『乃木坂46という「希望」―彼女たちの表現世界が語る“もうひとつの声”』(土坂義樹/幻冬舎)

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 もはやアイドルと呼ぶよりも巨大産業といった様相を呈してきたAKB48グループ。シングルの選抜メンバーをファン投票で選ぶ「選抜総選挙」や、「選抜じゃんけん大会」が恒例行事として日本国民に根づいて久しい。どうしてAKB48はこれほどまで、ファンに夢を見せるのだろうか。それは、彼女たちもまた「夢」だからなのだろう。厳しいグループ内の競争を勝ち抜き、人気投票という誰の批判も寄せつけない形でポジションを獲得し、羨望を集める存在へと至る。その姿は、現代の競争社会を生きる人々にとっての理想だ。そして、自分の人生で達成できなかった夢を、「推しメン」と呼ばれる贔屓のメンバーに重ねているファンも多い。

 一方で、AKB48の「公式ライバル」とアナウンスされている乃木坂46は、総選挙を免除されている。『16人のプリンシパル』という演劇公演を除けば、メンバー内の人気や実力が数値化される機会はない。あえて言うなら握手会での人気はメンバーの差を見せつけているかもしれないが、それはどこのアイドルグループにも当てはまることで、乃木坂46だけの特色ではない。にもかかわらず、2016年現在、乃木坂46は「ライバル」であるAKB48を上回りかねない勢いで知名度と経済効果を高めてきている。

『乃木坂46という「希望」―彼女たちの表現世界が語る“もうひとつの声”』(土坂義樹/幻冬舎)は乃木坂46が現代に大きく受け入れられた要因を、映像作品の解析から見出そうとする。本書の筆者である土坂義樹氏は、元々、映画研究を行なっていた文筆家である。そこで鍛えられた洞察力を駆使し、ストーリー仕立てになっていることが多い乃木坂46のプロモーションビデオを、まるで映画批評のような視点で解説していく。そこで読者は、現代社会に乃木坂46が投げかける意外なメッセージを知るだろう。

 土坂氏は乃木坂46の表現に共通している感覚を「やさしさ」だとする。例えば、『あの日 僕は咄嗟に嘘をついた』のビデオで描かれるストーリー。高校の文化祭で行なわれる演劇の主役をめぐって、少女たちが現実に傷つき、思い悩む。しかし、この物語で重要なのは、楽曲をセンターポジションで歌っているメンバーが物語内の主役ではなく、傷ついた親友を包み込む役を演じている点にある。光り輝くポジションをめぐっての葛藤は、どうしてもAKB48グループにおける総選挙を連想せざるをえないが、乃木坂46の表現においては、そんな競争原理から弾きだされてしまった人間への「やさしさ」が内在しているのである。

 土坂氏が、本書で掲げるもうひとつのキーワードが「紐帯」という、多くの人にとっては、あまりなじみのない単語である。「連帯」よりも政治的な要素が薄く、「絆」よりも複数的なニュアンスを含む「紐帯」は、乃木坂46の映像世界で度々見受けられるモチーフだ。退学処分を受けた友達を救おうと集団で校舎に立てこもる『おいでシャンプー』のビデオ、校内のプールが理不尽に撤去されてしまうことに集団で抗議する『ガールズルール』のビデオ、確かにこれらの映像作品は「紐帯」と表すに相応しい。

 AKB48は徹底した競争社会に身を置くからこそ、ライバルとしての「絆」が生まれ、グループの結束が強まっていく。しかし、乃木坂46が闘うのは特定の個人ではなく「ままならぬ現実」なのだと土坂氏は分析する。競争社会とは、一部の輝かしい勝者と引き換えに、必ず敗者を生み出すシステムである。会社では出世のために、学校では受験のために、常に競争を強いられる現代人の心は、著しく疲弊している。乃木坂46は、そんな「ままならぬ現実」に対するオルタナティブな価値観として「やさしさ」や「紐帯」を作品に込めているのだ。

 そしてこれこそが、乃木坂46がAKB48の「公式ライバル」であり続ける理由なのではないだろうか。AKB48の役目が、メンバーが競争社会で成果を出す姿を見せることでファンの夢を叶えることだとすれば、乃木坂46の役目はそんな競争社会で傷ついた人々を包み込み、癒すことなのだろう。もちろん、AKB48の価値観が間違っているわけでも、乃木坂46の価値観が全面的に正しいわけでもない。しかし、競争社会では無視されてしまいがちな「やさしさ」について、今、真剣に考え直してみることも必要ではないだろうか。多くのファンが乃木坂46の楽曲や映像作品に癒されていることからも分かるように、そこには新たな社会を構築する可能性が潜んでいるのだ。

文=石塚就一