は言った。「難民選手団がスタジアムに入場する瞬間だ。涙をこらえるのはむずかしいだろう」

 オリンピックは毎回、同じ物語をつむぎ出す。それは「ふつうの人間が世界の舞台で偉大なことを成し遂げた」というものだ。

 オリンピックは人類の進歩を見せる場だ。人類は4年ごとに、さらに完璧になっていく。1984年のロサンゼルス・オリンピックでは、この大会で初めて行なわれた女子マラソンで、スイスのガブリエル・アンデルセン・シエスが熱中症の症状を見せ、ふらつきながらゴールした。だが、今ではスパイダーマンのようなランニングスーツを着たタレントが、チャリティーのためにウルトラマラソンを平気で走る。

 オリンピックでつくられる世界新記録は、そのひとつひとつが人類の進化に対する称賛だ。「より速く、より高く、より強く」というオリンピックのスローガンが、すべてを表している。

 とりわけ、オリンピックで誕生するヒーローの多くは無名の人々だ。アマチュアリズムが求められなくなった今でも、オリンピックに参加するアスリートの大半は非常にまじめな学生のように毎日を過ごしている。彼らは誰にも知られず、ほんのわずかな金と引き換えに、長年にわたりオリンピックへの準備をする。

 彼らが輝く瞬間が来ると、ジャーナリストたちは喚起する。2012年のロンドン・オリンピックでイギリスのボート選手ヘレン・グローバーとヒーザー・スタニングが金メダルを獲得すると、BBCのコメンテーターをつとめるアラン・グリーンは涙ながらに言った。「エゴにまみれていない人間が成功をつかむ姿は美しい」

 ありがちな対比だ。一方に善きオリンピアンがいて、もう一方に強欲で甘やかされたサッカー選手や大リーガーがいる。名声と富を分配するシステムが、一部の人々に過剰な報酬を分け与えているという感覚は、広く共有されている。オリンピックはそんな感覚を、わずか17日間とはいえ忘れさせる装置だ。

 言うまでもないが、ボートやフェンシング、あるいは砲丸投げの選手が、美しくてエゴにまみれていないようにみえるのは、選手たちが道徳的に純粋かどうかとはほとんど関係がない。これらの競技を人々が見る機会がオリンピックくらいしかないからだ。名声も富も、彼らにはもともと分け与えられていない。

 どの国もオリンピックの英雄たちを、「涙もろいナショナリズムの大騒ぎ」で、たっぷりともてはやす。同時にオリンピックは「大会をソファで見る人々」という国境のない共同体を生む珍しい時間でもある。選手村でも、バッハがモントリオールで感じたように、多くのアスリートが国境を越えた絆を経験する。

 バッハは選手村のレストランで、レオニードという名のソ連の重量挙げ選手が、その巨体で入り口をふさいでいたのを思い出し、大きな笑い声をあげる。バッハは共産主義圏のフェンシング選手と親しくなり、彼らのガールフレンド向けにブラウスをプレゼントして、お返しにロシアのマトリョーシカ人形をもらった。

 バッハに言わせれば、オリンピックが象徴する博愛主義は「今のもろい世界に、戦争とテロと危機と不信の世界に、団結がますます欠けていく世界に」対して、重要なメッセージを発している。

 オリンピックの博愛主義が発露する瞬間は、1936年にヒトラー政権下で開かれたベルリン大会でも見られた。黒人のアメリカ人選手ジェシー・オーエンスは走り幅跳びで金メダルを取ったあと、ドイツ人のライバルだったルッツ・ロングと手をとり合ってトラックを回った。

 1992年のバルセロナ大会は、南アフリカがアパルトヘイト(人種隔離政策)を撤廃した直後に開かれた。黒人のエチオピア人選手デラルツ・ツルは陸上女子1万メートルで金メダルを獲得したあと、銀メダルに輝いた南アのエラナ・メイヤーと手をつないで場内を一周した。

 こうした絆は、一生のものになりうる。1968年のメキシコ・オリンピック陸上男子200メートルで金と銅に輝いた黒人アメリカ人選手のトミー・スミスとジョン・カーロスは、表彰台で国歌が流れるなか、こぶしを突き上げてアメリカの人種差別に対する抗議を示した。ふたりは大会を追われたが、このとき銀メダルを取ったオーストラリアの白人選手ピーター・ノーマンは、彼らの行動を支持していた。38年後、スミスとカーロスは、オーストラリアで行なわれたノーマンの葬儀でひつぎを担いだ。

 最高の絆は、競技を終えた選手たちによって選手村でつくられる。自分の競技が終わると、多くのアスリートはその瞬間に競技人生を終える。彼らは体力的にはピークのまま。発散しきれなかったエネルギーを持てあまし、選手村をうろつく。周りにいるのは、これまた完璧な肉体を持ったアスリートたちだ。

 そんな状況で何が起こるか。涙もろくもなく、ナショナリズムとも関係のない乱痴気騒ぎだ。2000年のシドニー・オリンピックでは、アスリートが選手村に入るときに51個のコンドームを支給された(「大会期間17日間×3」ということなのか)。ちゃんと使い切られたようだった。
(つづく)

サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki