京都の魅力をユニークな視点からお伝えする無料メルマガ『おもしろい京都案内』。今回は千利休ゆかりの「大徳寺」のすべてを紹介してくださっています。広大な敷地を誇る同寺院はまるでテーマパーク。見どころは何と言っても個性溢れる数々の「塔頭」です。来年3月まで特別公開中の塔頭もあるとのことですので、まずはこちらの記事で情報を得、お運びになってはいかがでしょうか。

茶道との結びつきが強いお寺「大徳寺」

広大な境内に20以上のお寺を有する禅寺の大寺院、大徳寺はまさに文化と伝統のテーマパークです。今回はガイドブックに載るような内容より少しだけ深いところを取り上げてみました。

大徳寺の開祖は禅僧である宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)です。日本史が好きだった方なら聞いたことある名前かも知れません。創建は1282年と古いのですが、例にもれず応仁の乱で焼失してしまいます。応仁の乱は京都の中心地のほぼ全てを焼き尽くしてしまったので、仕方がありません。京都にある寺社仏閣はほとんど戦国時代以降の再建です。火事にならずに奇跡的に残ったものの一つが「おかめ伝説」で有名な通称千本釈迦堂、大報恩寺です。

※「おかめ伝説」に関しては以前ご紹介させて頂きましたのでこちらをどうぞ!

→「泣ける京都の桜物語。京で愛される桜に隠された5つの感動エピソード」

応仁の乱の後、大徳寺は「一休さん」のモデルとなった一休宗純(そうじゅん)が大阪・堺の豪商らの協力を得て復興しました。その後も豊臣秀吉をはじめ各地の諸大名により建物や寺領が寄付されました。そして、江戸時代初期にはほぼ現在の姿に整えられたそうです。三門、仏殿、法堂(はっとう)、方丈などの主要な建物は、その造りや配置に至るまで禅宗の典型的な寺院の体裁を整えています。

今回は大徳寺の特徴と他の寺院と違う特徴などに焦点を当ててご紹介したいと思います。

特徴

大徳寺の大きな特徴は敷地の広さと言ってもいいでしょう。京都の中でも有数の寺院で境内には仏殿や法堂といった基本的な建物以外に、20を超える塔頭(たっちゅう)があります。塔頭とは、寺院のなかにある個別の小院でそれぞれ茶室や書院、仏堂や方丈などを備えたお寺です。それぞれの寺院によって拝観料がかかりますが、常時拝観することが出来ない非公開寺院もあります。数年前に境内をのんびりと散策しながら、一つずつじっくりと拝観しましたが、1日ではとても足りませんでした。ただ、紅葉時期などはこれ以上ないと言うぐらいの絶景に囲まれての拝観なので、とてもいい思い出になることでしょう。

見どころ

境内の20余りの塔頭のうちで、拝観が可能なのは大徳寺内で最古の建物がある龍源院(りょうげんいん)はお勧めです。キリシタン大名による十字架に見立てた庭がある瑞宝院、教科書にも載っているほど有名な枯山水庭園がある大仙院もマストでしょう。そして千利休ゆかりの品が多い高桐院(こうとういん)もとても素敵な場所です。

このような一つ一つの塔頭寺院にはその全てに見るべきものが多く、とてもこの場でサラッと紹介できるようなものではありません。でも是非皆さんには行って頂き、その歴史的価値や絵画や茶道などの文化的な重要性を感じて欲しいと思います。

そんな中、来年の3月まで特別公開している塔頭寺院があります。大徳寺聚光院(じゅこういん)です。千利休以下三千家代々の菩提寺にして、日本画の最高峰である狩野永徳の障壁画を所蔵しています。この組み合わせはすごくないですか?数ある塔頭寺院の中の一つとしてこのような寺院が小院として存在するところが京都の奥深い魅力だと思います。これだけすごいのに小院のひとつですよ!

