『キリンビール高知支店の奇跡 勝利の法則は現場で拾え!』(田村 潤/講談社)

写真拡大

 「闘いに必要なことは、すべて高知支店で学んだ」。現場に本質があると断言するのは、元キリンビール代表取締役副社長である田村潤さん。『キリンビール高知支店の奇跡 勝利の法則は現場で拾え!』(田村 潤/講談社)では、支店長として高知に赴任した1995年。四国地区本部では「お荷物」とされていた高知支店が、田村さんが赴任してからわずか2年で業績を回復。この成功を機に、四国4県の地区本部長、東海地区本部長を経て、ついには2007年に代表取締役副社長兼営業本部長に就任。2009年に、国内シェアの首位を奪回するまでの経緯が書かれている。

 実はキリンビールには、苦い歴史がある。「ビールはキリン」という時代が長く続いたが、アサヒビールのスーパードライが登場すると売り上げは激減。2001年には、ほぼ半世紀ぶりにアサヒビールに国内シェアトップの座を明け渡した。田村さんが高知に赴任した時期は、スーパードライの波に飲み込まれつつある頃と重なる。

 赴任してすぐに支店メンバーにヒアリングするが、営業マンたちは負けチームの風土に染まり、誰もが打開策を見出せずにいた。そこで、まず営業スタイルを変更。これまで酒販店に酒を配達していた営業を、料飲店への訪問に切り替えた。「とにかくキリンビールのセールスはよくやっていると思わせる」ために、1店舗5分の滞在時間でも新商品のサンプルを置き続けた。もちろん田村さんも、祭りや花見の後はビールの空き缶であふれているゴミ箱を覗き込み銘柄をチェック。敗因を徹底分析した。

 転機になったのは、エリア限定の広告キャンペーンである。例えば「高知が、いちばん。」キャンペーンでは、女性社員の「高知の人は(中略)”いちばん”が大好きなんです」の言葉から高知県の”いちばん”を調べると、ラガー瓶消費量が全国1位であることが判明。このキャンペーンで「ラガーは高知で日本一飲まれているらしい」という情報が、市場に広がった。また、高知県民の声をきっかけにキリンラガービールの味が変わった時には、「たっすいがは、いかん!」キャンペーンを展開。たっすいとは土佐弁だが、「以前のように、みずっぽくて飲みごたえのないビールが嫌だ」という意味のコピーが、高知独自の気風と新たなビールの味と見事に重なり合った。こうした営業と広告のシナジー効果のおかげで、1998年には高知県内のシェアも逆転。全国ではキリンビールの負けが続く中、ついに2001年には高知県でトップを奪回した。

 奇跡のような成功の陰にあるのは、一撃必勝のテクニックではない。「大切なのは、『キリンのあるべき状態をつくる』『キリンのメッセージを伝える』というビジョンを実現しようとすること」であり、「どうやってそのビジョンに達成するかは、自らの決意と覚悟、どれだけ自分で考えて工夫することができるかにかかっている」と、本書にはある。

 あり得ないような幸運が次々と起こるのは、愚直に地道に仕事を積み上げた成果であろう。本書はキリンビールの業績がV字回復したサクセスストーリーではなく、普遍的な営業の極意と営業マンたちの指南書として読みたい。

文=富田チヤコ