『La Vie en Rose ラヴィアンローズ』(村山由佳/集英社)

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 今年は年頭から芸能人の不倫報道が相次ぎ、おまけに都知事選の候補者にも不倫疑惑が物議を醸している。正直「またか」という気にもなるが、近頃はすぐに話題が離婚の泥沼へとすすむわけでもない。実際、世の離婚理由のトップ3は1位:性格の不一致、2位:生活費を渡さない、3位:精神的虐待(平成25年司法統計)と、こと妻からの離婚申し立て理由には「異性関係」は入っていない。むしろ注目なのは3位の精神的虐待(=モラルハラスメント)で、男性でも「異性関係」(3位)より上の2位だ。

 このモラルハラスメント、ここ数年で「モラハラ」として急に一般化し、昨年の流行語大賞にもノミネート。70年代に比べると2倍になっているというが、急激に増加したというより、言葉が一般化することで「あ、私も被害者なのかも」と気がついた人が多いのが実態だろう。なぜならモラハラは、深刻な被害を受けていながらも、当事者が「被害者である」という認識を持ちにくく顕在化しないという「闇」を抱えているからだ。

 一般的にモラハラの被害者は、言葉で執拗に攻撃されることで人間性を否定され「自分はダメな人」と思い込んでしまい、さらに巧妙にマインドコントロールされ「(相手にそんなことをさせるのは)自分が悪いのだ」と自分を責め、攻撃してくる相手こそが被害者と思いこんでしまうという。ダメージは相当なはずなのに、その現実を自覚するのも伝えるのも難しかったからこそ、なかなか顕在化しなかった面もあるだろう。ここで紹介する村山由佳氏の新刊『La Vie en Rose ラヴィアンローズ』(集英社)は、そんな夫婦の「闇」を巧みに描き出した恐ろしくも興味深い深い作品だ。
 主人公は薔薇の美しい瀟洒な洋館に夫と暮らすカリスマ主婦の咲季子。だが、現実は夫から「お前は頭が悪い」「(お前の仕事なんて)ままごとと同じ」「お前は無能」「偽善者の八方美人」と言葉で抑圧され続け、あげく「門限九時。外出は3日以上前に場所と時間を夫に報告。男性と1対1はNG。泊まりや旅行など論外」と束縛されていた。

 カリスマ主婦の裏にモラハラ夫の抑圧があるという設定は、落差が激しいだけに鮮烈で、表向きには「私らしい暮らし」を実践する女性の憧れのような存在ですら、実は「家という檻」から出られないというのは、こうした問題が普遍的に存在するということを暗示するかのようだ。人格を全否定するかのような夫の罵詈雑言は、激しさはなくともボディブローのようにじわじわと効いてくるものばかりだ。問題はこういった言葉への対処にある。論理的に反論するのが難しいならばスルーするのが一番だが、素直に受け入れてしまうとモラハラ一直線なのだ。最初こそカチンときても夫婦の間に波風が立たないようにしているうちにそのまま受け入れてしまい、「自己肯定感」を見失う。「自己犠牲」といえば聞こえがいいが、他者への依存が「自分がない」状況を作り、その辺りをモラハラ夫は巧妙についてくるのだ。

 咲季子の場合、はからずも年下の男性デザイナー・堂本と出会い、彼との不倫に走ったことで封印していた「自分の欲望」を発見し、いかに自分が夫のモラハラに遭っていたのかという現実を受け入れることになる。問題はそれを「自覚」してしまった時の女の行く末だ。「もっと自由に生きたい」と思ってしまえば、幸せだったはずの暮らしはいきなり「生き地獄」へと姿を変える。ならばどうするか――『La Vie en Rose ラヴィアンローズ』もそこが肝になる。ある晩、不倫を知った夫が、相手に社会的制裁を与えると激高する中、咲季子は大きな選択をすることになる。ある意味、衝動的な結論は、多くの女性に我が身を振り返らせることだけは間違いない。

 この作品について「私にとって過去の自分との訣別の書」と作者がコメントしているが、どこかに自身の結婚生活を投影している部分もあるのかもしれない。だとすれば、これまで赤裸々に身内との関係を取り上げることのなかった作者だけに、書く事に痛みを伴ったこともあっただろう。だが、あえて私的でありながらも普遍的なテーマとして取り上げた勇気は、<幸せなのだと自分に言い聞かせ、可能性に目を閉ざしているすべての女性に送る衝撃作>と題された通り、女性たちへのエールになるはずだ。美しい薔薇の棘の痛みのような余韻の中で、ぜひ自分の日常をだぶらせながら、女の人生の「if」を考えてみてほしい。

文=荒井理恵