聚光院の特別拝観はとてもまれで今後まずないと思うので私も是非足を運ぼうと思っています。詳しくはこちら。

● 千利休 菩提寺 狩野永徳筆 国宝障壁画 大徳寺 聚光院

大徳寺はお茶との深いつながりがあります。聚光院という塔頭に千利休と三千家代々のお墓があるぐらいなので当然と言えば当然です。ではなぜそのような関係が生まれたのかを少しご紹介しようと思います。

日本には茶道が発展しました。海外には茶道と呼ばれるような特別なお茶の飲み方はありません。これは言い換えれば世界にも例のない日本が見出した美の世界と言うことも出来るでしょう。

茶に用いる道具、それを扱う所作、茶室の壁飾り、立花、客人をもてなす心。これらはすべて美というもので統一されていて、日本人のDNAの一つとして息づいているかのような精神性でもあります。

このように茶道は一種の儀式や儀礼として精神的な深まりを持つようになっていったのです。そして、後の世(江戸時代初期以降)の「綺麗さび」といった美の基準になっていきました。それは今までと違う新たな美であり、斬新な審美眼や価値観の誕生でもあったことでしょう。

市川海老蔵主演映画『利休にたずねよ』にも登場した特徴的なシーンがあります。あるとき千利休が朝顔の花が美しく咲いたので秀吉を茶に招きました。秀吉は喜んで訪れると沢山咲いているであろうはずの朝顔はどこにも見当たりません。どうしたことかと茶室に入ると、床の間にたった一輪だけ朝顔が生けてありました。その美しさに思わず息をのんだという場面です。

茶をたてるということは、全てにおいて人を思いやる気持ちが必要です。客人をはっとさせるような美の演出もそのうちの一つです。茶道はその精神的なよりどころを禅に求めたのです。利休は「茶禅一味」(ちゃぜんいちみ)という茶と禅とは最初から結びついていたものだという価値観を創造しました。心を落ち着かせることによって自己を発見し、悟りを開く道となり、精神修養の一つの方法と考えられていたのです。

禅宗寺院の中でも、特に大徳寺と茶の結びつきは深く強いものがあります。これは「茶の湯」の祖・村田珠光(むらたしゅこう)が、大徳寺の一休宗純から禅を学んだことに由来します。「茶の湯」は珠光から武野紹鷗(たけのじょうおう)を経て千利休によって大成されました。武野紹鷗は侘び茶と四畳半の草案茶室を融合させ茶道を今日の形に発展させた人です。紹鷗が住んでいた邸宅は京都の中心地で祇園祭の鉾町の一つである四条室町の菊水鉾町です。当時邸宅のある敷地内に菊水の井が湧いていたことに由来しています。この菊水の井からくみ上げた水でお茶を点てていたことから、今でも祇園祭期間中には菊水鉾町でお茶席が設けられています。今は菊水の井は枯れていますが、その跡が石碑によって示されています。

千利休自身も大徳寺と深いつながりがあります。利休は大徳寺に三門(赤毛閣)を寄進しています。その楼上に自分自身の本像を安置しています。しかし、このことが秀吉の怒りをかって自害を命じられています。秀吉はこの三門を出入りする自分自身や高貴な人達を利休の足もとにふみつけるとは無礼だと考えたのです。怒った秀吉は利休に切腹を命じ利休は70歳で自分の手によって生涯を閉じました。

大徳寺山内には、村田珠光の作庭と伝えられる庭を持つ真珠庵もあります。また、江戸時代初期の茶人としても有名な小堀遠州が創建した孤篷庵(こほうあん)もあります。本堂の北側にある茶室「忘筌席」(ぼうせんせき)は京都の三名席の一つです。魚を取れば筌(魚をとる道具)を忘れるという意味で、目的を達成すれば手段を忘れるという意味です。禅の悟りの境地と結び付けられている言葉が茶室の名前になっているのです。

大徳寺は俗に「茶面」(ちゃづら)と呼ばれます。千利休が帰依して以来茶道との関わりが深いからです。また千家の菩提寺である聚光院以外にもほとんどの塔頭寺院に茶室があることからもそう呼ばれるようになりました。私は茶道、華道、絵画などの文化芸術の知識や造詣がありませんが、そのようなたしなみがある方に大徳寺は是非お勧めです。もちろんそうでない方も魅了してしまう強い魅力が随所に詰まった名所なので紅葉の時期などに拝観してみて下さい。

image by: Wikimedia Commons

 

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出典元:まぐまぐニュース!